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《考動記録》ターゲット顧客とは~「本音」と「建て前」~

ケンタッキーフライドチキンの生みの親の伝記『カーネル・サンダース』にこのような一節がある。
 

「もし、あなたがいいものを作ったとしたら。いや、いいもののさらにいいもの、もっともっといいものを作ったとしたら。そしてそのことに善良な心で取り組んだとしたら、あなたは成功できる。そのことはわたしが証明したはずだ。」

『カーネル・サンダース』藤本隆一(太字は原典より加工)

仮に、自分自身のゴルフレッスンサービスが、そのような「もっともっといいもの」の類のサービスだと仮定して話を進めると、実は、自分自身としては「ターゲットと思っている層」が、必ずしも最初から全てターゲットとなるのではなく、当初はより限定的な顧客層にしか価値を遡求できないのではないだろうか、ということを今は感じている。

サービスの提供サイドからいうと、いちごるレッスン(⇒私の提供するゴルフレッスンのこと)の価値の有無を分ける基準は、「ゴルフの基礎が整っているか/否か」である(基礎が整っていないなら、レッスンの効果は極めて高いハズ)。

この観点に立てば、必ずしもスコアなどを用いた定量的基準では判断できないのだが、その傾向から敢えて数値基準を設けるとすれば、週1回ゴルフの練習をし、月1,2回(年間20回程度)のラウンド機会がある人であれば、キャリア5年から10年でアベレージで85(レギュラーティ)がその量的基準の閾値となると考えている。

一般アマチュアゴルファー(学生時代までにゴルフを始めたような競技ゴルファーを除く)を対象にすれば、そのターゲット層は極めて広い、というのがサービス提供サイドの認識である。にもかかわらず、一般的な反応としては、本来対象となる顧客層のうちのほとんどの層には、そもそも価値が伝わらないことが多い。

その理由について、漠然と考えてきたけれど現段階での考えをまとめてみるのによい頃合いかな、と思うので、ここで、「ターゲット顧客~本音と建て前~」について記録しておこう。


1.最良のサービスがターゲットに刺さらないワケ~いちごるが経験するゴルフレッスンのケース~

世の中にあるものよりも、「もっともっといいもの」が出来たと確信したとしても、「思ったほどウケない」と感じているとき、何が問題か。

これは一言でいうと、経験者の「学ぶことの難しさ」にあると考えている。

最近は、「DX時代やAI時代の到来」を背景(イチゴルとしてはこの風潮自体に懐疑的なのだが)として、リスキルの重要性が叫ばれると同時に、「アンラーニング」の重要性も説かれている。

上述の「学ぶ難しさ」は、単純化していうと「アンラーニングの難しさ」ともいえるが、この説明だけではまだ真意が伝わりきらない気がするので、さらに補足をする。

ここで、以前のnoteで『経済社会の学び方』のとある箇所を引用した点が、まさにこの問題に関連するため、再度引用する。

われわれは、経験や既知の情報によって世界を詳しく、統一的に、そして実際以上に深く理解していると信じ込んでしまいがちだ。しかし実際は、溢れんばかりの情報をその上面だけに目をやりながら、単に情報を「消費」しているだけであって、物事の原理原則を必ずしも深く読み取っているわけではない。そして目にした情報をそれまで自分が持っていた情報に適合させているにすぎないことが多い。これこそヒュームが論じた蓋然的知識の因果推論である。主体とその行為の間の因果関係を事後的に理解するために、既知のアイディアや過去の思想や経験で物事を解釈してしまうのだ。

『経済社会の学び方-健全な懐疑の目を養う』(猪木 武徳著)p100-101

この小難しい表現は、イチゴルにとっては過不足なく状況を伝えてくれているので、気に入っている。
 

それでも、この意味するところを、イチゴルなりにかみ砕いて説明すると、「経験者ほど、関連する新しい情報に接しても『分かったつもりになっているだけ』であり、本当の意味で学ぶことは難しい」ということである。
 

また、ゴルフを嗜んでいくためのスキルに関していうと、「新しい方法論を実践したからと言って即座に効果が表れ、問題が解決される」というものではない。

そのため、本来であれば一定の期間、継続してスキル習得に取り組んでこそ、本当の理解が得られるはずのところ、そこに辿り着く前に、過去の自分の採用してきた方法にすがったり、不用意に既知の方法論をミックスさせてしまうことで、「真の学習」が出来なくなる。

2.ターゲットを分解し、優先順位を決める

以上のような状況から、顧客ターゲットをどうするかについて、本音と建て前を分けて考える必要が出てくるのではないか。

何故なら、たとえアベレージが85を超えている(本音ベースの潜在顧客層)としても、上述の「経験者であるが故の学ぶ難しさ」があるために、期待する成果があげられない可能性があるからだ。

