ポスティング

私が通っていた高校、そしてその市内の高校は一律してアルバイトが禁止されていた。
しかし、隣の高校では野球部に限り年末年始、年賀状を配るアルバイトをすることが許されていた。
どういう魂胆?ってくらいの狭き門がすごく羨ましく感じたのだ。
とにかく"年賀状を配ること"に憧れを抱いていた。

大学に入学し、一人暮らしを始め、さぁアルバイト探すぞとなったときまっさきに調べたのは郵便局の配達員だ。「年賀状、年賀状」と呟きながら郵便局のアルバイトについて調べる5月の大学一年生っておもろいなワラというステータスさえ感じていた。

おぉ、なんと免許がいるではないか。
そりゃそうだ、今時自転車で郵便物を配っている人なんていないという自明ともいえることにやっと気が付いた。さらに言うと私の自転車にはカゴがない。
免許を取ることはサラサラ考えていなかったため、わだかまりを抱えながら蕎麦屋でカツ丼をオススメするような毎日を送るようになった。(蕎麦屋でのアルバイトの話も絶対したい)

そして10月、ある広告が目に止まった。
"仕事・学業の合間に!運動不足解消に!ポスティング始めませんか??"
「これぢゃん!!!!!」
何も調べることなくすぐに電話をかけた。
今だから言えること、こんな2行で済ますほどのことではない。ポスティングをするというのは500行くらい悩んでから決めるべきである。

面接の会場は最寄りから5駅ほど離れた場所であった。まだ最寄り駅付近も散策してない赤ちゃんのような大学一年生なのに、なにも知らない土地で30分迷いながら歩いた。会社は不穏な空気が漂っておりすぐに合格してもらって早く帰ろう!と180度ズレた意気込みをしてドアを開けた。
ポスティングのことをなにも調べず行ったことは、
「応募した理由は、配っている間にすれ違う近所の方々と挨拶や言葉を交わしてこの地域のことをもっと知りたいと思ったからです^_^」と言った瞬間バレた。マジでこんな綺麗事で済む仕事な訳がない。
合否を言われる前に、ものすごい時間をかけて仕事について説明された。なんでもいいから早く帰りたかった。はぁ…書いていても凄く情けないが、いつのまにか1200冊の冊子を配ることになっていたのである…。
まず配達員さんと一緒に4階まで激重物体を運び上げ、その後1冊6円の本に1枚2円の広告を挟み8円の物体にすることから始まる。

"価値" ついて考えさせられた。

月末の5日間で1200冊を配るということを考えたことはあるだろうか?加えて私はこの土地に引っ越してきて半年しか経っていない。はっきり言うと最初の3ヶ月は大変すぎて1ミリも覚えていない。でも泣いてたことだけは覚えている。家のポストに8円の物体を入れる女なんて怪訝な目でしか見られないし、犬にはめちゃくちゃ吠えられる。地域の人と挨拶なんて淡い期待は崩れ、私は泣いていた。

3月、私はこのバイトを必ず辞めるという意思で電話をかけた。むろん惨敗。
面接をしてくれたあのとてつもなく胡散臭いおっさん(いきなり口悪くなるやん)は、電話越しにあの手この手で私を操作し、電話を切った時には
「800冊ならいけるかも」と呟いていた。
あぁ、かわいそうな自分。
400冊減ったことにまんまと油断していた。

毎月末、家族総出で下宿先に遊びに来てくれる。
それまでは、家族が来るまでになんとか半分は配り終え半分をクローゼットに隠してから迎え入れていた。過保護の両親はポスティングという仕事を怒ると思っていた。
その月は800冊だしすぐに動かせるだろう、と隠していなかった。

無慈悲な…両親は蕎麦屋のバイトに行っている間に、合鍵で部屋に入っていたのである。

ギャァァァアス!まかないを食べながら泣いた。
過保護な両親にかこつけてバイトを強制的に辞めることができる、喜びで泣いた。

予想通りの、事情聴取が始まった。
しかし思ったより怒っていない、むしろなにか悲しみの様な含みのある言い方をする
何故なのか、もう謝罪よりもそちらが気になってしょうがない

なんと父も母もポスティングを経験済みだったのだ

っはーーーーーーー!通りで体験談のような叱責が多いと思った。遺伝子を分析したらPTGというソレが発見されるかもしれない。

そっちがそうならこっちもこうダゼ?という感じで謎の強がりにより継続することにしてしまった。両親は毎月のように「辞めなさい」と言いながら手伝いに来るようになった。一緒になって配るのは規則に反するため、進歩と言えば、今まで4階まで何往復もして100冊ずつリュックに入れて持って行ってたものが、車に全部積めるようになったくらいである。
3人が3人ともなにがしたかったのか分からない。

800冊のうち100冊はその地域で1番大きいマンションで一気にポスティングすることができていた。実質700冊の労力で800冊分のお金を貰えている🎶という絶望的な喜びを見つけていたのに、ある日管理員さんに「それ、許可もらってる?住民会でもう配らないで欲しいって意見が出たんだけど」と話しかけられた。
知るわけがない。私はもう淡い期待などとうの昔に捨て、需要などなりふり構わずポスティングするだけのポスターである。管理人さんも、住民もなにも悪くない。このご時世でこんなアナログな冊子をフルカラーで印刷して、資源を消費している会社が変わらなければ。とにかく会社の代表として謝り、今後は配らないことを約束した。

そうなってくると700冊、5600円のために5日間を投資できるかが肝になる。幸い私は歩くのが劇的に早く、冊子に広告を挟むのも爆速で出来るようになったため、時給換算すると1050円くらいで仕事を終えることができていた。
ポスティングを始めて初めて迎える夏
テスト・蕎麦屋・ポスティングが重なり、1050円の糸はかいた汗で簡単に切れてしまった

次の記事で書くが、ポスティング中に警察に通報されたこと、人目をずっと気にしていたことも相まって勢いで電話をかけることができた。胡散臭いオッサンはやはり手強く、どれだけ泣いて叫んでも辞めると言ってから3ヶ月は契約を切ることは出来ないという。
辞めると決まればコッチのものであるため、残りの3ヶ月は思いっきりポスティングライフを楽しんだ。
改めてその冊子をじっくり読んで見つけたクーポンを使って髪の毛を染めたり、その地域に多い苗字の統計をとったりした。犬がいる家の前では気配も少し消せるようになった。

そして最終月が終わり、社員証を返す際、胡散臭いオッサンには愛着がなかったがいつも4階まで冊子を一緒に運んでくれるお兄さんにお礼の品を送った。足の疲れを取るシートとチョコレートというマジで衛生的に一緒に包むべきじゃないものと汚い走り書きの手紙を添えて。

ポスティングをしない久しぶりの月末、清々しい気持ちで自転車に乗っていると、いた。おじぃさんが小さなトートバックから一冊の冊子を取り出してポストに入れていた。
"価値"
おじぃさんが長い人生のなかでポスティングに価値を見たのだとすれば…私は少しの後悔をした。
そしてまた別の場所では私がチョコをあげた配達員さんが冊子を配っていた。
あゝ、私が辞めたせいで配達員さんが配布も担うことになっているのだ、後悔をした。

年賀状を郵便したい欲は、ポスティングによって埋められたのか消失したのか分からない。
今は免許を取得したため応募できてしまう。
でもそんなことよりもおじぃさんの小さなトートバックに代わるポスティング用の便利なカバンをデザインしたい欲がすごいかもしれない。

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