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NHK「君の声が聴きたい」を見て。

こんばんは。 hagiです。

5/6からNHKの「君の声が聴きたい」を見てます。

夕食後の7時からのニュースのつながりで家族と一緒に見ていました。

今日は「ヤングケアラー」のお話でした。


親の介護を長年にわたりやってきて、周りと違う環境、心の状態で生きてきた方たち。

高校生や僕と同世代の人の話もありました。

「大変だな」という想いと同時に僕が課題だと思っている働くサラリーマンのメンタルヘルスにも通ずるところがあると思って見ていました。


我慢強くて、真面目で人知れず頑張っている。


でもなのか、だからなのか、SOSが出せない。

人に言えない、相談できない。


番組の中でNPO法人「抱樸(ほうぼく)」の理事長を務める奥田知志さんとNPO法人「あなたのいばしょ」代表の大空幸星さんの対談があるんですが、これ、サラリーマンや会社組織にも言えるなと深く思いました。

心に刺さった文脈を抜粋して書きます。

下にリンクも張っておくのでぜひ読んで欲しいです。

話したくても話せない、頼りたくても頼れないといった「望まない孤独」
つながりは質より量

僕が目指してきた伴走型の支援は、100本の糸みたいなもので絡めて、仮に5本くらい切れたとしても変わらないというものです。しかもその糸の方向があっちこっちに広がっているから見方も自由自在。個人とどれだけつながれるか。
専門職による解決も当然必要ですが、一方でつながりは質より量なんです。この質より量という感覚が、僕はゆるやかな優しい社会のベースになったらいいなと思います。解決しないけど、1人にはしないと。


歪んだ自立主義みたいなものが生み出したのが自己責任論です。私は自己責任そのものは大事な概念だと思います。自分が主体なんだ、自分が選び取れる、これが自己責任ですから。
でもいま世の中にある自己責任は、周りが助けないための理屈です。それはあなたのせいでしょう、頑張らなかったからでしょうと。でも本音は手伝いたくありません、関わりたくありませんということです。
人間が自立して生きていくためには、依存先をどう増やすかということがもう絶対的な条件です。助けてという言葉はみっともないとか、情けないとか、恥ずかしいとかみんな言うけどそんなことはない。僕から見たら最も人間らしい言葉です。
私は「助けて」のインフレを起こした方がいいと思う。災害時などいざとなったら助け合おうと言うけど、日ごろ助け合っていない人がいざという時に助け合うはずがない。こんにちは、さよならの代わりに、助けて、また今度みたいな、そんな社会をつくったほうが早い。
一番大事なのは解決してやろうと思わないことですね。俺がなんとかしてやるというのは、特に傷ついた人たちはものすごく敏感に“上から目線”はわかってしまいますから。
特に周りの多くの人たち、日常を共有している人たちはつながるというアプローチで勝負してほしい。事実は何かという探求なんかはどうでもいい。それよりもその子がその日しゃべった、その子が話をしたということに価値を置いてほしい。
だからあまり詰めない、そしてあまり解決を求めるプレッシャーをかけないという、とにもかくにも「つながる」ということがやはり一番大事だと思いますね。
言葉に出さなくても、「お前のことちゃんと見てるで」という、だからこそ何かあったときに「すごく深刻な顔してるよ、なんかあったの?」みたいな話ができるわけで、見てくれてるというのはやっぱりとても大事なことですよね。


「なんとか解決したい」ではなく、「ちゃんと見てるで」のスタンス。
ほんとに大事だなと実感し、家族で涙しました。


こういう番組を見たあと、ひとりでふと考えに浸る時、僕にできること、今すぐできることは何だろう。と前向きになれたりするんですよね。

GW最終日のサザエさんで月曜日イヤイヤシンドロームが始まり、ああ・・・また明日から怒涛のような日が始まるかと思うと、いろんな人の顔や発言が嫌でもループするんですが、そういう他人軸になっているマインドを超越する思いがこみ上げてきて一気に元気にさせてくれるんですよね。


この気分なんなんですかね。

うまく言えないんですが、日々僕たちが接している問題や課題に対しても前向きに取り組もうと思わせてくれる想いがこみ上げてきて、いやな人とかの顔や発言がとてつもなく小さくなってどうでもよくなる瞬間。手放せる実感をまとう瞬間というか。


この瞬間、その実感めちゃくちゃ大事だと思うんですよね。


明日も早いので寝なきゃいけないのに目が覚めてしまうというか。

疲れが吹っ飛んでしまうというか。

いい意味で。

おやすみなさい。

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