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未来への希望の光を見たような気がした、"湯木慧ワンマン at 秘密"の話

福岡という場所にいくことが出来なかったので、ライブ配信で観たのだけれど、という前置きを書いておいて…。

観客を入れてのライブ、それと合わせてLINE LIVEでの配信。
そしてこんなご時世だからコールアンドレスポンスもなかなか難しく、観客は目の前にいるけれどどこか一人ぼっち、という環境。
加えて、自身が所属するLD&Kがこの大変な社会状況のなか福岡に新たにオープンさせたライブハウスとカフェが併設された「天国と秘密」という初めての場所。

いろんな状況が重なったライブは観終わった後に、柔らかな暖かさに包まれるようなものだった、と思う。

余談だけれど、このご時世に新しいものを作ってしまうLD&Kすごい…たしかにリアル体験は欠かせないもの、とこのご時世誰しも感じたことだと思うれど、今作ってしまうのはチャレンジャーだな、攻めてるなと思う。

セットリスト

懐かしい曲も散りばめられつつ、『スモーク』のアルバムを中心に構成されている。
全体の印象としては、次へ繋がるための道しるべみたいなものになっていたのだ、と思う。

幕が上がりあぐらをかいた状態で歌い出した、『Answer』
どこかダークな部分を感じさせる朗読から入った、『雑踏』
少しドッキとしたアクシデントが起きた、『万華鏡』
一人ぼっちではないけれどどこか孤独を感じると話しながら紡ぎ始めた、『一匹狼』
インスピレーションを受けたという物語の朗読から次の曲へどこか繋がる、『金魚』
嘘の種明かしをした後の、『嘘のあと』
今の自分の心情を吐露したかのような話からの、『Careless Grace』
移り変わる景色を見つめながら観客の力を借りた、『追憶』
自分のゆかりのある場所としての大分の匂いを感じさせる、『ふるさと』
この世の中なくなっていく場所が多いけれど新しいこともあると話しながら、福岡で歌う、『スモーク』
アンコールからの二曲、『狭間』。『選択』

「ライブが苦手で緊張している」と話しながらも、言葉に想いを乗せて、音を奏で、言葉の一つ一つの意味を伝えようとしていた。

ただどうしてもというか…

先月の四谷天窓でのLIVE配信を観た人には伝わるかもしれないが、そのライブと比較してしまう自分がいて。
あの時はどこか危うさを含んだものがあって、とても苦しいというかもがいている印象を受け、観ている最中も観終わった後も、自分の中で消化しきれないものがあった。

それだけに、今回の配信はどうなるのかという不安と、どんな曲で構成されて、福岡という地でどう歌うのか楽しみの入り混じった気持ちを抱えて観ていた。

いつもとは違う乗り物に乗って、福岡という場所で、目の間に観客がいて、出来たばかりの新しい場所。
そこから紡ぎ出された音たちには、どこか暖かい希望の光が射していたと思う。

『万華鏡』でのアクシデントは、先月のライブ配信での出来事を思い出させるようで少し緊張した。
それを受けてなのか、次の曲へのつなぎのための話なのかはわからないけれど、一匹狼に入る前には「絶対一人ぼっちではない」、「でも絶対に一人。人間って。脳みその中は見えないから。意識の中には入れないから。その意識みたいな孤独を感じることが多くて。」という話をしていた。
『Careless Grace』では「今の私にぴったりの曲です」と曲中に話したことや、曲前に今の自分の想いを吐露したような話から入ったこともあり、曲の奥深くへ入り込んで歌っているように感じ、言葉や音の間からどこか危うさを感じた。
そしてそのままの勢いで『追憶』に入ったからなのか、少しアクシンデントも起きた。


でも今日は、先月のライブとは違う環境、違う場所。
目の前には観客がいた。紛れもなくリアルで聴いている人たちが存在した。
だからこそ、『追憶』の途中では観客からの助けがあった。
そしてなにより、自分の出生地 でもある大分がある九州という場所の空気を纏っていたこともあると思う。



今日は強い。
大丈夫、だいじょうぶ。
そう思った。そう、思えた。

「私の周りは特になくなっていく場所が多すぎて。その悲しみにくれることが多くて。そんななか今日すごくワクワクした。新しい場所にいける」という話から歌い出した『スモーク』。
先月のライブの途中どこか崩れ落ちてしまったように感じたこの曲を、言葉を一つひとつ噛みしめるように、ギターの音に揺られるようにどこかゆったりと歌いきったその姿を見たとき、なんとも言えない安堵感と身体に広がる暖かいなにかを感じた。

「終わりじゃなくて始まりを感じれてすごく嬉しかった」
「またきっと私ここでライブをする」

『スモーク』を歌う前にそう話していた。だからかもしれない。
先月のライブをどこかで乗り越え、『スモーク』を歌うことで次へつながるなにかを見出したように思えた。
そのためにこの『スモーク』という曲が必要だったのだ、とさえ思った。

たくさんの拍手に迎えられたアンコールでピアノを弾き語りした『狭間』。
「またこの場所で会いましょう」、と告げ歌った『選択』。


聴きながら、ふと思う。

本音を言えば、いまは期待や楽しみよりも不安、心配な気持ちの方が強い。
もしかしたら今だって全力で演じきっているのかもしれない、という気持ちがぬぐいきれない。
歌っている姿の裏には、どんな思いを抱えているのだろうと推し量ってしまう自分がいる。

湯木慧さんは、今だって多分悩んでいる道の途中だとは思う。
20歳前後に感じられる感情のうねりの中で、自分の進む道と、創り出していくもの、求められるもの。
そしてそれらに対する評価し評価されること。
それでもなにかを見つけて進んでいかなければいけないことに、向き合っていることに変わりはないのだろうなと思う。

でもそこからなにを見つけだし、創り出していくのだろうと期待してしまう自分もいる。

これから湯木慧さんが歩んでいくまだ見ぬ道への不安と緊張感と。そして高揚感。それらの感情を抱えながら、ライブの最後に歌った『選択』の姿を思い出す。
後ろにある草花が揺れ、髪の毛がなびき、ギターを奏で、ふわっとした柔らかい笑顔で歌う姿を。


そして、ライブ終了の翌日に公開された「選択」のライブ映像。

自身が思い描き、作り上げた物語の終着地点。
いろんな人の選択を支え、一緒に進んできた中で、霧が晴れてきた先に見えた景色はどんなものなのだろう。

女の子から女性へと移り変わる中でのかわいらしい姿と、野生的な一面と、音や言葉に真摯に向き合うかっこいい姿を見せながら、これから先どんなものを描いていくのだろう。どんな姿を見せてくれるのだろう。

そんなことを思いながら、来年、そしてこれから先の湯木慧さんの歩む道に思いを馳せる。ダメだね、やっぱりワクワクと期待してしまう自分がいる。


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