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「よしみね努」の想い ~政治家を志した原点~

よしみね努が政治家を志した原点を、インタビュー形式でヒアリングしています。よしみね努の人生を掛ける原動力となった想いをご覧ください。

◯ 政治家を志したきっかけ
◯ 3.11で直面した災害の脅威
◯ 故郷沖縄のために
◯ ドクターヘリのパイロットに従事して
◯ 政治の力で沖縄の未来を守る

――政治家を志されることになったきっかけを教えてください

大きな転機となったのは、東日本大震災での経験でした。

震災が起きた当時、私は東京のヘリコプター会社でパイロットとして勤務していました。震災発生直後から報道各社のスタッフとともに現地に入り、その後、被災地への支援物資の運搬にも関わりました。多くの命が一瞬にして失われたあの震災の後、被災地を空から毎日のように見つめる中で、自分にとって最も大切なこと、人生で叶えたいと思っていたことは何であったのか、ということをよく考えるようになりました。

自問自答を繰り返し様々な葛藤と向き合う中、最終的に「故郷である沖縄のために人生を使いたい」という想いが確固たるものとなりました。

そして、40歳を前に沖縄に戻ろうと決めたのです。

――「いつかは帰って沖縄のために」という想いはもともと持っていたのでしょうか?

いつかは沖縄に帰りたいという想いは、以前から漠然とありました。

しかし、勤務していた東京のヘリコプター会社は業界最大手であり、そこでパイロットとして活躍することは私の夢でもあったんです。だからこそ日々の仕事も充実していて、沖縄に支店がないこともあり、なかなか帰るきっかけを探せずにいましたね。

――そのようななか、3.11の東日本大震災をきっかけに、帰郷を決意されることになるのですね。震災時のヘリから見られた光景は、報道されているような惨状だったのでしょうか。

津波が押し寄せてくる様子や山のように積まれた瓦礫は、まるで戦争映画のような光景でした。
3月の寒いなかにも関わらず裸足でご家族を探されている人々を上空から目にする機会があり、本当に胸が締め付けられる思いがしたのを覚えています。

災害というものは本当に怖いものです。震災の惨状を目にしたことで、「できる備えはすべてやっておきたい」と強く思ったことが、今でも印象に残っています。

「故郷沖縄を守れるのだろうか」という想いを強くした東日本大震災

――震災での厳しい現実を経験したことで、ご自身の意識が大きく変わったんですね。 震災をきっかけに沖縄に戻られた際には、すでに政治家になろうという意思はあったのでしょうか。 

沖縄のために働きたい。沖縄に住む大切な人たちのために働きたい。その想いから沖縄県ドクターヘリ事業に移籍しました。

ドクターヘリに乗っている時は政治家への道はまったく意識していませんでした。ただただ毎日、「多くの命を守る・救うためには、どんなことができるのだろうか」と、漠然と考え続けていましたね。

沖縄に戻りドクターヘリのパイロットとして従事

ドクターヘリのパイロットの仕事は非常に意義のあるものでしたが、一方で患者さんは1回のミッションで1人しか救えません。たくさん困っている患者さんはいるけれど、全ての要請に応えきることは出来ません。

もちろん、医療スタッフも、患者さんのために頑張っています。フライトを支援してくださる消防機関のスタッフもギリギリの人数で一生懸命働いています。出来るだけたくさんの命を守りたいのに、助けられる人数は限られているのです。

沖縄県のドクターヘリの課題は、東西1,000キロ・南北400キロという広大な管轄にも関わらず、ヘリが1基しかないという点にあります。たとえば、その1基が離島の患者さんを迎えに行ったときには、ほかの地域の患者さんを助けに行くことができないわけです。

このような医療における課題も、政治であれば現状を変えられるのではないかと考え始め、政治家への道を考え始めました。「制度を変更したり、必要な政策をひとつひとつ実現することで、今よりも多くの命を救うことができるのではないか」そのような考えから、政治家になることを決意しました。

このような想いから政治全体に視野を広げる中で見えてきたことは、沖縄県には「防災・健康・教育・経済」に課題が多くあるということ。いまの沖縄県の現状を変えたい。そのためには、その仕組みを作るしかない。沖縄をよりよく変える。

この夢を実現する政治家を目指し、日々活動しています。

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