見出し画像

嘘つきはマスコミの始まり

奴隷同然のADという仕事を与えられたマスゴミ生活の中、私は編集技術を習得したおかげで、技術系スタッフという専門職を与えられました。手に職という意味では、一般的な制作スタッフに比べれば、編集は後に「切り取り」という技を身につけたことが寿命を長くしたと言っても良いでしょう(今みたいにパソコンがない時代なので編集は難しかったのです)。

放送メディアと言ったって会社です。一般企業です。会社という組織はお金を稼いでくる営業が一番偉い。そういうものです。しかし、放送メディアの営業って大した仕事はしていません。特に80年〜2000年代の約30年くらいは何もしなくても仕事が舞い込んでくる。口を開けて待っていれば、代理店がどんどん餌を放り込んできてくれました。それでも、営業は「俺が稼いできた」と自負しているのです。無能です。お金を稼げたのは放送局という看板があったからで本人の能力ではないのです。一部、本当に飛び込み営業でスポンサーを獲得してきた有能な人はいました。そういう人は2000年台に入ると会社を辞めていきました。ですから、今、メディアには営業力が備わっておらず、広告をとる事ができなくなってきてしまったのです。いまだに代理店回りをしています。もう代理店を通してスポンサーを獲得する時代ではなくなったのにです。それしかできないし、先輩からもそれ以外の方法を伝授されていないのです。その昔、飛び込み営業なんてしなくても、向こうから勝手にやってくる時代ではなくなってしまいましたし、何だったら、今はGoogleのように営業しなくても、クライアントから宣伝したいと言ってくる時代です。

一方、実際に番組を作る立場の人たち。プロデューサーは局員ですが、基本的にお金を使う側ですから、立場的には弱い。その人たちから仕事をもらう立場の制作会社はもっと弱い。特に90年〜2000年代はお金を稼げる部署が強く、お金を使う部署が弱い。だから、営業(代理店)の言いなりです。話す内容は、相槌、反応まで事細かに指示がありました。ですから、番組で使う台本は早くから作り上げ、スポンサー(代理店)がチェックして戻ってくるのです。戻ってきた時には原稿は真っ赤っかです。こんな言い回し、日本語ではありえないですけど・・・。そんなことはいっぱいありました。タレントやアナウンサーの言い間違いも台本のせいだったりします。

元々、メディアでバラエティをやりたいとか、色々、夢を持って入ってきたとしても、営業(代理店)が力を持っているわけですから「聴取者が面白い」ことより「スポンサーが喜ぶ」が絶対。昔は競合メディアがなかったわけで、テレビやラジオの独壇場な訳です。何やったって数字は獲れました。メディアに関われば関わるほど、皆、価値観がおかしくなっていくのです。テレビは過激なことをやり出す。FMはヒット曲だけかけておけば良い。AMは地元局の人気局アナや人気タレントなどが喋っていれば良い。簡単でした。皆、視聴者のことを馬鹿にしていました。「志より数字」です。

私も編集で多くの切り取り素材を作ってきました。


例えば、以前にあった、女性蔑視として辞任された森喜朗東京五輪組織委員会会長の件。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。」だけ聞けば、女性蔑視に聞こえます。だから、マスコミの人は悪意をもって編集するわけです。実は、この言葉は森氏の言葉ではなく、現場で起こっている事実から出た他人の言葉を引用しているわけですが、切り取れば、まるで森氏が思っていることを言ったかのように作ることができてしまうのです。そうやって辞任に追い込まれたり、政権交代に持っていったり、マスコミは色々やってきたのです。もちろん私も加担しました。その権力者がいなくなることで都合の良い(儲かる)人たちがいるという事です。民主党の政権交代だって、そうやって成し遂げてきたのです。

時代が変わりましたので、随分、メディアに洗脳される方は、特に若い世代で減ってきましたが、それでもテレビには影響力があります。未だ、切り取りは行われていますし、それも悪意をもった切り取りですから、タチが悪いですね。でも、逆の立場で考えれば、それは正義です。全てお金のためですが、憲法で認められた権利である「表現の自由」です。放送(新聞・文章)メディアだけに認められた権利です。切り取りについては、政治の世界で実際に経験したことなどもお話ししてみたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?