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20年経っても、社会は変わっていなかった

数年前、難病のこども支援全国ネットワークのチャリティーウォークで、日本にNICUを持ち込んだ仁志田先生と、山梨県は北杜市の道を歩きながら、なぜ先生が難病のこどもたちのための宿泊施設づくりに参画したのか、伺っていた。その中で、強烈に印象に残っているのは、以下のような趣旨の言葉である。

1/3の赤ちゃんは助かる。1/3の赤ちゃんは助からない。残る1/3は、重度の障害が残るが助けることができる。ただ、助けたとしても生きていくにはとても苦労することから、非常に葛藤がある。
そんな時には、この子たちが成人する頃には、世の中が変わって、この子たちが生きやすい世の中になっていることを期待して助けてきた。しかし、20年が経ち自分自身が定年してみても、世の中は変わっていなかった。だから、遅いかもしれないが、今できることを始めたんだ。

こういう世の中になったら良いな、と期待することは誰にでもできる。しかし、期待しているだけでは世の中は変わらない。誰かが、変えようと動かなければ、世の中は変わらない。考えてみれば、当たり前のことなのだが、自分は自分のことに精一杯で、誰かがやってくれるだろう、と思ってしまうのが、人間の性である。

しかし、本当に世の中を変えたいと思うのなら、自分で宣言して始めてみるしかない。そのための時間を割かなければならない。そうしているうちに、仲間が見つかり、活動を大きくしていくことができる。

難病のこども支援全国ネットワークのみんなのふるさと“夢”プロジェクトは、まさにそんなプロジェクトである。初めは、数名の有志で始まった活動が、地元の人々を巻込み、徐々に大きな活動へと発展している。

やばい。2年間、大したことをしてこなかった!

日本AS友の会は、2年に1回開催される強直性脊椎炎の国際患者会に参加している。2016年10月には、モスクワで開催された強直性脊椎炎の国際患者会に参加し、欧米各国の活発な活動に驚かされた。とは言え、日本の患者会は兼業で、手弁当で運営されているのに対して、特に英米はNPO専従職員がおり、資金調達も十分にできており、活動ができて当たり前じゃないか、という気持ちもあった。

しかし、2年後の2018年10月に、広州で開催された国際患者会に参加して、前回のホスト国のロシアや、今回のホスト国の中国、地中海の島国キプロスなどの第三諸国の活動報告を聞くうちに、兼業や手弁当を言い訳に、新たな取組みができていない日本の状況に危機感を感じた。

そこで、帰国後、直ぐにTwitterのアカウントを取得して情報発信を開始し、翌2019年には、患者による患者のための対話集会「ほしの会」を始めた。そして、今年、RDD2020に参画し、「ほしの会」第2回として、RDD 適職 in 東京「難病と就労を考える」対話集会&講演会をやってみることにした。

患者会の高齢化が進む一方で、診断期間の短縮や、ライフイベント支援など、働き盛りで発症した患者さんをサポートするための施策に取組んでいきたい。

20年後、自分の子ども達が大人になる頃に、後悔しないために。

そんな想いに共感して頂ける方と、RDD 適職 in 東京「難病と就労を考える」対話集会&講演会で出会いたい。参加登録はこちら。

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<謝辞>写真は、みんなのふるさと“夢”プロジェクトを支援されている小口先生のホームページから借用させて頂きました。有難うございます。


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