鬼束ちひろさんの曲を、寒くなった夜に
たまたま、この前某歌番組で「Infection」を歌っている姿を目にした。
そう言えば今年の春先にテレビ番組で観たなぁ。なんて思い出しながら、久しぶりに聴いてみた。
十何年くらい前に初めて聴いた「月光」
それは、とても衝撃的だった。
痛みを痛いままに、人の醜さや弱さを飾ることなく偽ることなく歌い、そしてその言葉一つ一つに魂がこもっていた。
そうそれはまるで、命を削りながら歌っているように思えた。
その当時まだ若かったこともあって、危うい世界というかどこか影を含んだ世界に目移りしていた。
2次元ではそういう世界観のものは目にしていたけれど、3次元の世界ではそういうものは俗にいう中二病と呼ばれてどこか蔑まれていたからか、あまり目にすることはなかった。
中二病という言葉はその当時あまりなかったような気もするけれど。
そんな中で、ありのままに人の醜さや弱さといった感情を歌う姿を見たとき、なんて痛々しいのに美しい世界だろうと思ったのを覚えている。
そこからしばらくはいろんな曲を聴き漁っていたように思う。
曲でいえば…
「月光」、「Infection」、「Magical World」、「Castle Imitation」。
アルバムでいえば…
「Las Vegas」、「Singles 2000-2003」、「the ultimate collection」。
なんかを聴いていた。
若さゆえの過ち、というつもりはないのだけど、その当時はどこか心と身体のバランスが取れていなくて、夜になるととてつもない絶望感みたいなものが襲ってきていた。
そんなときに、聴いていた鬼束ちひろさんの曲はどこか救いともいうべき世界が広がっていて、落ち着いて呼吸をさせてくれるような感覚を覚えた。
どこかで心のお守りになっていたのかもしれない。
真冬の夜空の下で吸い込んだ空気が身体に冷たく染み渡るように、ゆっくり身体に沈み込んで行き、呼吸をしているという感覚を感じさせてくれていた、のだと思う。
少しずつ落ち着いてきてからは、頻繁に聴くものではなくなった。
だけれど、とても落ち込んだときややりきれない思いを抱えたときに、一人静かに聴くことで、現実をありのまま受け入れることに立ち向かっていく勇気を与えてくれた、
そう、多分お守りだったのだと思う。
それからいろんな音楽を聴くようになり、懐かしさを覚えてたまに聴くくらいで、あまり聴かなくなった。
そんな中で鬼束ちひろさんを巡るいろんなニュースは目にしたりもしていた。
でもだからといって、曲が嫌いになるとか、本人に嫌気がさすなんてことは全くなくて、昔から変わらず心の奥底でお守りのように大切に大切にしていた。
今年の春先、2月頃だったと思う。
ちょうどその頃はとても怒涛のような日々を送っていて、テレビ欄なんてものもテレビなんてものもほとんど観れていなかった時に、研修のために出かけ泊まったホテルの机の上に置いてあったテレビ欄をたまたま目にした。
正直その日はテレビなんてみる気も…というか、気持ち的に焦りや緊張みたいものがあって心ここに在らずで観る気力もなかったのだけれど、某放送局の夜23時?から放送しているそれは有名な番組に、鬼束ちひろさんが出る、と書いてあった。
目にした時は、驚きと戸惑いが入り混じった。
休養から復帰したのは知っていたし、その後いろいろとあったのもなんとなく目にはしていた。
でも、まさかテレビに出るなんて…。それも、今日だなんて…。ゆっくりみたかった、と思った。
デビューから20周年、という言葉に完全に押されるように、これは何としてもみなければ!、という気持ちでテレビの前で待機した。
正直なところ、本当に心ここに在らずの状態だったので、あまり記憶がない。観たのだけれど、観たような気がしていない。
ただ、そんな中でもしっかりと目に焼き付いているというか、忘れていない曲だけはある。忘れられない曲というか。
「書きかけの手紙」。
この曲だけは、涙を流しながら観ていた記憶がある。
こんなとても優しい曲を、歌うようになった、歌うことができるようになったのかと。
今まで聴いてきた自分の歳月を思いながら、デビュー20周年という節目の年を思いながら、いろんな思いがこみ上げてきた。
自分の命を削りながら、とてつもないエネルギーを使いながら歌を歌ってきて、いろんなことがあったと思う。
想像さえできないけれど、本当にいろんなことがあったと思う。
その歌い方で、その曲で、その姿で、確かに聴いたり観たりすることで救われてきた自分がいる。
報われてきた自分がいる。
そんな自分が言うのはとてもおこがましい気がするのだけれど、この20年できっとようやく心のどこかで報われる、救われる時間ができたのかなと感じた。
そう思わされるくらいに、とても印象的な曲だった。
その時、テレビに映し出された歌詞は涙で霞んでいたけれど。
その歌い方が、声色が、優しくなった、と感じた。
語弊があったら申し訳ないのと、言い方が難しいのだけれど、以前のように確固たる自分の核となるものはブレていないと思う。
そこに以前にはなかった、ふわっとした柔らかい優しさが加わった。と、感じたのだ。
深夜のテレビに映し出された、あの姿に、あの曲に、あの歌い方に。
あの、わずか数分の時間に。
そして、この前某歌番組で「Infection」を歌っている姿を目にした。
確かにそこには、昔聴いていた時救われていた「Infection」が流れていた。
豪華な舞台で、ピアノとストリングスを率いて歌っている姿で。
今聴いても心に響いてくるし、むしろこんな時代の最中だからこそ、より強いメッセージとして聞こえてくるようにも思えた。
でもどこかで思う。
柔らかい歌い方になった、と。
なんて言ったら良いのだろう、この感覚は。
一つの言葉では正しい感覚が伝えられなくて、どの言葉に当てはめても正しいニュアンスではない気がしてうまく表せない。
よくある言葉で言えば、表現の幅が広がった、なのだろうけれどそれも違う気がする。
ふわっとした柔らかい風のような優しさ、みたいなものが、奥底に見えるのだ。
凍てついた冬を越え、芽吹き出した春を迎え、そこにこれから夏を迎えようとする時に頬を撫でる生暖かい風というか。
そんなことを思いながら、新しい曲も懐かしい曲も聴いてみた。
これまでの20年とこれから先のことを自分と重ねながら聴く曲の一つ一つが、あらためて身体にじわじわとゆっくり染み渡っていく。
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