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Work. 仕事、作品、仕事をする、 制作をする。

yoshiakira723 の皆川です。

私は、生き物を目の前にしてその場で描き終え作品としています。目の前にある存在を触媒に手を動かし線を重ねることを繰り返すうちに像が表れてきます。
ここに書く文章もそのようにしてみます。結果として何かが文章として表れてくれば良し、意味不明でも良しとします。

闘牛 皆川佳昭

Workを人格(自分との関係)の基に、統合したい

英語でWorkという言葉がありますが、仕事、作品、研究など様々な意味を持っているようです。

私は仕事に膨大な時間を使っています。この仕事は、依頼を受けて行い報酬を金銭で受け取るものです。
私の場合は、ウェブサイトの運営、ウェブサイトやアプリの設計、ビジュアルデザイン、コーディングなどです。大きなエネルギーと時間を注ぎ込んでいます。

一方、作品に注ぎ込む時間は、仕事に比べて遥かに少ないです。これに違和感を感じています。

この違和感はなんなのか、と考え込みました。

仕事の場合、焦りや不安、恐怖から、体と脳が動いてしまい、これは容易に止められません。天変地異や体を壊すなど制御不能はものによってしか止めることができません。よって自分の意思とは関係なく時間とエネルギーを注ぎ、奪われることになっています。体も壊れます。

作品には、気が向いた時に取り組みます。気が向く、というのも自分では制御不能です。

仕事に使っている膨大なエネルギーを作品に注ぎ込んだらどうなるのか、と想像するととてもワクワクします。しかし、そうはなりません。

以下の理由や問答から仕事が圧倒的優勢になっているのかもしれません。
お金が必要?:必要
生活に対する不安が大きいからか?:不安
自分の作品に自信が無いから?:自信はあるが、それをどう他者に見せるかがよくわからない。
自分の作品に飽きちゃうかもしれないから、小出しにやった方がいい?:少しそうかもと思う。

理由は考えてもあまり意味ないように思いました。

1つ思いついたのは、仕事をすることは他者との関係性、作品を作ることは自分との関係性、という違いではないかとということです。

私はworkしたいと望み、日々workしています。
しかし、どちらの関係性の基に行っているかが重要なのではないかと考えました。

自分の暮らしを観察すると、明らかに仕事という他者との関係性を重視しています。仕事を自分の生存がかかる切迫するものと捉えており恐怖すら感じてます。一方で、作品という自分との関係性は、恐怖に圧倒され後回しにしているように見えます。
自分との関係性も、自分の生存に最重要だと思うのですが、行動はそうなっていないようです。

自分が絵を描き作品として発表しているのは、workを自分との関係性の基に行うものにしていきたい。少しでも、その比率を増やしていきたいと望んでいるからです。最終的には統合されたworkとしたいです。

自分との関係を基にworkし、生み出された作品から他者との関係へ、としたいと望んでいます。他者との関係がビジネス・商いになり、自分の暮らしを助けるということが自然だと思います。

日々、私の暮らし時間の中で、2つのworkがせめぎあっており、仕事が圧倒的優勢ながら、作品も時には押し返す攻防が繰り広げられています。
私に力があるのなら、どちらかに加勢したり応援したりという介入ができるのか?と考えますが、あまり力はない、と感じています。

workに対して、観察してこんな感じかなと思うこと、それに対してこうすればいいという解決もない、それでも事実に関係なく自分の望みはこうかな?ということを書きました。



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