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「生き方」を読んで

10年近く前に購入したものを再読。
日本を代表する名経営者である稲盛和夫氏の人生観が凝縮された一冊であり、ビジネスパーソンに限らず、多くの人に影響を与える著書であることを再確認させられた。
仏教の教えを引用しながらの説明が多いものの、著者の実体験による裏付けが随所に織り込まれているため、単なる「お説教」には聞こえず、納得感のあるポイントは非常に多い。

ただ、恥ずかしながら正直、20代中盤くらいの時に読んだ際は、
「人として常に正しい道にあるか自戒しながら生きろ」
「とにかく嫌でも目の前の仕事を一生懸命こなせ」
「善行を積み、利他の心を常に持て」
といったメッセージにやや違和感を感じていたこともあった。

ところが、30代半ばになって再読し、これまでの人生を振り返ってみると、確かに同氏のおっしゃることは納得できることも多いことが分かってきた。
自分自身、20代後半で大きな挫折を経験し、それまでの天狗になっていた自分を見つめ直し、少しばかり利他の心を持って生きてきたことが、数年少しずつつながってきていることが影響しているのかもしれない。

もちろん、同氏のようなレベルで
毎日を一生懸命「ど真剣」に努力したり、
常に自戒の心を持っていたり、
利他の心を持って善行を積んでいたり、

といったレベルには到底到達できてはいないものの、この年になってその大切さを理解できるようになってきた。
この本に込められた稲盛和夫氏のメッセージは極めてシンプルだが、実行するのが難しいことでもある。
私も少しずつこれらを行う意識を高め、人生を歩んでいきたいと思う。

以下、読書メモである。
プロローグ
• 先の見えない混迷の時代に生きる私たちだからこそ、「私は何のために生きているのか」といった本質的な問いが重要。生きる指針としての哲学の確立が必要。
人生の意味とは、「心を高めること、魂を磨くこと」。所詮財産や地位といったものは死んだら無くなってしまうもの。それより「自分は毎日、生まれた時よりマシな人間になってきていた」という思いを持って死ぬほうが良い。
• 幼少期から教えられた、「嘘をついてはいけない、人に迷惑をかけてはいけない、正直であれ、欲張ってはならない、自分のことばかりを考えてはならない」といったことを愚直にこなしていくこと。これが人生の指針であり、経営の指針でもある。
• 労働は必要悪ではない。労働には、心を磨き、人間性を作る、という崇高な効果がある。労働は一種の修行であり、毎日をど真剣に生きることが大切
人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力
考え方次第で人生は決まってしまうといっても過言ではない。考え方はいわば心のあり方や生きる姿勢、これまで記してきた哲学、理念や思想なども含む。考え方が大事なのは、これにはマイナスポイントがあるから。掛け算である以上、マイナスになると全てがマイナスになってしまう。
• つねに前向きで建設的であること。感謝の心をもち、協調性を有すること。明るく肯定的であること。善意に満ち、思いやりがあり、やさしい心をもっていること。努力を惜しまないこと。

第1章 思いを実現させる
• だれの人生もその人が心に描いたとおりのものである。願望を成就させるためには、並大抵の思いではダメ、「凄まじく思うこと」が必要
• 不可能を可能にするのは、狂がつくほど強く思い、実現に向けて努力をしなければならない。
• 「もうこれ以上のものはない」と思えるほど完璧なものを作り込む。それまでは努力を惜しまない。
「こうありたい」と明確なイメージができることというものは、その人間にとって実現可能なものである。
• 構想するときは楽観的に、計画を立てるときは少し悲観で緻密に、実行するときはまた楽観的に。
• 浮き沈みの激しい人生を送り、自分の運命は自分の手で切り開いてきたと思える人でも、その山や谷、幸不幸はみんな自分の心のありようが呼び寄せたもの。自分に訪れる出来事の種をまいているのはみんな自分である。
自分の可能性を信じて、現在の能力水準よりも高いハードルを自分に課し、その目標を未来の一点で達成すべく全力を傾ける。そのときに必要なのは、つねに「思い」の火を絶やさずに燃やしつづけるということ。
• できないことがあったとしても、それは今の自分ができないだけであって、将来の自分になら可能であると未来進行形で考えることが大切。まだ発揮されていない力が眠っていると信じるべき。
• 人生とは今日一日の積み重ねであり、天のような高い目標に一気に上り詰めることはできない。高い志を抱きつつ、毎日の努力が必要。平凡な才能であっても、日々の積み重ねで天才になる。
• 自分の製品に対する思いや現場での観察眼や熱意があれば、不可能と思われたことも達成できる。
• 有意注意の心、常に目的意識を持って起こっていることを観察することが必要で、何の気なしに観察する無意注意では物事のちょっとした変化に気がつくことができない。
• どんなに遠い夢でも、思わない限り叶えることはできない。大きな夢を描き、それを語ることがスタートライン。

