精神疾患になって良かった!そう言い切れるかどうかは、結局さ・・・!
精神疾患になって良かった!全ての人がそう言えるようになれば素敵な社会
昨日書いた記事への反響、ありがとうございます。
多くの方から素敵なメッセージ、また相談もいただきました。
なので、
ちょっと続きみたいなお話。
前回のお話をかいつまんで振り返ると・・・
要は
不登校・・・なり、人と違う人生を歩み始めた段階での、
周りのリアクションに今現在の日本は明らかなバイアスがかかっている。
示されてる王道自体が多くの人を苦しめている可能性があるって事です。
引きこもりも然り・・・精神疾患、障がいも然りです。
王道は学校にしっかりと通い、友人関係を充実させ、
勉学に励み、進学し、就職し、精神的にも病まず、
結婚し、子供を作り・・・終身雇用・・・老後、死。
なんですよね。
そうなっていない人、そうではない人生を送ってる人には
まず、少々の嫌疑を持ちながら聞くじゃないですか社会的に。
「何故?」と。
逆にその王道には文句はないけど・・・、
そこに行かねばならぬ理由は「何故!?」なんですけどね僕的には。
そんな感じで社会に対してのホニョホニョばかり言ってるばかりでは
それこそ、障がい者擁護の保護団体、当事者会みたいになっちゃうんで
それに対しても僕はちょっとムムムって思っていたりするんですよね。
なので、今日はそっち。
千歩、一万歩ぐらい現実逃避して、
日本社会が王道に対しての外道という概念を
本当の意味で撤廃出来る状態、状況になったとしましょう。
例えば不登校ならば【それも進路のひとつ】そう社会が認めたとして・・・
小中、不登校のまま、高校進学も意味を感じず、
生きる道を選んだ人がいたとして・・・
その道に明確な意義、意味を見出すのは・・・
至極当たり前に言ってしまいますが、
親や社会ではなく、自分自身でなくてはいけません。
ここを社会に丸投げしてしまうと、
究極、今と変わらない構図にせざるを得なくなります。
一応、学校はあります。ホームスクーリングも選択肢です。
なんなら、何処も行かないのだって全然OK。
インクルーシブな発想で社会全体が全てを許し、埋めていったとして・・・
結局、誰かが何かを用意するって事は
その用意されたものに乗らない選択をする人間も現れる。
それが多数ではなく少数ならば、
外道という扱いを受けざるを得ないんです。
外道を行く人に対しても何かを用意せぃ!って
弱者救済のような話になれば、本当に今と何も変わらない。
自分の意思で外道を選ぶなら、その選択決定を理解し、
自分自身で責任を取る覚悟が必要でしょう。
社会に責任転嫁すればするほど、
あなたの人生はただただ社会に対しての
反旗を掲げる事だけの人生になっていくんです。
僕がまだ10代そこそこの頃・・・、
王道を推す親に対して、僕はずーっと違和感を感じていた。
そして、見事、外道を行くようになり、
そこでそれなりに成果も付いてきた頃、親が僕に言ったんだよね。
「(成功なんだかなんなんだか)俺にはわからない。」
あ!そっか!って
その時わかったんだけど、
親に認めてもらおうとか、社会に認めてもらおうとか、
そんな事どんなに思ったって、その人達の概念に無い動きをしてれば、
ある程度の成功、成果を挙げたところで、理解はされない!
つまり、王道を行かぬ者が王道信者に理解を!!!と叫んだところで
理解出来る形を示さなきゃ理解もクソもねぇって事なんです。
だから、
この世の中はずーっと差別的で、ずーっと対立構図があるのに
王道サイドが合わせる事でなーんかそれっぽく見えてるだけ・・・が
維持されちゃってるんですよね。
ってことで、まとめますが、
大切なのは・・・
社会の変化変容もそうですが、
やはり、個人の努力、個人の心理的な向上も大切って事です。
ここまで書いてて・・・
あ~、やっぱりララホームって場所でやってる事って
すげぇ大事だなぁ・・・って思う訳で・・・。
まあ、最後のは別にどうでも良いんですけどw
ホント、そういう意識が広がって欲しいなぁ・・・。
学校教育に心理教育入れるなら、これ理解して欲しいなぁ・・・。
道徳の二の前にしないで欲しい。
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