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「よしあき回顧録・外伝」34年前、プリンスエドワード島にアザラシの赤ちゃん取材に行った時の写真が出て来ました!

いやあ、驚きました。34年前の写真がひょっこり現れてきたのです。

私がnoteを始めたころ、2020年8月、字数3万字余の「まだ元気なのに『回顧録』なんちゃって。。。」というのを書いたのですが、その中で1988年に住み慣れたバンクーバーを離れて、一家ではるかかなたのモントリオールに引っ越しをしたというくだりがあります。

それは、カナダの公共放送、CBC傘下の海外短波放送部門、ラジオカナダインターナショナル(RCI)に職を得て、その日本語放送部門のアナウンサー/プロデューサーという、まったく未知の分野に足を踏み入れたからなのです。

その辺の事情は、もしお暇がおありでしたら、


これをお読みください。ただし、私が生まれてから、ほぼ現在までのお話ですから、超長いですので、ご用心くださいませ。笑

さて、本題に戻ります。この回顧録の中で、私のそう長くないモントリオール時代の一つの大きな思い出になっているエピソードのことを書いています。それで、3年前に書き上げた時には、その時の大事な写真が、どこを探しても出てこなかったのです。そのため、写真なしの文章だけで、簡単にまとめてしまったのです。

そのころ私は、RCI日本語短波放送のアナウンサー/プロデューサーとして、夢中になって、週五日間、日本向け短波放送の番組を制作し、放送していました。RCIというのは、いわばカナダ連邦政府外務省の下に、カナダの広報機関的な存在となって、日本の皆さんにカナダのニュース、情報などをお知らせするという役割を担っていたのです。こう書いてくると、随分堅苦しい仕事だったような印象を与えかねませんが、実際はもっとリラックスしたものでした。

ある日、プリンスエドワード島(といっても一つの州です)の政府観光省から、「日本からの観光客誘致のために、アザラシの赤ちゃん見物ツアーを企画しているので、そのニュース、情報提供のため、在カナダの日本関係メディアを招待したい」という知らせが入ったのです。確か2泊3日で費用は全部、向こう持ちということで、RCI日本語班から誰が行くかということになったのですが、誰一人として行きたいという人が現れませんでした。「それじゃ、田中さん、お願いします」ということになってしまいました。

アザラシの大群が北の方から、少し温暖な北大西洋のプリンスエドワード島周辺の氷海方面に移動して、赤ちゃんを産む時季というのは、1年のうち3月初めの約2週間のみということで、モントリオールから同島の州都シャーロットタウンに飛行機で飛んだのは、まだまだ冬の気配、濃厚なころでした。


今から34年前の3月初め。プリンスエドワード島はまだ冬の真っ盛り。右から二人目が私。

ヒコーキ嫌いの私が必死の思いでシャーロットタウンまで来たと思ったら、その翌朝、アザラシの赤ちゃん見物に「ヘリコプター」で行くというので仰天しました。そんなこと、どこにも書いてなかったじゃん、といくらあがいても後の祭り。

生まれて初めてのヘリコプター! 高所恐怖症でヒコーキ嫌いの私が、こんなのに乗ったら一体どうなっちゃうんだなどと、恐れおののいている間にさっさと離陸。15分ぐらいの飛行だったと思いますが、私にとっては永遠のような感じでした。でも、正直なところ、ヘリコプターはほとんど揺れなかったし、ただ、下の方を見さえしなければ、辛うじて耐えうるものではありました。

沖合の海上は大氷原が展開していて、ヘリコプターは難なく氷原の上に着陸しました。氷原の上に降り立つと、なぜかライフジャケットを渡されました。

ライフジャケットを着用し、短波ラジオ放送の取材のため、マイクとテープレコーダーを持ってしゃべってます。寒いの何のって。。。手袋を忘れたみたいですが、よく我慢できたものです。

氷の合間に穴でも開いていて、そこに落ちた時のためでしょうか。いくらライフジャケットを身に着けていても、こんな冷たい海の中では、まず凍死してしまうのではないかと思われましたが。。。

見渡す限り広がる大氷原の上に、親アザラシと生まれたばかりの真っ白な赤ちゃんアザラシがたくさんいました。


私のしゃべりだけでは、せっかく現地まで飛んだ意味がありませんので、マイクとテープレコーダーを使って、赤ちゃんアザラシの鳴き声でも録音したいと思ったのですが、聞こえたのは親アザラシの咆哮ぐらいで、赤ちゃんアザラシの声は何も聞き取れなかったと記憶しています。



1989年3月4日の楽しかった思い出です。

回顧録を読んでいただくと、細かい経緯が書かれていますが、大雑把に言いますと、この時のプリンスエドワード島行きが、その後の私の人生行路に大きな影響を与えました。

ヘッダー写真の次のヘリコプターの写真、私の右隣にいる男性とこの機会に知己を得たのですが、実は、州観光局がカナダ中の日本関係メディアに招待状を送って、それに応えてきたのがモントリオールのRCIの私と、トロントで日本語メディアのビジネスをされていたこの男性の二人だけだったのです。

それからどういうドラマが展開したかにつきましては、ぜひ、私の回顧録にお遊びに来てください。。。




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