第2章 原理原則から考える
• 人間は何事も複雑に考えがちだが、人生も経営も原理原則はシンプルな方が良い。
• 人生はさまざまな決断の連続であり、それらの判断を迷わず行うためには、人生の哲学が必要。何が正しいのかを考えるための指標となるもの。
• 例えば、事業にとっての原理原則は、「社会や人のためになるもの」。会社の私欲といったことではなく、それを軸に考えたときにどうすべきか。
社会のため、という原理原則・哲学に則って判断するとき、あえてイバラの道を選ばざるを得ない場面もある。ただし、短期的には厳しい道でも、最終的にそうした「厳しくてもあるべき道」を選ぶことが長期的には会社の発展になる。
損をしてでも守るべき哲学、苦を承知で引き受けられる覚悟、それが自分の中にあるかどうか。それこそが本物の生き方ができるかどうか、成功の果実を得ることができるかどうかの分水嶺になる。
原理原則を持つことは強さの源になる一方で、常にそれを軸に自分を戒めなければならない、そこに苦しさがある。
• 日々を「ど真剣に生きる」ことが大切。人生は一人ひとりがプロデュースするものであり、毎日をなんとなく生きていては、濃い人生を送ることはできない
• 難しいが解決しなければいけない問題に直面したとき、逃げずに立ち向かえることができるか、そこが人生における成功の分かれ道になる。
「知っている」と「できる」には大きな溝がある。知っているだけではなく、現場で実際にものを動かす経験が必要であり、セミナーなどで学んだだけでは何もできない。
物事を成すには、自分から燃え上がるような熱意を持ち、その熱意を周囲に伝えられる「自燃性」の人間でなくてはならない。そういった人間になるためには、仕事を好きになること。好きこそが最大のモチベーション。
• 仕事が好きになれない人はまず「打ち込んでみる」こと。
• 複雑なことも解きほぐせば実はシンプルに見えてくる。的確な判断をするためにはまず自分自身がクリーンな状態であること。原理原則に則って、枝葉ではなく問題の根っこを見つめること。
物事を単純化して、本質を直截にとらえる「次元の高い目」をもつべき。それは、私心や利己、利害や執着を離れた、公明正大で利他的な心によってもたらされるもの。
• グローバルな場面であっても、「人として正しいか」は普遍の判断基準。

第3章 心を磨き、高める
リーダーには、才より徳が求められる。
昨今のリーダー選びは、人格よりも才覚が重視されがち。「徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を」(西郷隆盛)
• 心を磨くために必要な6つの精進
①誰にも負けない努力をする
②謙虚にして驕らず
③反省ある毎日を送る
(→毎日自分自身を内省する)
④生きていることに感謝する(→些細なことにも感謝する)
⑤善行、利他業を積む
⑥感性的な悩みをしない(→くよくよしたり、些末なことに悩んだりしない)
• 物事がうまくいっている時、毎回感謝することができなくなってくるのが人間。幸運が当たり前になり、「もっともっと」と欲深くなってしまう。とにかく何事にも感謝する心を持つこと。
・困難があれば、成長させてくれる機会を与えてくれてありがとうと感謝し、幸運に恵まれたなら、なおさらありがたい、もったいないと感謝する
• 同じものを与えられても不満と思う人がいる一方で、感謝する人もいる。ものの見方次第で世界の見え方は変わってくる。
• 私たちは年々歳々、逃げてきたはずの死に近づいていくが、それでも自分の寿命、生命を縮めてでも「蜜」を欲しがる。そんなあさましいほどの欲望といっときも縁の切れない存在。それが人間の偽りない実相である。
• 欲望、愚痴、怒りは人間の三毒。ただし、これらがあるからこそ人間が生存できることもある。そのため、欲は消せないものの上手く付き合っていくことが必要。
自分が何かを判断した際、「理性のワンクッション」を置き、「自分の今の判断には私欲は入っていないか?」を自問自答すべき
働くことで得られる喜びは格別であり、遊びや趣味ではけっして代替できない。まじめに一生懸命仕事に打ち込み、つらさや苦しさを超えて何かを成し遂げたときの達成感。それに代わる喜びはこの世にはない。
• 六波羅蜜とは、悟りに近づくために必要な行為のこと。心を磨くために必要な修行。
①布施:利他の心を持ち、尽くすこと
②持戒:常に悪しき心を廃し、欲望を抑えること
③精進:常に「誰にも負けない」レベルで努力すること
④忍辱:決して困難なことから逃げず、耐え忍ぶこと。
⑤禅定:目まぐるしい毎日の中でも1日に一度は心を静め、自分を見つめ直すこと
⑥智恵:①〜⑤を継続することで得られるお釈迦様の知恵のこと。
• 六波羅蜜の中でも精進が特に大事。(宮大工の例:努力を惜しむことなく、辛苦を重ねながら、懸命に一筋の道を究める、そのような精進によって、あの人たちがたどり着いた心の高み、人格の奥深さに感銘を受けること)
• 地道な精進なくして名人に到達することはない。

