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NHKスペシャル「アタッチメント_生きづらさに悩むあなたへ」を見て

「アタッチメント」とは

モラハラ、HSP気質、カサンドラ傾向と、アタッチメントのこと

NHKスペシャル「アタッチメント_生きづらさに悩むあなたへ」を見た感想です。強迫性障害、夫からのモラハラ、HSP気質、カサンドラ傾向の私にとって、とてもためになる視点だったので紹介します。

アタッチメントとは

「アタッチメント」とは、不安を感じた際、誰かにくっつくことで「安心感」を得ようとする、生まれながらに人間に備わる本能的な欲求です。この安心感を得ることで、外の世界に目を向けて探索的な行動が取れるようになるのだそうです。NHKスペシャルでは、実際の乳幼児の行動をもとに検証されていて、とても印象的で理解しやすかったです。
乳幼児は、慣れない場所等で不安がある場合、保護者にしっかりくっつくことで安心を得ようとします。十分に安心が得られれば保護者から少し離れてオモチャで遊び出します。不安が高まるとまた保護者のもとに戻り、しっかりとくっついて安心を得ます。安心を得られる存在は保護者だけに限らず、成長していく過程の人間関係で、信頼のおける人からも得られるそうです。またくっついたりしなくても、何気ない会話のレベルでも安心感を得ることができるとのことでした。本能からくる行動だとしたら、それは大人になった私たちにとっても必要なことなのかもしれません。

モラハラ支配下において、アタッチメントを意識していくことが自分を救う手立てになっていくと考えました。

モラハラ支配下では、安心感を得ることは難しい

私の夫にはNPD(自己愛性パーソナリティ障害)があるようで、結婚以来、モラハラを受けてきました。モラハラが常にある日常では、不安を感じる時間の方が長くなります。本来プライベートな空間である家での時間で、安心感ではなく不安感が強くなるため、適応障害や鬱、カサンドラ状態に陥ってしまいました。「アタッチメント」の視点から考えると、モラハラ支配下では、安心感を得るための行動が、より多く必要なんだろうと考えました。しかし、夫がモラハラだとすると、安心感を得ることは難しくなります。
なぜなら本来、安心感を得られるであろう配偶者が、不安の根源となってしまうためです。仮に、配偶者にくっついて過ごしたとしても、安心は得られず、むしろモラハラを受けてしまうでしょう。ほっとするような会話をすることすら難しい状態です。

子どもには、安心感を与える存在であるべき

例えば子どもがいて、味方でいてくれるとしても、子どもは自分にとっては守るべき存在であり、親は安心感を与える側の立場にいます。実際に、私は子どもの横で眠る際、心拍数があがります。外敵から守らなければならないという意識が働くのだと思います。
私はHSP気質なのですが、それもあり、より一層周囲に注意を向けるモードに入るのかもしれません。子どもとの会話は楽しく、とても幸せな気持ちになりますが、いつも子どもに頼るスタンスは、子どもの負担になりかねません。モラハラを受けた内容を子どもに話すことも、子どものためにならないため、家庭の外に安心感を得られる存在が必要なのかもしれません。

介護で知った、依存先(=他者との関係性)を多くつくる必要性

母の介護を通して知ったことなのですが、介護の現場では複数の人といつでも頼ることができる関係性(=依存先)を多くつくることが、重要なポイントとなるそうです。介護を家族だけで担うのではなく、行政や医療機関とうまく連携を取りながら、複数の人に介護に携わってもらうことが、本人にとっても良いそうです。これも「アタッチメント」に通じるのかもしれないと思いました。安心感を得られる場所を複数作っていくことで、安心感を得る機会を増やし、気持ちの安定につなげていくことができるのではないかと思います。

モラハラ支配下では、家族以外の人とのつながりも必要

モラハラ支配下にいる場合も、行政や医療機関とうまく連携を取り、家族以外の人とのつながりを持つことで、安心感を得られ、人生の探索に向けた行動力を高められるのではないかと考えました。
コロナ禍の中で、オンラインカウンセリングを受けた際に言われたことは、家にいる時間だけではなく、なるべく医療機関に足を運んだ方がよいということでした。これも、安心感を得るための場所を、家以外に作るというアドバイスだったのでしょう。(浮気をという話ではないです。大切な子どもを裏切る行動はNGです。)
ネット検索をすると、無料相談窓口が各市町村ごとに掲載されています。福祉センターでの家庭相談も受け付けてくれる場所もあるようです。
SNSでも、モラハラ、カサンドラ等のハッシュタグで、同様の悩みを抱えている仲間を見つけることができます。
悩んでいるのが自分だけではないということ、モラハラの支配下にあるということを客観視できることが、力を取り戻す第一歩にもなるでしょう。
勇気を持って相談してみても、何か違う回答をされるかもしれません。そうした場合は、諦めず別の相談窓口も探してみてください。その時々で、自分にとって必要な言葉に必ず出会えるはずです。
なかなか理解されにくいのがモラハラによる被害ですが、理解してくれる方も必ずいます。

つい呼んでしまう友人の名前

日々の中で目まぐるしく仕事や家事をこなす際、ふと名前を口にしていまう友人がいます。その友人は、私が何を言ってもよく笑い、「大丈夫っしょ!」と言ってくれる人でした。こちらが困っていることなども明るく軽やかに笑って話を聞いてくれ、心を前向きにしてくれる友人でした。夫との間で起きた問題も、うまく気持ちを導いてくれるので、一時期とても頼りにしていました。なぜかテンパってくるとその友人の名前が口から出てきてしまうのです。なぜその友人の名前なのか、ずっと不思議に思っていました。
恐らくその友人は、私にとって話すだけで「安心感」が得られる存在だからだったのでしょう。最近は会えていませんが、その友人の名前を呼んでしまう時は、私が「安心感」を得たいタイミングだということ、「アタッチメント」を求めているのだということに、今回気づかされました。
もしまた友人の名前を呼びたくなったら、「安心感」の不足に気づき、自分を安心で満たすための行動をとろうという気づきを得ました。
友人の名前が口に出る際は、不安が高まっている時なんだと自覚をして、その友人の口癖「大丈夫大丈夫!」を、唱えることにトライしています。

次回、自分を満たすこと、安心感を得るための行動について、考察していこうと思います。

拙い文章ですが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
似た環境の方や、またそうではない方にとっても、明日を生きるための力を得られるよう、少しでも誰かのお役に立てれば幸いです。

「自分が変わること」とよく言われるけど、実際どう変わればいいのか
もう一歩踏み込んで考えてみること、思考をめぐらせてみることが、私にとって、もう少しだけ必要なのかもしれないという気づきがありました。
コロナ禍の自粛期間を発端に始まった自己分析と内省で、もう少しだけ深く考えてみて、少しづつでも変わっていくことを目指しています。




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