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いろんなタンク

親が私のためにしてくれる、
だから私も親のために何かをしなければ

昔の私はそう思っていた。
私のためにしてくれることは時に過干渉なことも多かった。
それでも事実、私は助かっていたところもある。
でも、それに伴って犠牲もたくさん払っていた。

ふとした時にこれは過干渉では?
これは共依存なのかも、と気づく。
むくむくと湧き上がる違和感。
そして、少しずつ過干渉から抜け出していく。
親の抵抗はあった。
「俺は用無しということか」
そんな言葉を投げかけられても、自分の違和感を大切にして
自分でやっていこうと決めて、共依存と過干渉を抜けた。

愛のタンクという言葉を知ったのは2年前。

一人一人に愛のタンクを持っている。
タンクがいっぱいの時は、頑張れるし優しくできる
減ってくると、頑張れず、我慢できず、やさしくできず、やるべきことができなくなる。

P.80 世界に通用する子どもの育て方 松村亜里著

人それぞれにタンクの大きさが違うこと、満たし方、満たす量もまた子どもそれぞれに違うよ、ということも聞いた。
ポジティブペアレンティング講座

これに似たようなことを考えていた時がある。
母が亡くなったとき。
周りの大人のお母さまたちがまだまだ元気でいる様子を見て
なんで私はもう母が亡くなったんだろうと考えていた。
その時の私の考えは
私はもう十分に手をかけてもらったということ
周りの大人の人たちは、まだまだ手をかけてもらえるということ
と考えていた。
与えてもらえる総数は同じで、
たまり方が緩やかなのと、一気にたまるのかと考えていた。
今思うと、タンクの大きさが桁違いに違うのかもしれない。

似たような感じかなと思っているのは、
助けたいと思う気持ちにもタンクがあるのかなと。
周りの素敵な親子関係を見聞きする限り、高齢になった親を助ける。
助けるタンクに余裕があったり、まだタンクが満たされていなかったり、
それぞれの親子関係によるのだと思う。
私の場合は、共依存の時にタンクを満たしきったんだろうなと思う。
むしろ大人になっても返って私のエネルギーを搾取される日々だったので、
今は関わろうという気になれない。

素敵な親子関係を見ていると、自分を責めてしまうときもあるけれども、
いやいや、またあの時に戻るのか、、、と思うと
私は十分にタンクを満たしたな、と思う。

人それぞれ。
私はわたしでいいと思う。


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