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【いちごる考動記録】一般アマチュアゴルフ界の「隠れた真実」とは

ピーター・ティール氏はその採用面接において次の問いを投げかけるらしい。

世の中のほとんどの人が信じていない大切な真実(=隠れた真実)とは何だろう

『ZERO to ONE』ピーター・ティール著、NHK出版、2014年、p22

これに答えるのは、そんなに簡単なことではないようだ。スタートアップ業界において「ハイテクバブルの崩壊」の要因についての誤った認識から、誤った常識が形成されたと、ティール氏は指摘している。その内容は以下の通りであり、これがまさにティール氏の考える隠れた真実である。

①小さな違いを追いかけるより大胆にかけた方がいい(アンチリーン思考1)
②出来の悪い計画でもないよりはいい(アンチリーン思考2)
③競争の激しい市場では利益は消失する(イデオロギーとしての競争の否定)
④販売はプロダクトと同じくらい大切だ(アンチプロダクトアウト思考)

『ZERO to ONE』ピーター・ティール著、NHK出版、2014年、p41(かっこ書き筆者追加)

これはティール氏のスタートアップ業界についてのモノの見方であるが、彼がこの本で伝えたかったことは、そのような「知識」を与えたかったわけではなく、考えるための訓練としての思考プロセスを提供したかったのだと思われる。(*1)

僕自身が、副業でゴルフコーチをしてきた中で感じていた、「なぜ、今の一般アマチュアゴルフ界はこのような状況なのだろう?(もっとよくなるはずなのに)」という疑問は、ティール氏のこの《隠れた真実に焦点を当てる問い》によって、一般アマチュアゴルフ界という小さくとも僕にとっては重要な世界の見え方が明確になった。

それらを列挙すると以下の4つでり、これらは全て誤った常識だと考えている。

①上達しないのは努力不足説
②上達しなければ楽しめないという思い込み(上達必要条件説)
③上達を定量化された指標(スコアや飛距離など)で測ろうとする(定量化至上主義)
④ゴルフは時間・お金がかかるという思い込み(コスパ/タイパ最悪説)

これらが、ゴルフをしている人たちが、僕の見たところそれほど幸せそうには見えない(中には楽しんでいる方も当然いるが、挫折感、自己否定感、「周りに迷惑をかけてしまっている」という罪悪感がある)理由であり、また未経験者がゴルフを始めることに対する尻込みに繋がっていると考えている。以下で一つずつ内容に触れていこう。


①上達しないのは努力不足説

これはあくまでも相対的な話であるが、本当は多くの方々が取り組まれているほどにはゴルフ上達のための努力は必要はない。何が問題かというと、ゴルフレッスン業界において「上達のためのプロセス」についてのコンセンサスが存在していないことによる。

本来は、「ゴルフ上達のために習得すべきコト」と「それらの習得の仕方」は分けて考えられるべき、すなわちコーチ側の目線でいうと、「教えること」と「教え方」は分けて考えられるべきであり、「教えること」については一定のコンセンサスが必要だと考えている。

これは例えていうのであれば、いずれ数学の道を進むのであれば、未就学の児童に最初に教えるべきは四則演算であり、「割り算は難しいから必要ない」とはならないのと同じである(四則演算は教えるべきコンテンツとしてコンセンサスがある)。

一方で、「教え方」については、個々人によってどのように表現したらいいかなど、一定の自由度があるものと考えられる。(四則演算でいえば、足し算をリンゴで例に説明しようが、みかんで説明しようが、どちらでもよい)

ではなぜ「ゴルフ上達のためのプロセス(習得すべきコト)」のコンセンサスが存在しないのだろう?