本音ベースの潜在顧客層をさらに、分解すると以下の通りとなるのではないか。(その分解方法は、必ずしも論理的ではない(MECEが崩壊している)が、実用的なレベルで潜在顧客の優先順位付けには良いのではないか、と現時点では考えている)

⑴もっとも注意を要するケース~意欲的で勉強熱心で、これまでいろいろとゴルフ上達法を学んできた方~

これらの方々は、これまでの学習経験から、「自分なりにやってきて上達してきた自負」があったり、既に「自分なりのやり方が(部分的にでも)確立されている」場合が多い。しかしながら、「基礎が出来ているか否か」の観点で、「否」である場合は、それらの学びの結果を「全て捨て去る」必要がある。

そして、これが殊の外、難しいらしい。
(本当に難しい)

この層にスキルを伝える場合は、その方法は、多様な考え方を認めない絶対主義的な印象を受講生に与えかねない。(たとえば、「その方法は今はやらないで下さい。この方法をやってください。でないと、あなたのゴルフは一生変わりません」というようなスパルタ指導の印象を与えかねない。)

なので、この層にレッスンを案内する場合は、今までのやり方を全て捨てきる覚悟と、新しいやり方を吸収する忍耐が必要なことを理解してもらう必要がある。

ただ、これらの方々がレッスンを受ける価値としては、そのアンラーニングの難しさと格闘でき、「本当の意味での学び」を体験できる可能性がある点では、他の方には得られないものになると思われる。

⑵その次に注意を要するケース~どのような状況であれ、ゴルフを既に「楽しんでいる」と思っている方々~

これらの方々についても、「自分なりの楽しみ方」という、ある種の学習が完了しているといえる。そういう方にとっては、「すでに楽しいその遊び方」をわざわざ変える必要はないだろうし、そのためのコストとしてはイチゴルレッスンの料金は「高すぎ」て得られる価値に見合わない、と思われる可能性が高い。

さらに、いちごる式を吸収するためには、「自分なりの楽しみ方」を捨てる必要が一時的にであれ生じるため、それを貫徹することが難しく、結果的に「真の学習」が完結しない、というリスクがある(そうすると、意図せず顧客満足度が下がることになる)。

それでも、この層に価値を遡求するのであれば、

  • そのゴルフとは違うゴルフの楽しみ方があり、それは例えていうと、今やっているゴルフがギャンブル(たまに勝つけど、基本的に負けるゲーム)だとしたら、いちごる式ゴルフは、ヨガやサウナのようなもの(基本的いつも「整い」、ココロが豊かになるのを感じるアクティビティ)であること

  • もしくは、ファストプレーを実現し、どのようなレベルの方とでも、気持ちよくラウンドしていくためには、いちごる式が着実に、最速で上達できる方法であること

などについて一考してもらうことくらいだろうか。

⑶本当はイチゴル式に参画してほしいけど、「今すぐ」ではないケース~ゴルフに対してマイナスのイメージがある方~

  • ゴルフは一度レッスンまで通って始めたけれど…自分には向いていないと思ってやめた

  • 今でも、誘われれたらゴルフに行くけれど、正直ゴルフの面白さが分からない。ゴルフの時は自分を殺して時間が終わるのを待つ。(もう辞めることができるなら、辞めたいと思っている)

という、ゴルフに対して「マイナスのイメージがある」方々に伝えたいのは、

「本当は、アナタが悪いわけではない。そして、ゴルフが悪いわけでもない。ただただ、今の環境※が悪いだけなんです。」

ということ。

※一般的なレッスンのクオリティ、YouTubeで上手くなる人もいる事実、ゴルフに積極的に取り組んでいる人たちのゴルフに対する接し方自体がそもそも万人にフィットするわけではない事実などなど。上達や楽しみ方の方法論上の問題により、多くの人がゴルフに挫折する環境になっていると、イチゴルは考えている。

より多くの方がゴルフを楽しめる、本当の楽しみ方は他にもある、と僕は思っている。ただ、今はまだ実績のないイチゴルが、どんなに声高にそれを叫ぼうとも、それは単なる「顧客獲得のための売り文句」としか、捉えられないだろう。

また、ゴルフに対しての期待も、自分自身の腕前に対する自信も失ったままでは、どんなにこちらが新しい世界への入り口を提示したところで、怖気づくのも無理のないことだと思われる。

