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令和5年の年の瀬に、ドラマや音楽で平成の終わりを感じること

2023年の秋ドラマをみながら、平成がどんどん過去のものになっていく寂しさみたいなものを感じていた。

それは別の記事でもチラッと書くのだけれど。
小さかった頃の記憶や、情景を少しだけ意識し出していたから、余計にそういう風に思っていたのかもしれない。

自分の子どもの頃に見た情景や、人やものが、どんどんと新しいものに変わっていく寂しさみたいなものと、新しいものがやってくるワクワクが半々くらいのなんとも言えない気持ちを抱えて、過ごしていた。

きっとこれは、今年書き出しておくべきなんだろうなと思いながら、書き進めている。自分のためにも。

毎年そうだけれど、今年はなにかこう、人が亡くなるようなニュースやサヨナラをすることが身の回りに多くて、割とショックが大きかった。
それはかつての自分の子どもの頃の記憶が消えていくような、なんとも言えない大切な何かがすっぽり突然消えてしまったような虚無というか。

大好きだったフォークの世界で活躍していた人たちがいなくなったり、引退したりしたこともあった。
大きな存在のアーティストがいなくなったこともあった。

でもそれ以上に、今年の後半はドラマや音楽を鑑賞しながら、そんな終わっていく寂しさを感じることが多くあった。

うちの弁護士は手がかかる

まず持って、この作品の影響が大きいような気がしている。
ムロツヨシさん演じる役からの、「踊る大捜査線」のネタや他多数の小ネタがたくさんあって、いろんな記憶が想起された気がする。
それは、とてもとても大きい気がする。

あぁ、そんな作品もあったあったとか、そうそう…というようなものがあって、、いろんなことを思い出した影響は多分にある、と思う。

ただ、本来なら役で出てくるはずの時任三郎さんがナレーション役というのは驚いたし、見守る役、という選択もあるのかと思った。
大河ドラマや朝ドラのような、そういう選択もあるのねー、と。

他局、別作品だけれど。
「ポケットに冒険をつめこんで」で、柳葉敏郎さんがほぼ声での出演で、このタイミングでこの二人が…という驚きもあった。

ポケットに冒険をつめこんで -

初めてのポケモンは、ゲームボーイでプレイした赤だった。
あの起動音とか、小さい画面にたくさんの情報が表示されるのが不思議で、毎回電源をつけるたびに小さなワクワクがあったことを思い出した。

電池切れのセーブデータが消えるのとか、電池いらずの充電アダプターが出た時はなんて画期的なものを!! これでもう電池切れの心配がない、と思って感動したのを覚えている。
オートセーブではなかったからこその、うまくいかない時の電源落としはよくやったなぁと。

母親役が、森尾由美さんだったけれど、最終回のセリフがどこか「大好き!五つ子」にかかっているような気がした。

キッズウォーとか、五つ子とかのお昼の時間帯のドラマとか、朝の教育テレビのがんこちゃんとか、学校を休んだ時に家で見る番組は、非日常感のあるちょっとした大人の番組という感じで見ていた気がする。

ONE DAY~聖夜のから騒ぎ~

最初に観た時に、最近あまり見なくなった年末の映像という印象が強かった。最初一瞬、松嶋菜々子さんと福山雅治さんの映像が浮かんだけれど。

「美女か野獣」のような「踊る大捜査線」シリーズや「ステキな金縛り」「有頂天ホテル」のような、「古畑任三郎」のような、あの年末の再放送とか、年末の特別版みたいな空気を、その豪華なキャスト陣から感じ取っていた。

昭和から平成に活躍していたキャスト陣がいて、その重ねてきた年月と経験値とか表現される演技はやっぱり凄くて、そこに最近活躍している人が入ったりして、新旧の絡みから次へと引き継がれる何かが裏で表現されているのかもなぁ、とか勝手に考えていたりした。

昭和平成の作品を後にして、また新しい令和の作品が生まれてくるのだと思う。

中谷美紀さん演じる役が、最後後輩の福本莉子さん演じる役にキャスターを引き継いでいく場面を見ながら、より強く思ったのかもしれないけれど。

もしあのドラマに綾瀬はるかさんがいたら、それはそれでネタのオンパレードかもしれないとかはちょっと思っていた…

いちばんすきな花

この作品は、割と印象的で。
万人受けするものではないと思うけれど、かつてのこぼれ落ちた人たちにとっては、きっとどこかしっくりくるものだったと思う。

「Silent」のスタッフ陣らしいけれど、思えば、両作品とも 'みんな' ではなくて割と '一人' や '少数' の方を描いている気がする。
これは脚本が、生方美久さんということもあるのかしらなぁ、とか。
「踊り場にて」も割と多数ではなかった気がすると、この作品を観ながら考えていた。当事者的な視点からの言葉が多い、と思う。

個人的に、一番の驚きというか発見は、多部未華子さんの演技というか表情だった。

「鹿男あをによし」や「つばさ」をリアルタイムで観ていたからかもしれないし、ここ最近あまり見かけていなかったから、かもしれないけれど。
あんな表情で笑うんだとか、柔らかい微笑みをするんだという衝撃があって、そこに流れていく歳月を感じて、良い人生の時間を重ねているんだなぁと思っていた。

あの4人で過ごしている姿もだけれど、妹役の齋藤飛鳥さんを見る時の一瞬の表情がお姉さんのようなお母さんのような、そんな表情に見えることがあった。

あのドラマを通して、かつてのこぼれ落ちた人たちがどこかで救われていてほしいと思うし、それは自分に対してでもある、と思う。

オトナになって、あるいは年月を重ねたり少し離れることで少しずつわかることや理解できることは増えていくけれど。

でも、オトナになることで物分かりが良くなったように装ったり、感情を偽ったり、傷に絆創膏を重ねては覆っていくのではなくて、子どもの頃の記憶を少しずつ開け放っていけたら、と願いたくなる。

そんなふと思った、作品はたくさんあるけれど。

多分覚えていないだけで、いろんなバラエティやドラマを観てきた積み重ねが積もり積もって、それが最初に書いたように平成が終わって次の世代へと変わっていく、というようなことを感じたのだと思う。

誰かのドキュメンタリーやバラエティを見て、知らなかった一面や成長した姿をみて、それはもちろん身の回りにもあるけれど、過ぎてゆく年月を実感した。

事あるごとに、かつての聞き逃していたアーティストの曲を聴きながら、なんでこんな良い音楽を創る人たちを聞いてこなかったのだろう、と何回も思った。

何十年も前のあるアーティストがカッコよく見えるなんて想像もしていなかったし、何十年も前から見ているアーティストの歌い方がこんなにも豊かになるなんて、想像もしていなかった。

今こうして同じ時代を生きて、長いような短いような年月を重ねて、この瞬間にそうした景色や音を感じることができる、ということがたまらなく嬉しいと思う。

もしかしたら、それだけ自分も歳を重ねた、ということなのかもしれない。

本当に思い返すと、今年は、というよりも今年もたくさんのことが起こって、それに一喜一憂したり、時々想いを馳せることがあって、よりなにかこう、平成という時代が過ぎ去っていくんだなと実感した年だと思う。

きっとこうして、一つの時代が過ぎ去っていくのかもしれないと、令和の5年になって実感として感じている。

あんな頃もあったね、と思い出話をするにはまだまだ早いし、もっともっと新しい時代をみてみたい、と思う。
過去にとらわれず、でも起きたことは忘れず糧として、次の時代を歩いていきたいと思う、そんな年の瀬のこと。


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