それは、基本的にはゴルフコーチをしている人は、ゴルフが得意だったからコーチをしているわけで、得意な人にとってはある程度どんな方法でも上達するわけで、そうでない人が採用した場合に十分にスムーズに習得できない方法も多く含まれているからだ。

要は、基本的に得意な人たちが、自分なりの方法で教えていて、それによって上達できる人たちは、やはり一定の(というかかなりの)センスがある人たちになってしまっている。(*2)

本来は重要なことを、適切な順序で習得すれば(そしてこれに加えて、個々の要素を関連付けて習得すれば)、今よりよほど多くの人たちが苦労なく上達できる、という意味で、ゴルフは考えられているほどには上達のための努力は不要である。

以上から、今の一般アマチュアゴルフ界における常識
「ゴルフが上達しないのは努力不足」
は本当はそうではなく、むしろ
正しい上達プロセスに則れば、努力はそれほど要らない
というのが、僕の考える隠れた真実の1つ目である。

②上達しなければ楽しめないという思い込み(上達必要条件説)

誰しも最初は「ゴルフが楽しい!」と思えたからこそ続けるわけであるが、それがいつしかスコアや飛距離などを含めた成果が得られることが、楽しい理由だと考えるようになる。

目標を達成する快感、成長している実感を得られるところはゴルフをすることの醍醐味の一つではあるが、この考え方は「上達しないと楽しめない」という考え方に取って代われやすいので注意が必要だ(上達必要条件説に陥る)。

上達することを目的化すると、楽しむためには上達実感が必要⇒上達するためには努力が必要(①)⇒誤った方法論ではしばしば努力が裏切られる⇒上達しないのは努力不足(①)⇒私にはセンスがない(自己否定感)⇒センスがないのを努力でカバー、という無限ループに陥っていく。

ゴルフは繊細なスポーツだから、「自分は下手⇒ボールにちゃんと当たらないかも」という不安な想いでやっていると本当に当たらなくなることも、また事態を悪化させる。

「上達しないと楽しめない」のではなく、本当は正しいプロセスを取れば、そもそもゴルフ自体が楽しくなる⇒楽しいからこそ、ゴルフに触れる時間、ゴルフのことを考える時間が増え、結果的に上達する⇒上達するからより楽しくなる、という好循環が生まれるはずなのである。

上達することがゴルフを楽しむことの必要条件なのではなく、ゴルフの本当の楽しみ方を知れば、結果的に上達するのである。

③上達を定量化された指標(スコアや飛距離など)で測ろうとする(定量化至上主義)

②の上達必要条件説からは、ほぼ必然的にこの定量化至上主義の考え方が生まれることになる。それは、上達を目的とした場合、その成果を数値化することで可視化し、いわゆるPDCAサイクルによる仮設検証を進める人が実に多いからだ。定量化することを全否定するつもりは全くないが、問題は定量指標が結果(方法論が正しいかどうか)の測定のための手段ではなく、目的化することが多いことである。

例えば、「スコア」も数値化された定量情報の一つであるが、熱心な人ほど「1年以内に100切り達成」という目標を掲げやすい。だが、同じ100切りにも、「ゴルフの質の高い伸びしろのある100」と「ゴルフの質が低いたまたま達成できた100」が存在することは、通常はそんなに意識されない。
スコアという数値で表現された瞬間に、その質的な内容が無視されやすいということである。(いろいろなクラブを使ってOBあり、チョロありの凸凹ゴルフで100なのと、ドライバーと9アイアンだけで回って、基本的にはナイスショットを重ねての100のどちらが質が高いかを考えてみて欲しい。)

また、飛距離(ヘッドスピード)もしかりである。より遠くに飛んだ方がスコア(上達)に繋がる、と考えて、闇雲に力いっぱい振っていては、瞬間的に最長不倒の飛距離を達成できたとしても、ゴルフスイングは崩れ、安定した質の高いゴルフは望むべくもなくなるだろう。

数値化(定量化)は分かりやすさ故の安心感はあるが、ゴルフの質(これをQuality of Golf;QoGとよんでいる)こそが大切なのである。

④ゴルフは時間・お金がかかるという思い込み(コスパ/タイパ最悪説)

