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「ちょうど」の不思議

「駅までちょうど10分だった」
「ちょうど3時になったら始めよう」

時々、この「ちょうど」という言葉が、不思議だなあと思う。

「駅までちょうど10分だった」という時の10分は、正確には駅まで9分50秒だったかもしれないし、10分15秒だったかもしれない。でも、人に駅まで歩いた時の時間を聞かれて、「ちょうど9分50秒だった」とも「ちょうど10分15秒だった」とも言わない。もし11分かかっていたとしても、「ちょうど11分だった」とは言うかわりに「10分くらいだった」と言うと思う。なんで10分がちょうどで11分がちょうどじゃないんだろう。

みんなを集めて何か話し合いを始めよう、という時に「ちょうど3時になったら始めよう」というのはわかるけど、「ちょうど2時57分になったら始めよう」とは言わない。「明日の会議は2時57分から3時57分でお願いします」とは絶対に言わない。言わない理由を考えなくてもいいくらい、そんなことは当たり前だ。でもなんで1時間の会議が○時00分とか○時30分とかに始めるのが自然と当たり前に思えるんだろう。

ちょうど、と思えるのはそれが気持ちいいからなんだけど、なんでそれを気持ちいいと思えるのか、わからない。しかも自分だけでなく万国共通でそうなので、人間というものは謎だなあ〜と時々思っている。

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