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「穀雨のころ」 青野暦先生

※ネタバレを含みます。閲覧にはご注意ください。
※あくまで個人の感想・書評です。

・第126回文學界新人賞受賞作
・約96枚


4人の高校生をめぐる青春ジュブナイル小説

 男子高校生2人、女子高校生2人が絵画や詩、サッカーなどを通して葛藤しながらも日々を過ごしていく様子を描写したジュブナイル小説です。
 タイトルにもある「穀雨(こくう)」とは、二十四節気でいう4月20日~5月4日頃のこと。地上にあるたくさんの穀物にたっぷりと水分と栄養がため込まれ、元気に育つよう、天からの贈り物でもある恵みの雨がしっとりと降り注いでいる頃のことだそうです。

▼こちらのWEBサイトを参照させていただきました。   https://www.543life.com/season/kokuu

 おそらく季節的なことではなく、「恵みの雨が降り注いでいる」ことを重視してこのタイトルになったのだと推測します。(季節が重要視されているような描写はなかったように感じます。)
 では「恵みの雨が降り注ぐ」とはどういう状態か。それは何らかのかたちで登場人物それぞれが葛藤に区切りをつけられた、ということなのでは、と私は思いました。その区切りのつけかたが、これからの彼らにとって良いものなのかどうかはわからないけれども、降り注いだ雨が地面に染み込んでいくように彼らの心にも何かが染み渡ったのかな、という印象です。

良い湿り気を帯びた文体と描写

 終始、青野先生の文体にはしっとりとした湿り気があるように感じます。嫌な湿り気ではなく、爽やかな季節に屋外で冷たいシャワーのミストを浴びるような、そのミストで少し前髪が湿って気持ちいいような、そのくらいの湿り気感と言いますか。
 技巧的な面では一人称の語り部がどんどん移り変わっていくのが新鮮でした。読んでいると、「あれ、いつの間に語り部変わった? わからなかったけれど今はこの子のターンなのね……」という感じで、明確に区切りがないように読者に感じさせる技術に感嘆しました。読み進めるとすんなり受け入れられたからあらフシギ。
 言葉の並べ方も独特で、一見読みにくい修飾続きでも慣れてくると癖になる、という印象を受けました。少々説明っぽいかも、と思う部分もありましたが、ある意味では丁寧に描写されているな、と思いました。

良くも悪くも『雰囲気小説』

 あえて悪い点を挙げるのであれば、良くも悪くも「雰囲気小説」なことでしょうか。
 ストーリーはリアルというよりも、「こうあってほしい」「こうあるんじゃないか」という理想と想像が入り混じったような感じです。水中でゆらりゆらりとたゆたっているような雰囲気。男子高校生二人はハイスペック男子で、「現実にはこんな高校生いないだろ!」と心の中で突っ込んでしまいます。綺麗な話を綺麗に見せてくれている、そんな印象です。新海誠監督の絵みたいな感じ。
 あの雰囲気がガチーンと嵌ると「この作品マジヤベェ。パネェ」となるのですが、嵌らないと「ハイハイ、夕陽が差し込む放課後の教室セツナイ系ね」という感じで終わっているように感じるかもな、と思いました。
 それでも受賞レベルにまで達しているのは、ひとえに文体と描写のレベルの高さによると思います。ストーリーとしてはそれほど目立った部分はないのですが、端々に技術が転がっていて読んで大変勉強になりました。ここまで技巧的でないと、雰囲気小説を人に読ませるまで昇華させることはできないな、と思いました。逆に言うと、雰囲気小説でもその他に光るものがあれば受賞レベルに達するということなのかもしれません。
 好き嫌いわかれる作品だと思います。

評価したのは5名のうち、たった1名!?

 読後、選評を読んでびっくり。5名の選考委員のうち、本作に〇をつけたのは長嶋有氏、たった1名だったとのことです。他の4名の選評を見ると、ストーリーなどについて指摘はあるものの、「何か可能性を感じるので、受賞は妨げないよ」というスタンスだということがわかります。まだ青野先生もお若いので、選考委員の方も「これからに期待」ということを書かれていました。
 文学賞受賞というと、「いやぁ今年はこれしかないっしょ!」と満場一致で決まるのかな、というイメージもありますが、必ずしもそうでないということがわかります。受賞作が2作品あるということは、選考委員の方々も1作品だけを選ぶ決定打がなかったのかもしれません。選考委員の方々の苦労が垣間見えました。

 個人的には、「何か光るものがあり、可能性を感じれば文学賞を受賞できる」ということがわかって大変勉強になりました。
 読み手としては、読後にのこる余韻が少なかったのが残念なところです。「文体と描写を楽しむ作品」として素晴らしい作品だと思いました。 
 

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