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幸せ気分にしてくれたパンの話

子どもが日曜日に発熱した。

熱以外は至って元気。むしろいつもより元気。

日中暑かったからかな、暑い日と寒い日交互に続いたからかな、一晩様子見ようか。

などと夫と話して就寝。

しかし、翌日も午後になると熱が上がる。

変わらず症状は熱のみ。

機嫌は良いけど熱だけって、逆に心配になる。

でも病院に行くにしても、緊急事態宣言解除されたとはいえ、従来通りで果たして良いのか❓

色んな意味で感情が一瞬のうちに忙しくなる。

小児科のホームページを見て、電話で問い合わせして、教えてもらった通りに予約して。

夫も休みの日で、一緒に病院へ。
付き添いできるのは、三密対策で親1人のみ。

病院行く、と言っていた我が子。

ところが久々の病院を目の前にして「やっぱりいやだぁぁぁぁぁあああ〜❗️」と逃げようとする。

もう3歳代後半。骨太男子。

アラフォー母も「大丈夫、お注射はないよ(たぶん)」となだめながら必死に追いかけてつかまえる。

あーあ、朝鼻血出したのが興奮したからまた出てきちゃって。

状況は極めて動だが、心の中は無の境地である。一種の防衛反応。

「既に力じゃ敵わなんなー…思春期どうなるかなー…」と我が身と精神の激しい消耗を感じながらまだ少し遠い未来に意識を置いていると診察室へと誘うアナウンスが。

おお、かみ、よ。

さらなるギャン泣きと、診察室から脱走しようとする新技も披露してくれた我が子。
キミ以上に母は泣きたいし逃げたいよ。と思いながら先生と診察に必要な情報を交わす。

あとは処方箋をもらうだけ。子も母も待ちに待った解放の瞬間だ。
「ちょっと外出てきます!」
子を神輿の如く担ぎ、外まで泣き声が聞こえたのだろう、出入り口で待機してくれていた夫にバトンタッチ。

戻ると静寂。ひたすら周りに頭を下げる私。
他の子も具合が悪くて来ているだろうに。
ギャン泣きで悪化していませんように。

薬局で薬を受け取り、ボロボロになりながら車に戻って来た私は、朝から帰りに行きたいと密かに思っていた場所があった。

病院近くのパン屋さん。

日中は至って元気だが、夜は変な時間に泣いて起き、テンション高めに夜食や水分を要求し、静かに寝ていればそれはそれで気になり起きてしまい。日中もその元気さのあまり、本人は外に出たがるか要求に応じるわけにもいかず、病人なのに有り余った体力の相手をさせられる。
最近は体調を崩す事がなかったので久しぶりの看病が身体に堪えていた。

そんな中の希望の光がそのパン屋である。

リーズナブルな値段の割に種類が多く味も良い。我が家からは少し離れた場所にあるが地元では評判のお店である。

『帰りにパン買おう。』

念仏のように唱えながら現実を乗り越えた。

そしてここでも密対策の為、夫と子どもには車で待機してもらいいざ店内へ。

1歩踏み入れただけでここは楽園かと思う。

夫のリクエストのハードパンは私の好きなパンの2つ分の値段だが、値段でフェアにするとそれでは文句をブー垂れる事は明らかだ。
仕方がない、値段ではなく個数で揃えることにしよう。
以前の記事で夫に対して感謝しかないと書いておきながらこれである。仕方がない、主婦なのだから。

子どもにはみんな大好きアンパンマンパン。

明日の分も含めて食パンも欲しいが、それはカフェラテと一緒にコンビニで買おうか。。
あとはサラダを作るだけで🆗。

それでもトレーが密になるくらいの数にはなった。

頭できちんと考えていたつもりだったが会計待ちの間に種類を見直すと甘いパンが多めであった。

今日の疲労具合を物語っている。

カフェラテは明日に回してブラックコーヒーにしよう。

などと組み合わせを考えるのも楽しい。

けっこう買ったがそれでも1000円とちょっと。

パン屋のユニクロだな。

子は車内で時々ぐずりつつも、パンは家で、の約束をきちんと守り帰宅。(えらい)

サラダを作りコーヒーを入れハードパンと塩パンはほんのり温めて、幸せの再来。

あんドーナツとメロンパンを買ったとなると、やはりブラックコーヒーが正解だった。

1口食べるごとに訪れる幸福感。
血糖値爆上がりも、今日は幸福感を増す味方だ。

久しぶりに食べてもおいしい。

値段と味だけではなく、なるべく出来立てを、多くの味をという努力がすごいのだ。
そんな作り手の思いが、波動として伝わるのだろう。

ここの名物であるメープル食パンの端っこの寄せ集めも買ったが子どもには甘すぎて口にせず。これは、今日のご褒美かしら。

ラップに包んでカフェラテと共に冷蔵庫へ。

その後も冷蔵庫を開けるたびにパンとカフェラテが目に入る。幸せの波動と共に。

子どもの熱もその夜は微熱となり、パンの余韻と共にホワホワとした気持ちで眠りにつく。

コンビニで買った食パンはコメダのトーストサンド風にして端っこはこれまたほんの少し温めて食す。

パン1つでこんな幸せに浸れる自分も単純なのかもしれない。

けれども確実に作り手の思いもこの幸せに加わっている。

良い材料や良い技術も大切なことだが、目に見えない気持ち、波動。

そういったものも今後は重視されていくのではないか。

目に見えないものによってステイホームとなった以前と今では、見えないものも感じる力の必要性を感じている。

今夜も、もう形の無くなってしまったパンを思い浮かべながら、幸せな気持ちで眠りにつくとしよう。

できたら今度は、病院帰りではなく楽しい用事の帰り道にでも。



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