労働の価値とは、心を磨き、人格を磨く、という意義が昔は存在していた。
しかし、働くという行為の意義や価値が「唯物的に」とらえられすぎたきらいがある。働く最大の目的は物質的豊かさを得ることにあり、仕事とは自分の時間を提供して報酬を得るための手段であるという考えになれてしまっている。
さらに欧米の仕事観も影響し、労働はお金を得るために行わなくてはならない苦役だから、なるべく楽をして、多くのお金をもらうのが「合理的」であるという考え方が生まれてきた。(労働の意義とは、物質的価値+精神的価値であるべき)

第4章 利他の心で生きる
• 決して裕福には見えない人からも托鉢を受けた経験から、利他の心を実体験した。
• 利他という言葉自体は崇高なものにも見えるが、家族や友人に尽くすことも利他の心。そうした心がつながり、社会全体を良きものにしていく。
• 人間の心には、元から他人のために何かを尽くしたいという利他の心を自然と持っている。利他の行為によって自分自身の心が満たされることもあるし、巡り巡って自分自身の利にも返ってくる
• 社会に出れば、「してもらう」立場から「してあげる」立場に変わる。それは利他の心への転換。
• 利を求める心自体は大きな原動力になるため、必要なものである。ただし、その利の範囲を自分一人に置くのではなく、他人にも広げることが大事であり、そうした「大欲」で物事を見れば視野は大きく広がる。
• ただし、利他と利己は常に表裏一体。例えば利他の心を持っていても「自社のためだけ」と範囲を絞ってしまうことで、自社利益にだけしがみつき、不正をしてしまう例もある。常に取引先や社会全体といった大局観を持つ必要がある。
• DDIの設立、通信事業への参入時は、何度も自分の中に私心(自分の利益のため、会社の利益のためなのか、社会のためを思っての参入なのか)が含まれていないか自問自答した。
私心がないことを確認し、「社会のためにやらねばならない」ことを従業員に訴え続けたことで彼らに利他の心が伝播したことが成功につながった
さらに当時、DDIの株式を従業員が購入することはできたが、自身は一株も買わなかった。これは私心を捨てたから。
動機善であれば、必ずや事は成る。
• ソロバン勘定や軍事力に長けた国ではなく、人間の本質である「徳」によって国を盛り上げることこそが、日本にとって必要なこと。そうした国になれば他国からの尊敬や信頼を得られ、侵略しようということも起こらないはず。
• 日本の学歴社会では、「勉強」というたった1つの能力にだけ注目し、「手先が器用」といった特性を排除してしまう。学校教育では、世の中のさまざまな職業を伝えながら、勉強以外の選択肢を見せるべきだろう。
• 今の日本も、昔と変わらず、煩悩という欲望を糧に物質的な豊かさを目指しており、一種の覇国主義に囚われてしまっている。そうした国や個人の生き方だけでは立ち行かなくなっている。
経済成長至上主義ではなく、人間の本質に立ち返った考え方に立ち返らなければ、国だけでなく地球全体が壊れてしまう。
今こそ「足るを知る」考え方が必要。ある程度満足できるレベルで十分、残りは足りない人たちに分け与えるという利他の心に目覚めるべき。

第5章 宇宙の流れと調和する
• 宇宙には因果応報の法則が存在し、利他の心で行なったことは必ず自分のところに返ってくる。そして因果応報は運命よりもやや強く、自分の行いによっては運命すらも変えられる。
• 因果応報や運命のようなものは科学的に立証できず、信じないものも多い。時に運命の方が強く、良い行いをしてもすぐには良い結果が出ないこともある。ただしそれは因果応報の法則を短期的視点で見ているから。2〜3年といった期間ではなく、数十年というスパンでみると、因果応報の帳尻が合ってくる
• 因果が現れるのは時間がかかる。そのため絶えずたゆまず、日々善行を積んでいくことが必要。
• ほぼ全ての人間において、悟りの境地まで辿り着くことはできない。ただ、悟りの境地に近づこうと、理性と良心を使って本能を抑えていくことこそが尊いものである。
一生懸命働き、感謝すること。
善き思いを持って、正しい行いをし続けること。
素直な反省心を持っていつも自分を律すること。
心を磨き、人格を高め続けること。
これらを毎日一生懸命行なっていくことが「生き方」である。

以上

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