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《考動記録》読む本を選定する時の「自分の中の羅針盤」とは
19世紀のドイツ人哲学者ショウペンハウエルの『読書について 他二篇』という抄訳(?)を読んで、読む本の選定の際の「自分の中の羅針盤」について考えたことを残しておく。
(なお、この本は、他にもいろいろと思索を重ねたい材料の宝庫であったので、その辺りは別の機会にまとめることとする)
著者は、「良い読書をするには、まず悪書を読まないことである。」という。また、読書は思索の材料として読むべきで、そうでない読書を続けると単なる「頭でっかち」になりがちで、害悪にすらなるというようなことを述べている。
この本の中で言われる「思索」とは、文中の記載から解釈するに、「世界という書物を読破しようとする行為」であると考えている。(p.7などから解釈)
そして、思索をする人は、(まだ未完成だとしても)自分なりの思想をもち、それゆえに、その思想に照らして、それをブラッシュアップしていくために必要な材料は何かという点で、自分なりの尺度があることから良書を選定できるのだ。
本の選定における自分の中のいわば「羅針盤」を持っているのだ*。
*この比喩は、同書でも出てきたように思われるが、該当箇所が特定できていない。どこかで確認出来れば引用箇所を明示したい。
『読書について 他二篇』を自分なりに解釈する限りでは、僕自身はどうやら「思索する者」であるようだ。(違っていたら、ゴメンなさい!)
そこで、僕が本を選ぶ時の「自分の中の羅針盤」に照らして、どのように読みたい本を判断してきたのかを以下に記載する。
本を選ぶ時の「自分の中の羅針盤」
「自分の中の羅針盤」は、これは的確に伝えるのがなかなか難しいのだが、敢えて言うなら、
「自分が〈自分の思想〉についての本を書くとしたら、こういう風に書きたい(書くだろう)」
と思えるかどうか。
僕自身は、ひょんなことから複業でゴルフレッスンをはじめそのメソッドを体系化していく中で、いつの頃からか、それは単なる技術的なノウハウを超えて、一つの思想体系に昇華しつつあると感じている。(実際にその一部はWeb版いちごる(☞LINK)として表現している。)
この「いちごるの体系」がその姿を現しつつある頃から、上述した「僕だったらやっぱこう書くよなぁ」と思える本は、ダントツに含蓄に富んでいたし、そういう本こそ繰り返し読みたい座右の書なのだと考えるようになった。
これまでそのように思えた本を10数冊、【いちごる読書note】としてしたためてきたが、以下にそれらに横串をさすかのように、「自分の羅針盤」にどのように合致したか、という点を述べたい。
①『問いこそが答えだ』~世紀の大発見~
この本の序盤の記載、
人が本を書きたいという衝動に駆られるのは、見ず知らずの人たちに何時間もかけて何万語もの言葉を読んでもらうに値するだけの重大な発見をしたと思うときだろう。そしてその発見に世の中のほとんどの人が気づいていなさそうだと、感じられるときだ
この記述を読んだとき、まさに同じ想いだったので、もしも僕が本を書く時はこのように書き出したいと思った。「いちごる体系」は、ほとんどの人が気づいていない、しかもそれが広まれば人々を豊かにできる、という内容だと確信している。
②『習慣超大全』~自分に今何かあったらどうしよう~
こちらの本にはいくつも「自分が本を書くならこんな感じに」と思う箇所はあったが、➀との関連で取り上げるなら次の叙述である。
ある時著者は、「飛行機事故で亡くなってしまう」悪夢を見たという。その時最初に思い至ったのが、今自分が死んでしまうと、今取り掛かっているその取り組みが世に広まらないままになってしまう。「本を書かねば」と。
①のように「世の中のほとんどの人が気付いていない大発見をした」と思うならば、このように「今、自分に何かあったら、どうしよう?(せっかくの発見が世に残らない)」と思ってしまうのも当然なのではないだろうか。
③『ジョブ理論』~天動説vs地動説~
こちらの本で取り上げるのは以下の記述。(もちろんこの本の中にも「言いたいことは本質的に同じ」箇所はたくさんある)
ジョブ理論のレンズを通してイノベーションを見ると、その中心にあるのは、顧客ではなく顧客の片づけるべきジョブである。(かつての差はごくわずかに―円弧の1度の60分の何度かに―見えるかもしれないが、このちがいは大きい。それがすべてを変えるのだ。
これは要は①の「世紀の大発見」とつまるところ同じ。
違いは小さく見えても、長期的なインパクトは全く異なる、という意味で、僕も同じ気持ちでいるし、実際にいちごるレッスンを説明するときにこのように説明をすることもある(が、多くは「???」という反応になる)
④『経営者の条件』~確固たる体系の持つパワー~
③においてクリステンセンはその体系について確信を得たことから、「天動説と地動説」に例えたのだと思う。
そんな「確固たる体系の持つパワー」に気付いた人であれば、ドラッカーの次の言葉は、きっと心に響くだろう。
体系は先人の力を借りて常人を助ける。常人に対し成果を上げる能力を与える。有能な人間に卓越性を与える。
⑤『コーチングのすべて』~1冊の本になっちゃう~
この本を書いた理由―それは、私たち自身がこうした本が必要だと考えていたからです。『コーチングとは何ですか?』と尋ねられるたびに、私たちは考えなければなりませんでした。『その質問に答えるには一冊の本が必要です」と私たちはよく言っていましたが、その〈一冊の本〉が、まさに本書なのです。
僕自身もゴルフの楽しみ方について問われるならば、同じように回答するしかない。このように言い切る本であれば、どんな分野の本であっても、僕は読みたい。そこにはその分野における筆者の確固たる思想があるはず。
⑥『成功曲線を描こう』~1冊の本になっちゃう2~
⑤とほぼ同じことが書かれているのはこちら。ちなみに、この本こそが、「自分の中の羅針盤」に最初に導かれた本であった。
「成功するために必要なことは、実はひと言では言い表せません。だからこの一冊のボリュームになった、と考えてもらうとよいでしょう。」
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このようにして「自分にとっての良書」に巡り合ってきた経験を踏まえると、
『読書について 他二篇』の以下の記載に触れる時、「ふむふむ」と思うし、「そうだ、物事の本質は同じ、ってこういうことだ!」と自分の中の確信が深まるのだ。
(思想家たちは)自分なりに思索するにもかかわらず、すべての思想家の間には基本的な一致点があり、相互間の相違はただそれぞれの立場の相違から来るにすぎない
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