3、4年ぶりかのコンサートに行った話〜baobab + haruka nakamura 「カナタの旅 Tour 2022」〜
※まだtourは続いていくので、出来うる限り中身には触れないようにしていますが、参加される方は終わった後に読まれることをお勧めします※
よく晴れたある日のこと
あたりは秋の見頃を迎えつつその終わりが見え始めているという感じで、色づいた木々の葉もすっかり色濃くなり、少しずつその葉が落ち始めて、少し、というよりとても冷えてきた朝晩の空気の中に冬の気配を感じ始めていた頃。
皆既月食の数日前、東北では冬の訪れを感じさせる毛嵐が、仮想現実の世界と現実の世界とが混ざり合ったソードアートオンラインという世界がリンクし始めたその日に。
前日からワクワクして、どこかそわそわして落ち着かない気持ちを抱えながら、楽しみにしていたとあるコンサートへ向かって車を走らせていた。
もう何年も、よく通る道。
見慣れた景色。
ここ数年はあまり感じなかった、紅葉狩りの季節ではおなじみ車の渋滞を横目に見ながら反対方向へ向かい、今年ももう終わるなぁ、なんて考えながら無音の車内で、時折感じる揺れとエンジンの音と、風を切る音を聞いていた。
そういえばと思っていたけれど…
実際の会場でのコンサートに行くのは3、4年ぶりになると思い出した。
忙しさと、2020年以降の社会的状況の中でなかなか出歩けずに、オンライン視聴とかでの参加はあったものの、生の音を聴く機会はなかった。
音、に限らず、生の芸術に触れる時間も格段に減っていた、と思う。
変わっていく世界で、変わらないものと変わっていくものの間でどうしたら楽しめるかを模索した時間だったなと思う。
そんな考えを巡らしながら、いつもはハンドルを切らない場所でハンドルを切り、何十年か前に訪れたその駐車場へ車を入れた。
このホールを訪れるのは、10年ぶり。
こういう巡り合わせ、というものは起こるものなんだなとチケットを取ってた時から考えていた。
十数年前。
音楽の楽しさを音を通して教えてくれた、大切な、とても大切な音楽の師の追悼のためにピアノを奏でたあの日。
10年前。
人生の大きな節目の一つを迎えた日。
いろんな思いが交差して行こうか迷い、それでも通過儀礼だし何かの節目になると感じ、大急ぎで支度をして、誰とも言葉を交わさず参加し帰ったあの日。
そして、10年後。
新しい年齢へと、足を踏み入れるという節目の年に迎えた、その日。
運命という言葉を軽々しく使いたくはないけれど、なにかが巡ってきたのだと思う。
このタイミングで、このホールへ足を踏み入れるとは思わなかった、本当に。
そんなことを思いながら、気がついたら勝手知ったるという感じのホールの椅子へ座っていた。
どこに何があるかは、まだちゃんと身体が覚えていたのだと思う。
あの日は、あのあたりに座っていたなとか。
あの日は、楽屋にあったお菓子を食べていたなとか。
そういえば、”舞台に立った時、一番奥の席を見られたら一人前”、なんて言われたなとか、たくさんの思い出が蘇ってきた。
忘れたようで、案外覚えていることは多いものだ、と思う。
ピアノを弾いた瞬間に、楽譜の渦の中に引き摺り込むように音符が飛んできて、それでいて奥深くにある無邪気さのようなものと楽しいんだよ、という音の数々を垣間見たのは最初で最後だった。
そういう音を届けてくれる人との出会いは、もしかしたら、もうないのかもしれない。
いまだに、もう少し早く出会えていればという思いと、もっと音楽を教えてもらいたかったという気持ちが残っている。
そんな個人的な話は、書き出すと尽きないものなので、これくらいで。
2年くらい前にharuka nakamuraさんがレコーディングで訪れていたのInstagramの投稿で見知っていたし、合間に訪れるお店の数々は自分が随分前に通っていたお店だったりして少し懐かしく思い出していた。
蔦の絡まったお店の隣に昔あったレコード屋さんがあったこととか、ちょっと奥まったところにある隠れ家みたいな純喫茶のお店とか、図書館近くのカヌレの美味しい珈琲屋さんとか。
そんな音楽を知った経緯は、別の記事で書いたので、割愛して。
baobabとのアルバムを聴いたが2020年の終わりだった、と思う。
その年は、自分の何かが始まって終わった年で、「カテリーナの讃美歌」を年末に聴いたときに、身体の中に閉じ込めていた、たくさんの抱えていたものが溢れ出たように感じたのを覚えている。
そんなことも相まって…
久しぶりの生の音のコンサート、
好きなアーティスト、
音源で感動した音、が聴けることにワクワクしていた。
久しぶりのコンサートということもあって、どうやって聴いたら良いのだっけとか、たくさんの不安を抱えていたのだけれど…。
会場はたくさんの人だったし、小さい子から高齢の人まで幅広い層の人がいた。
そして会場の雰囲気も相まって、広くも小さい船の中に集められた感じがしたし、舞台はどこか船の甲板のようにも思えた。
時間に合わせて暗転して始まった世界は、丸く小さい灯りが照らし出され、暖色と寒色とが入り混じった電球はどこか星々の灯のように見えた。
maikaさんの伸びやかなスッとした声と共に、それぞれの音がうねるように混ざり合って、たくさんの景色が見えた。
ピアノやギター、ドラムにベース、フィドル。
そして、会場内に時折聞こえる音。
これは本当に、船に乗船しているようだと感じた。
まるで船に乗って、音の旅をしているよう。
忘れていたような景色、みたことのない景色、あるいはみたけれど見落としていた景色。
