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5年間と2,000万円を投下して得た学び
2019年に自分で立ち上げた3人制バスケットボールチーム「TOKYO LEDONIARS」の活動が今日をもって終了します。5年間続けさせてもらいました。
この5年で得た知見や感情を、記憶と気持ちが鮮明なうちに、自分のために文章にまとめときたいと思います。
厚かましいけど、もしかしたらこれから何かチャレンジしようとする人の参考にもなるかもしれないので、できるだけありのままに書いておきたいと思います。
なので、人によっては不快な部分もあろうかと思いますがご容赦いただけたら幸いです。
起業の理由は、身の丈に合わない昇進昇給
起業した理由を今もよく聞かれる。バスケがしたかったのが大きな理由だけど、お給料の面もが大きなキッカケだった。
社会人8年目のとき課長代理に昇進させてもらった。お給料がグッとあがった。たぶん20%くらい。仕事の中身は大して変わってないのに、歳をとったら給料があがった。
お給料が上がって仕事ができるようになったような気になってる自分を俯瞰で見てしまって、マジでダサくて気色悪くて、このままではアカンと思って辞めた。
と言うと「すごいね」と言ってもらえることがあるけれど、例えばみんなも急に「明日から給料1億円アップです」って言われたら怖い思う。極端だけど。でも本当に、そんな感じだった。
カッコつけれないのは寂しい
続き。要は、当時の自分は給料アップしてもらえるようなたいした挑戦してなかったことに気づかされて、ちょっと寂しくなった。
その時、「でもこの環境をふり切って転職とか別のチャレンジとかできたらカッコいいかも」と思った。そこまで言語化してたわけじゃなかったけど、そういう気持ちはかなりハッキリあった。
そのタイミングでたまたま自分のバスケも身体があまり動かなくなってきて「本気のバスケはここで終わっちゃうのかな、それで納得できるのかな」とも思った。
「バスケしたいから辞める」って言ったらなんかカッコいいかもと思って決断した。
子供じみた理由だけど、割と本当にそう思ってた。
カッコいい失敗、ダサい失敗
自分で責任をとるつもりで始めたかどうかなんだろうと思う。
起業当初、知人の会社から受けるはずだった業務委託が急遽白紙になって死ぬほど焦った。知人に頼りっきりな話だったから代替案も解決策もなく、関係者に対して責任をとる術もなく、焦り方もめちゃくちゃダサかった。
最悪の場合、責任をとるために自分が差し出せるものを積み上げてきたかどうか。その胆力があるかどうか。
差し出せるものがないと挑戦する資格がないし、差し出す覚悟がないと挑戦する値打ちもない。
挑戦が本当に自分事になってれば、もし失敗してもその失敗とちゃんと向き合える気がする。ダサい失敗は向き合うのもかなりしんどい。向き合わなしゃあないけど。
「まぁいいか」は合法麻薬
5年間、ドラマや漫画みたいなイベントは発生しなかったけど、見過ごせるくらいのトラブルや理不尽や不正義には案外たくさん遭遇した。
「このくらいまぁいいか」で受け流せる方が懐が深くてカッコ良かったような気もするけど、このくらいとか、1回くらいとか、次からはとか、そうやって曖昧にしてるとだんだん自分を見失っていく気がして怖かった。
まぁいいかで流せばその場は楽やけど、多分1回やると癖になると思った。
5年間、辛いこともたくさんあったけど、「1度も自分自身にまぁいいかを許していない」という事実がいつも心の支えになった。
できないんじゃなくて、やってないだけ
会社員時代の学びでこの5年間の支えになった考え方。
社会人1年目のとき、先輩から「できてません」を禁句にされた。仕事の進捗を聞かれたときに。「やってません」が正しいだろと。誰かのせいみたいに言うなと。後回しにしてるのは環境のせいではなく自分の意思。この教えのお陰で自分を律したり、自分の実力不足と向き合うことができた局面が何度もあった。
ブロンコス
自分のバスケ人生で初めて、スタメンになれない場所だった。
2年目のとき当時24歳の波多が加入してきて、「もし今の自分に20代の頃の身体があってもこいつにはちょっと適わないだろうな」と思えた。
この経験をさせてもらってなければ、今でも「もっと早く挑戦してれば」とクソダサいことを思い続けてたかもしれない。
やっぱり僕の信条は“Never too late“。
プロリーグに挑戦したのは31歳になってからだったけど、ダサく生きないための挑戦に遅すぎることなんてないんだと、頭と身体と心で理解させてもらえた。いい2年間だった。
