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「悪い音楽」 九段理江先生

※ネタバレを含みます。閲覧にはご注意ください。
※あくまで個人の感想・書評です。

・第126回文學界新人賞受賞作
・約133枚


音楽の才能をもち、人の心がわからない主人公

 音楽家の父をもつ音楽教師の物語。音楽的な才能は持つものの、人の気持ちを考えることができない主人公を描いた作品です。

 第一印象としては、キャラクターの作り方が王道だと思いました。
 主人公の「人の心がわからない」という性質を際立たせるために、作品冒頭の「あーあ」というセリフだったり、同居人に必要のないことまで打ち明けて軽蔑されてしまったりと、人との距離をはかりかねている要素が散りばめられています。
 特に「表情筋を鍛える」という行動は、「表情は自然とつくられるものではなく、努力してつくるもの」という主人公の認識を示唆していて、いい意味で気味の悪さを感じました。「表情をうまくつくれないから無表情でいよう」という気持ちのいい開き直りではなく、「表情をつくったほうがこの世の中ではいいんだよね?」という、ある種の真面目さを感じるところがまた気味が悪い。文化祭の特別演奏で使う楽器をわざわざ海外から取り寄せて練習に励むなど、この「フツーの人とはちょっとズレてて、なんか怖い」が作中ずーっと表現されているのがよかったです。
 音楽の才能がないが、心をこめて合唱に取り組もうとする生徒の登場から、物語は終盤に向かっていきます。その生徒は主人公と同じく名前に音楽用語が使われているのですが、その性質は全く違う二人の対比がわかりやすく書かれており、主人公の異常さがしっかり描写されている印象でした。

人と芸術作品は切り離されるべきか否か?

 この作品を読み終えたとき、「価値を感じるポイントは人ぞれぞれなんだよなぁ」と思いました。
 主人公は「音楽を素晴らしいものにする」ということを重視する価値観を持っているだけです。文化祭の特別演奏でも、「子どもたちに素晴らしい音楽を伝えたい」という熱意をもち、生徒の合唱においても「音痴の生徒がいようが、なるべく聴ける音楽に仕上げる」という方針のもと指導しています。でも、それが認められるのはおそらく音楽家だけで、教育現場では決して求められていない価値観だった、ということだけです。生徒たちの合唱が台無しで終わろうが、音楽的価値が高いのは自分の特別演奏だと考えている。生徒たちにもう一度合唱させるよりも、自分の特別演奏を聴かせた方が教育的には良い、と思っているだけなのです。わかりやすくズレた教師です。
 音楽の道に進ませようとした父に反撥して(反撥することを演じて)音楽教師の道に進んだ主人公でしたが、結局父の見立て通り、音楽の道でしかその価値観を満たす環境はつくれなかったということでしょう。
 主人公の同居人が作中で言及していた「人と芸術作品は切り離されるべきか否か?」ということが、まさに焦点になる作品でした。

ストーリーは良くも悪くも練られている

 ストーリーの組み立て方は技巧的だなと感じました。
 ・主人公とまったく違う価値観をもつ登場人物と戦わせる
 ・クライマックスで起こる事件、そこまでの盛り上げ
 ・その事件を経た主人公の変化
等、良い意味では「わかりやすい」、すごく悪く言うと「教科書通りに練られている印象」を感じます。でもわかりやすさ重視で王道なストーリーなので、読みやすさはすごくあります。最後まで一気読みしました。

最後の終わらせ方、もったいない?

 選評にもありましたが、最後の特別演奏のところは、もう少し書いてほしかったなーと思いました。自分が受け持つクラスの発表が台無しになったにも関わらず、「良い音楽」を届けようと特別演奏する主人公が描かれると、かなり不気味だったはず。そのシーンで主人公の心の移り変わりや、それを見る他の教師、生徒、保護者等の目で、主人公が「もうこの場所にはとどまることができない」という、現状からの決別を描くこともできたんじゃないかなあと勝手に思いました。九段先生的には蛇足だと感じたんでしょうか? たしかに言うは易しで、長々と書くとクドくなる気もしていて、バランスが難しそうだと思いました。
 あと、選評の中で「特別演奏を優先するかもう一度生徒に歌わせるかを判断するのが主人公ひとりに行わせるのには無理がある」と書かれていましたが、たしかにそうだなと思います。
 私だったら、「教師陣の話し合いでは生徒にもう一度合唱をさせるとなっていたのに、司会の主人公が勝手に自分の特別演奏を始めるよう進行してしまう」とか、そういう筋も考えられるかなぁ、と思いました。(でもそうすると主人公の真面目さが薄れてしまうか……。)

 同じ文學界新人賞受賞作「穀雨のころ」とは対照的で、ストーリー・文体・描写が総合的に良い、という印象。読んだ人の多くが「まあまあおもしろい!」という感想を抱きそう。
 「穀雨のころ」は文体・描写が高得点、ストーリーは低めの点、という感じ。好き嫌いわかれるけど好きな人はめっちゃスキ、みたいな。
 評価の方向性が違う2作品の受賞というのがおもしろいなと思いました。
 終わり!

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