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ちょっと一休み・・・今がつらくて、つらくて、仕方ない君へ・・・

「もう嫌だ!!!!!」

「生まれて来なければ良かった!!!!」

僕が君に話した事は君にとって気休めにもならないかもしれない。

それは僕の言葉はあくまでもただの言葉だからだ。

お医者さんが薬を処方したら、君は飲むだろう。
薬はただ飲めば良いだけ。

僕は言葉を処方する。君はその言葉を一切受け入れようとはしない。
言葉はただ聞けばいいだけじゃないからね・・・。

だからきっと、気休めにもならないような言葉だろうけど、
僕にはそれしか出来ないから精一杯気持ちを込めて言葉を贈る。

人生を長い道と考えてみよう・・・。

君は裸足で歩いている。

いつの頃からか、その道がゴツゴツした尖った石だらけの道に変わり、
痛みに耐えられない・・・とその場にうずくまる・・・。

すると、君の目の前に未来からやってきたと語る
謎の老人が君にこう言う。

「私は未来の君だ。

この道が何処に繋がっているかを私は全て知っている。」

そして、君にこう伝える。

A「今はうずくまってても大丈夫!しっかり休んだらまた歩けばいい!
この道はこの先、素晴らしい希望に繋がってる!」

B「もう歩くな!この道の先には絶望しか存在しない!」

AとBどちらの言葉をかけられたいですか?


Aですかね?

通常、今がとても大変であれば、苦しければ
そこから抜け出したいのが人の心じゃないですか?

無論、修業と言う意味合いで自ら苦難を選び、それを受け入れ、
悟りを求めて生きるような方は別として・・・

そうでもない限りは単純に、苦楽の選択を求められれば、
楽を選びたくなるのが人の性。


未来に絶望しかないと言われれば、生きる理由も、歩む理由もなくなる。

希望がある!と言われれば、その希望が生きる理由、歩む理由になる。


では、老人からかけられたい言葉を素直に選択できた君に問います。

この老人から投げかけられたい言葉を君は今自分にかけていますか?


不思議なもので、悩みの渦中にある方、
またずーっとモヤモヤした人生を送る方の多くは
自身の未来をBの様に予言し、過ごしています。


もう一度言います。


未来に絶望しかないと言われれば、生きる理由も、歩む理由もなくなる。

希望がある!と言われれば、その希望が生きる理由、歩む理由になる。


それでしかありません。

無論、未来はわからないから歩める!とも言います。

だから本当はわからなくて良いんですが・・・
上手く歩めない人は何故かわからないはずのものをわかった風に、
そしてAとBならBの様な予言を自身にし続けるんです。


今がつらくて、つらくて仕方ない君へ・・・

自分の頭の中の預言者がうるさく、君の未来を閉ざすのであれば、
その予言者の言葉を信じなければ良い。

君自身が理想に描くものを多くの人に伝えて、
多くの人が君に示してくれる道を信じればいい。


僕はよく初対面のクライアントさんに
事実を前提として、流れを見つめる事をお勧めする。

絶望し、苦しんでいる君。

目の前にいるのは僕。

僕はその絶望や苦しみを何故か重く捉えない。
「なんとかなるよ!」と普通に話す。

つまり、絶望しきれないし、苦しみ続けられない。

また絶望したり、苦しくなったら
目の前のそいつに話すだけで、何故かまた希望を見せてくるし
苦しみが軽くなるような話をしてくる。

つまり、絶望しきれないし、苦しみ続けられない。

じゃあ、自然な流れは何?

僕の元から離れる事?

僕と出逢った事を受け入れ、
絶望するのやめる事?苦しむのやめる事?


流れに任せてごらん。

思ったより楽で、人生が何故かスムーズに前に進むようになるよ。

だって、流れだからね。

流れる様に人生が進むのは当然の事。


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