試合にも出れず、チームの役にも立てず、ジム経営もおざなりにして、ちょっと目を背けたい自分史でもあったけど、これからの人生にとって必要な2年間だったと今は思う。
挑戦しつづけてると自分の嫌な過去も認められるようになってくるというのは、思わぬ副産物だった。
有言実行できなくても、言ってみた方が良い
やると言ってみたけどできなかった、そんなことばっかりだった。
実力不足でできなかったことも多いけど、中には言ってみて初めて「案外本気じゃなかった自分」に気づかされることもあった。
「日本一」を信じてチーム運営してきたけど、どこまで本気でやれたかと言われると揺らぐ部分もある。
たぶん僕は本当は心の底ではただただバスケがしたかっただけで、その先に日本一を見ていたんだと思う。自分でも最後の最後まで気づけなかった。
目標を口に出して行動してみると、やりたいと思ってたことのなかにも本気じゃない部分が内包されてたことに気づく。それを削ぎ落とさないと本気の本気にはなれない。自分の本心って自分じゃ全然分かってないんだなと思った。
挑戦で失ったもの、得たもの
LEDONIARSの活動を終えて、びっくりするほど一気にバスケをやれる環境がなくなった。この年齢になると1週間もバスケしないとすぐに劣化するのが自分で分かる。そして、バスケばっかやってたから起業して5年も経つのに収入は会社員の頃の半分くらい。なんなら借金が年俸の4倍くらいある笑。
自分なりの限界でやり続けるだけなら、確実に会社員のまま地域リーグでやってた方が良かった。
でもやっぱり目の前にチャンスがあったら限界以上のことにチャレンジしてみる自分でいたかったし、そうあれたと思う。
選手としての寿命と目先の収入は失ったけど、何か別のもっと大きなものを得た気がする。何を得たのかはまだよく分かってないけど、分かる日がくると信じる笑
代表者とプレーヤーの兼任は難しい
めちゃくちゃ難しかった。何が難しかったのか、未だに整理できてないくらい難しかった。1つの要因としては代表者としても選手としても未熟すぎたんだろうと思う。
「せめてどちらか一方が確立されてないと難しい」というのがいったん今の結論。でも絶対無理だとまでは感じなかった。またやってみたいな。
優柔不断さとの向き合い方
ものごとは始めるより辞める方が難しいということを痛感した。
チーム発足するとき、毎年のメンバー編成のとき、何かを始めたり変えたりするときはいつも自分が嫌になるくらいめちゃくちゃ悩んだ。
新しい挑戦はだいたいいつも既存の何かとのトレードオフ。手元にある環境を失う覚悟と勇気がないときは、まだ新しい挑戦の準備ができてないんだと思う。
今の自分は打者かゾンビか
うまくいかない時も常に「とにかく打席に立ち続けること」を大事にしてきた。とにかく続ければいつか必ずチャンスがある。だから無理な選手獲得に動いたり、派手な活動はしなかった。
でも最近は「打席で粘っているというより、死に体のくせに打席に執着してるだけかも」という感覚になってきた。
5年間なんとか打席に立ち続けたから分かった感覚なのかもしれないし、気づく感覚が鈍かっただけかもしれないけど、こういう感覚って自分の人生を使ったチャレンジのなかでしか掴めなかったんじゃないかなとは思う。
フォームを崩してでもフルスイングを
今シーズンはメンバー編成を大きく変えたり、ファンクラブを作ってみたり、自分自身をロスターから外してみたり、今までやらなかったことをやってみた。
何か違うことをしないと全国ベスト8より上には届かないと思って。
その結果、昨年よりも成績は悪くなったし、みんなにも例年以上に負担や迷惑をかけたし、自分自身も辛いことが多かった。
慣れないことをすると良くないなぁと思いつつも、日本一を目指すために絶対必要だったし、なにより今までの自分のフォームを変えてでも1回だけでいいからフルスイングをしてみたかった。
一振りで三振に匹敵するくらいの酷い空振りだったし、どこかを痛めた気がするけど、後悔だけは場外ホームランにしてやったぞ。
と思いたい。
まだ誰かに自分の夢を託したくはない
最近、滋賀レイクスをよく応援するようになって感じた。B1復帰の夢を叶えてほしい。でも、自分の夢は自分で叶えたい。自分がここまでだなんてまだ思ってない。
本気を出せるチャンスはそんなに来ない
この恵まれた国で生きてて、大志をいだくほどの情熱や葛藤に出会えることってきっとそんなにない。
だからもし本気になれそうなチャンスがきたら、次も絶対やってみたい。
日本一
全然届かなかった。でもまた目指したい。
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