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388. LGBTの事には触れず、普通に接すれば良いだけの事です。法制化なんて仰々しい事は、かえって分断を生むんじゃないですか?

今回もSNS上の意見を拾ってきました。

前半の部分については、私はそれでは十分ではないと思います。後半の「分断」については「何が/誰が・どう」分断されるのか、分断の意味を確認するところから始めます。

まず、前半の部分です。

「普通に接する」ことには問題はないと思いますが、「LGBTのことには触れない」とはどういうことでしょうか?

これまでLGBTに代表される性的マイノリティは「居ないもの、存在を否定されるべきもの」として扱われてきました。

ゲイがテレビなどでとりあげられるときには「保毛田保毛男」というキャラクターのように笑いの対象として扱われたり、レズビアンは(今でもそうですが)アダルトビデオの中に登場し、異性愛男性の「目を楽しませる対象」として扱われたりしてきました。

今の日本に求められているのは性的マイノリティを個々の人格のある存在として、一人の人間として尊重するということです。

ですから、「LGBTについて触れない」のではなく、きちんとその存在を認めること。そして今まで「触れてはいけない」かのように扱われていたことをあらため、きちんと社会の一員であることを認識した上で性的マイノリティの人権を尊重しなければならないと思います。

次に後半の「分断」について考えましょう。まずは辞書で意味を確認します:

〘名〙 一まとまりのものをさらに分けて区分すること。分かれ分かれにたちきること。きれぎれにすること

精選版 日本国語大辞典

LGBTにかんする法案がなかなかまとまらないというニュースがありました。「差別は許されない」を「不当な差別は許されない」と文言を変更するようです。

さて、このLGBT法を作るとなぜ(社会の)分断が生まれるのでしょうか。

上で意味を確認したように、分断は「ひとまとまりのものをわけて区分すること、分かれ分かれにたちきる」ことでした。しかし、日本の社会はもともと「ひとまとまりのもの」なのでしょうか?これまで何の意見の対立もなくみんなが穏やかに暮らしてきたのでしょうか?

そんなことはありません。

主義・主張は人によって異なります。グループ、たとえば政治団体や政党などによっても考え方が違います。意見が違えば議論をする。時には対立もする。埋まらない溝ができる。それでは「ひとまとまり」とは言えないでしょう。

「日本には性的マイノリティを受け入れてきた歴史がある」とマジョリティ側が主張する。しかし、それは現実とは全く違う理想の中だけの「歴史」です。

先にふれたように、「保毛田保毛男」のキャラを見て「オカマはきもい」と思っていた人たちは、自分たちと「オカマ」を「ひとまとまり」(=同じグループに属している)とは認識していなかったでしょう。

性的マジョリティと性的マイノリティの割合は「9:1」です(ここでは単純化しています)。そして、今の日本の社会はこの9割の人たちが暮らしやすいようにできている。その時点で、残りの1割の性的マイノリティとの間には大きな溝(分断)があるとは言えないでしょうか。

私はこのタイトルの方の意見とは逆に、LGBT法ができることによって、性的マイノリティの人権を尊重し、分断のない社会ができるのだと考えます。

みなさんはこの「分断」について、どのようにお考えになりますか?

参考資料

画像:UnsplashSiora Photographyが撮影した写真