①~③の考え方が相互に影響し合った結果、未経験者にとってのゴルフのイメージは、「コスパ悪そう…」となる。

これは、そもそもゴルフというスポーツが、

  • 経験者からの「ゴルフは人に迷惑をかけたらいけないから、上達しないといけない。だから努力が必要」のアドバイス

  • ゴルフスイングは人それぞれ。だから自分に合ったクラブを探す必要がある、ということでしばしばゴルフクラブを買い替えているという人がいる

ということを聞きつけて、道具にかかる費用だったり、1回当たりのラウンド代(約20,000円前後)から絶対額として「支出が多い」というイメージがそもそもある。

さらに、それから得られるものは何かというと、「ベストスコアが出て週末のゴルフは最高だったぁ」という感想を聞く一方で、

  • たくさん練習して(時間とお金をかけて)臨んだラウンドから帰ってきた旦那はなぜか不機嫌というケースがしばしばあるらしい

  • 調子が悪くて仲間とのラウンドを途中で放棄して帰ったという都市伝説があるらしい

  • 先日の不調だったゴルフに未だに憑りつかれてずっと後悔している人がいるらしい

  • 「もうゴルフやめようかな」と心が折れてしまった人がいるらしい

といった噂を聞いた人は、「ゴルフから得られるものって何なんだろう?」、「なぜそこまでするのか?」と思っているのではないだろうか。

本当はこの状況は改善しうるはずだ。

①の問題に戻れば、本来は正しいプロセスを踏襲出来れば、ゴルフを楽しむためにはそれほどの努力を要しない。②の観点からは、楽しむためには上達しないといけない、のではなく、楽しいから結果的に上達する。③そもそも楽しさの定義はスコアで評価されえない。スコアが良いから楽しいのではなく、正しいゴルフができればそれは楽しく、結果的にスコアもついてくるものなのである。

このような形でゴルフを嗜むことが出来るようになれば、たまの休日を広大なゴルフコースでカラダを動かす爽快感、ちょっとよさげなゴルフ場を選んで得られるいつもとは違う非日常感は、未経験者の想像以上だと思われる。

何よりも、ゴルフを通じた、家族との特別な時間、旧友との再会、新たな出会いなどなど、心豊かな体験が待っていると思っている。

ゴルフに対する誤った認識やマイナスのイメージがなくなり、ゴルフから得られるプラスの側面が一層認知されればゴルフ=コスパ悪いではなく、「みんなやっているから私もやりたい!」と思える今考えられている以上に価値あるスポーツになると信じている!


*1 この点に関しては、同書に以下の記載がある。

次世代の企業を築くには、バブル後に刷り込まれた教義を捨てなければならない。ただし、すべてを逆にすればうまくいくというわけでもない。イデオロギーを否定したところで、群衆の狂気から逃れらるとは限らない。むしろ、こう自問するべきだ。ビジネスについて、過去の失敗への間違った反省から生まれた認識はどれか。何よりの逆張りは、大勢の意見に反対することではなく、自分の頭で考えることだ。

『ZERO to ONE』ピーター・ティール著、NHK出版、2014年、p41

なお、『Zero to One』を読んだ感想として以下noteでも紹介している。

*2 これに似たようなケースとして、クレイトン・クリステンセン氏はその著書『教育×破壊的イノベーション』において公立学校の科目教育がうまくいかない理由を以下の通り分析している。

たとえば国語の題材は、明らかに言語的知能との関わりが深い。当然ながらこのタイプの知能を持つ生徒が、国語の成績優秀者の大半を占める。そしてこの科目を大学で専攻することを選び、この分野の教職の道を選ぶのが、かれらなのだ。試験問題は、教科書が執筆される方法を通じて、特定の知能と結びついていることが多い。そしてその教科書を執筆しているのが、その特定のタイプの知能に優れた専門家である。その結果どんな分野にも、カリキュラム開発者、教師、そしてその教科の最も優秀な生徒からなる、「知識派閥」が出現している。・・・中略・・・こうした知識派閥も、自分たちの共有する思考パターンが、他のタイプの知能に優れた人たちをどれほど締め出しているかに気づかないことが多いのだ。

『教育×破壊的イノベーション』クレイトン・クリステンセン、マイケル・ホーン、カーティス・ジョンソン著、翔泳社、2008年、p38

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