これらの方々が、勇気のある、小さくとも価値ある一歩を踏み出してくれるとしたら、それはいちごる式の受講生の立てくれる評判が彼ら/彼女らの琴線に触れる時だろう。

ただ、口コミは「口コミをお願いする」ことでは、口コミとなり得ない。

 受講生には、ただただゴルフを通じて豊かな人生を送っていただきたい。それがきっと世界を変えていくのだと思う。

⑷最も満足していただけそうなケース~ゴルフに興味があり、やるからにはキチっとやりたいと思っている未経験者~

もはや対象はゴルファーではなく、ゴルフ参入前の方々なのだが、これまで接してきて、最も効果が確実だと思うのは、「なんらの学習経験もない」方々。

未経験者の中には、いちごる式のレッスン料金が問題となる可能性は否めないが、それでも、パーソナルトレーニングなどとの料金の比較や、語学や楽器をスキルとしてキチっと習得していくためには一定の時間的・経済的コストがかかることを理解してもらっている方にとっては、案外いちごる式の提示するサービス(料金面だけでなく、それによって得られる価値)を、有難いことに評価していただけていると考えている。

ゴルフを通じて得られる体験(ゴルフそれ自体の楽しさ、家族との新しい時間、旧友との再会、新たな出会い、etc.)をいかに未経験者に理解してもらうか。

ここに一番フォーカスすべきではないのだろうか、と今は考えている。

3.そもそも顧客は「ターゲット」なのか?

タイトルから「ターゲット」と書いているが、個人的にはこの言葉はサービスを届けたい相手を表す言葉として適当でないため、このまま終わると頭に引っかかったままになるので、補足しておく。

「ターゲット」という言葉は、ひょっとして、日本語にすると「標的」となるのだろうか?そうだとしたら、「猟銃で撃って、ジビエを食らう」的なターゲットのように聞こえてしまう。

この場合のターゲットは狩猟する側にとっては、美味しいものだけど、撃たれる側にとってはそうではない。(カモにされている)

おそらく他の多くの誠心誠意込めたプロダクト/サービスを提供しようとしている人たちも同様であろうが、僕らは、それら自慢のプロダクトやサービスを提供することにより、「人の役に立てる」と思っているし、なんなら「その人の人生を、そして社会をより豊かに出来る」と考えているはず。

そう考えると、「ターゲット」顧客というのは、いよいよ用語として不適切な気がしてくる。

スターバックスが、社員や従業員と言わずに、会社の「パートナー」と言ったことを拡大解釈して、プロダクトやサービスを愛用してくれている方がたは、それを通じてプロダクトやサービスがより広く浸透していくプロセスに参画していただいているという意味で、やはりパートナーと呼ぶのがふさわしい気もする。

顧客はパートナーであり、世にいうターゲット顧客は、僕にとってはあくまでも「潜在的パートナー」と理解したい。

4.ターゲット顧客改め、潜在的パートナーについて考えたことで気付くこと~仕事のポリシー~

潜在的パートナーについての本音と建て前について考えを言葉にしてみたら、自分のやろうとしていることについての理解が深まる思いでいる。

それは、僕がやろうとしていることが、ゴルフに携わる人のうちで、ゴルフに関する満足度合い(10段階)で、5~8もある人を、さらに上に導くことではない。

まずはゼロ(未経験者)をイチに、そして出来る限り苦労なくその先へ導くことであり、またゴルフに対するマイナスのイメージを持つ人を、プラスの気持ちにすることなのだと思っている。

僕自身が個人的に感じていることは、ゴルフに触れたことがある人を100人集めたとしたら、そのうちの70人は今、ゴルフをしていない。

そして残りの30人のうちの20人はゴルフに消極的にしか参加していない。これらの人々は、仕事や交友関係の付き合いでやっており、ゴルフをするときは普段の自分らしさが影を潜め、何かしらのストレスを感じながらやっている。

最後の10人が積極的にゴルフに取り組んでいるが、幸せか?というとそうでもない。中には上手くなれずに悪戦苦闘している(スイング迷子、レッスン迷子)かもしれないし、練習しすぎてケガに悩まされているかもしれないし、良いクラブに活路を見出し何度も高いクラブに手を出しては夫婦喧嘩の原因となっている人もいるかもしれない。

その様子を少しでも感じ取った未経験者は、参入に二の足を踏む。

これでは、ゴルフはみんなが楽しめるスポーツではなく、単に一部のマニアが熱心にやっている「排他的スポーツ」(マニア級の気持ちを求められるスポーツ)であり、うっかり参入してしまった人は付き合いで自分らしさを押し殺して耐え忍ぶ「怖いスポーツ」だという印象を与えているのではないだろうか。

僕が目指しているのはそんな世界とは訣別すること。

100人参入したら70人が離脱してしまうスポーツではなく、95人は楽しく続け、残り5人は(仕事の繁忙期や育児のひと段落など)環境が整えば、また戻ってきてくれるようなスポーツにすること。

30年後、50年後の世界はどうなっているか分からない。

けれど、かつての偉人もこう言っているではないか。

「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」 

アラン・ケイ


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