いろんな景色が、音ともに弾けてくる。
時に、音に身を委ねるようにその世界に浸り。
時に、音と一緒に弾むような気持ちで踊ったり。
時に、音が暗闇を導くように聴こえたり。
松本未来さんの楽しそうに音を重ねていく姿。
haruka nakamuraさんの指が鍵盤ひとつ一つを目覚めさせるように滑っていく姿。
田辺玄さんの音を楽しむようにギターを膝の上に座らせている姿。
和田尚也さんの楽譜と音に食らいついていく姿と、静かな中にあるパッションに溢れたドラムを叩くISAOさんとの視線の交わる姿。
全てが愛おしく、何ものにも代えがたいたまらなく素敵な時間だと感じていた。
そんなことを思いながら、あっという間に時間は過ぎ去っていった。
本当にあっという間に、2時間弱が過ぎていった。
終わりには、小さい子の声で”もう終わりなの?”と聞こえたくらいに、あっという間だった、本当に。
ちょっとした発見だったのは、ライティングで。
多分意図的にそうした配置にしていると思うけれど…(PIANO ENSEMBLEのMV等の雰囲気というか)、
演奏者の姿が背景に影で映ることで、自分の視界から見えない姿が見えた。
座り方とか、音を出す時の体の動かし方とか、立ち位置の空間とか。
両サイドにあったから、ギターとベース隊を映し出す形だったけれど、これはみた事なくて面白いなと感じた。
影が背景に映し出されるというのは、陰と陽が映し出されているようにも思う。
光の中にある影、影の中にある光というか。
でももしかしたら、急遽予定メンバーとは変わったこともあって、あり得たかもしれない別の世界での、ベースやドラムの二人を現しているのかもしれない。
そして、座っていた場所から位置的に見えてしまったのが、一箇所のライトをスタッフの人が手動で何かを取り付けたり外したりしていた。
時々、ニュッと、手だけが舞台袖から現れて、何かをつけると青色に、外すと黄色に、切り替わっていた。
それを見つけた時に、そこは人力なの!?と思わず心の中で叫んでしまった。
気がついたときに見ただけなので、実際の切り替えは異なる点があるかもしれない。
余談だけれど…
涙で潤んだ瞳に映る灯りのひとつ一つは、暗闇の中から伸びる光の筋となっていて、自分の身体で光の装飾効果を与えることってあるのだなと思った。
現代ではもうあまり感じることはできなくなってしまったけれど、真っ暗闇の中に見えた灯りは、とても嬉しくて心がホッとして、その瞬間に目が潤んで見えた光の光景を思い出した。
久しぶりのコンサート、ということもあって生の音の聴き方はやっぱり少し身体が忘れていた感じはあった。
肌にフィルターが掛かったような感触というか。
どれだけ音を良くした音源で聴いても、やっぱり生の音の聴き方は別で、そうした時間に触れる機会は定期的に設けないとダメだなと改めて感じた。
楽器の弾き方、その音を出すための身体の使い方、楽器を弾いている時に見える姿、それぞれのコンタクトの取り方、ホールの温度で変わっていく音、交わる中でうねりをあげていく音、ホールの響き方、聴衆の音の吸収の仕方、時折聞こえる予想だにしない音。
お家で頑張ってオーディオシステムを構築しても、耳に蓋をするように大好きな音に囲まれるようにイヤホンをつけたままにしても、いろんな要素が重なり合う生のコンサートはやっぱり別物で、それを感じ取る力はやっぱり同じくらい体験しないと感じられないもので。
好きなアーティストや音楽は年々増えていって、いつどのタイミングでどこに行くか迷ってしまうけれど、出来うる限りコンサートに行く時間は設けたいと改めて思った。
これから先の未来のことはわからないけれど。
これまでもいろんな出来事がたくさん、たくさん起こっているけれど。
あの日、あの時間に一緒にあの船に乗って、音の旅をしていた近くも遠い誰かのことをちょっとだけ愛おしく感じたように。
目の前に座っていた小さい子と目があった時に、愛おしく思ったように。
日々いろんなことが起きて、目一杯になってしまうこともあるけれど。
近くも遠い誰かのことを、ちょっとだけ、ほんの少しだけでも想いを寄せることができたら良いなと思う。
結びに
あの日、音の船に乗って旅をして、時に暗闇に迷子になったり、異国の地へ行ったり、見えない誰かと一緒に踊ったりして。
最後には、青いライトに照らされた灯りのひとつ一つがまるで深海から地上へ上がっていく風景に見えたり、アンコールは船を降りる人あるいはこれからまた違う船で旅に出る人に向けた応援歌のように感じた。
「それでも進みなよ。きっと世界は君に微笑んでくれるのだから。」
そう聞こえた、ような気がした。
このツアーは年末に向けて、大阪、東京へとまだ続いていくのだけれど。
一体どんな人たちが、この船に乗って旅をして何を見つけて、これから先を歩んでいくのだろう。
一体これから、この楽団がどんな音を届けていくのだろう。
と想いを馳せる。
まだまだ音の旅は続いていくし、きっとどこかで誰かがこの音楽の水脈を探りあてて、また新しい人たちが聴いていくことになれば良いなと思う。
あの日、田辺玄さんは、"感無量でもう思い残すことはない"、と語っていたけれど。
まだまだたくさんの音楽を聴いていきたいし、出来うることならまたあの地で聴くことができたら嬉しい。
そんなことを、最後に手を合わせ去っていく中でharukaさんと肩を組んでいた姿を見て、身勝手にも思ってしまった。
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