【休職】ヒマを生き抜く強さを持て
現在休職中です。
日々、何かとやることはあって、それほどヒマではないと思っているのですが、同居の家族からは「ヒマなんだったら○○して」というような言葉をかけられて、イラッとしたりモヤッとしたり。
相手に対して、というより、言い返せない、ってところでモヤるのかもな。
悪気がないのは分かる。
でもヒマ人扱いは失敬だな。
というわけで、タイトル「ヒマを生き抜く強さを持て」は、ヒップホップユニット、スチャダラパーの曲「ヒマの過ごし方」の歌詞より抜粋。
※今回の記事は、この歌詞を見ながら読んでいただければ嬉しい。
スチャダラパー 「ヒマの過ごし方」歌詞
https://www.oricon.co.jp/prof/93788/lyrics/I045678/
ヒマの過ごし方
この曲、「ヒマの過ごし方」は、スチャダラパーの1993年に発売されたアルバム「WILD FANCY ALLIANCE」に収録されています。
1993年というと、もう30年以上も前。
この頃は、スマホどころか、携帯電話もまだ一般には広く普及していなかった時代です。
というか、一般にインターネットが普及し始めたのが「Windows 95」発売頃だから1995年くらい。
この曲が発表された時代は、ほとんどの人はインターネットという存在すら知らなかった。
一部のパソコンユーザーだけが、ニフティサーブなどの「パソコン通信」をやっていたくらいでしょうか。
おっと歳がバレますね。バラしてるけどね。
歌詞の中に、ファミコンが登場しますが、家庭用ゲーム機もまだファミコン全盛期だったのだろうな。
ちなみに、初代プレイステーションの発売は1994年です。
当然、ネットもスマホも映像配信も音楽配信もある現代とは、ヒマの過ごし方は全然違う。たぶん。
この30年は、コンピューターとネットの進化によって、世の中は激変し、人々の価値観、生き方、働き方も大きく変わった・・はず。
なのに。
それなのに、「ヒマ」という時間概念と、「ヒマ人」に対するポジションや感情って、それほど変わっていないのかも? という気がします。
それは、今の時代に、この曲の歌詞を見ても違和感ない、というか。
ヒマ(ヒマ人)に対する意識として、時代や古さを感じさせない。
強いて言えば、「テレビを見たりファミコンしたり」の部分が、ネットや動画やスマホなどに置き換えることができるくらいで、それ以外の歌詞全体のニュアンスは、今の時代でも受け入れられます。
時代が激変しても、中身は進化していないのか? >ニンゲン
ヒマ人と言われるぼく
「ぼく」が、「何だか罪悪感」を感じつつも、確かにヒマであることを自ら認め、「ヒマってダメなのか?」と開き直りつつも、自称「忙しい人」たちを自虐も交えて皮肉るような流れになっています。
解釈はちょっと違うかもしれないけど。
世界中の歴史を見ても、「ヒマのたまもの」である痕跡を見つけることができる。
世の中の「デカいモノ」を作ろうと思った発想。
人工衛星などない時代の地図の制作。
うるう年の発見。
その他、奇行愚行の結果、何も残さなかった多くの愛すべきヒマ人たち。
※余談:「この世の多くのデカいもの」の中に、サラッと1つだけ変なのが含まれているのが、この曲のポイント。スチャダラらしさ。
ヒマは悪いことではない
以下のような歌詞もあります。
昔も今も、「ヒマ人」は良くない文脈で使われることが多いですね。
特に、SNSの時代において「余計なことを言う人」「いらんことをする人」は、「ヒマ人」と揶揄され、嘲笑される傾向があります。
そういう「いらんことする人」も、実際には忙しい人かもしれないけど。
ヒマにまかせて、社会的に問題がある言動をするヤツらは、非難されても仕方ないと思いますが、「ヒマ」そのものは悪いことではないですよね。
むしろ、多くの人が「求めている」ものだと思うのですが。
なぜヒマな時間が作れない?
社会発展の歴史を見ても、「機械化」「自動化」「AI化」などは、人間の労働時間を激減させるのが目的のはず。
昔なら、紙とペンとそろばんでやっていたような面倒くさい作業も、コンピュータで一発、なのに、どうして現代のビジネスマンはヒマな時間が作れないのだろう?
昔の漫画で見るような、山のように積み上げた紙の資料やファイルを両手で抱えて、「はい、これやっといてね(ドサッ)」みたいな仕事の振り方もしないですよね、今どき。
すべての効率化は、人間の「ヒマを作るため」と言っても過言ではない。
機械化・自動化によって浮いた時間は、人間はよりクリエイティブな作業に専念できる、というもっともらしい意見はあります。
が、では毎日残業続きで長時間労働をしている人たちは、クリエイティブなアウトプットをできているのか? >過去の自分に流れ弾が着弾。はうっ!
これからの時代、「ヒマ」は優位性
少々暴論かもしれませんが、大富豪だろうが貧困層だろうが、誰もが「忙しすぎる」世の中だからこそ、「ヒマ人」というのは、そういう人たちよりも上位に位置する存在になるかもしれない、とも思ったり思わなかったり。
忙しい人って、急にヒマになったとしても、ヒマの過ごし方が分からなかったり、戸惑ったりするのでは。
何したらいいか分からない、みたいな。
それこそ、歌詞にあるように、人の能力の減退なのかもしれない。
ヒマを受け入れ、それで楽しく生きていける人は、それだけで優位。
「明日はヒマだ」
「今週末はヒマだ」
というような言葉が、本当の意味でポジティブに発せられ、受け入れられるような社会のほうが、幸福度が高くなると思うのです。
たまに聞く言葉、「人生は、大いなるヒマつぶし」。
※「ヒマの過ごし方」は、以下のような歌詞で終わります。
★2013年の日比谷野音のライブ映像がありましたので、貼っておきます。