[さめのうた SS] 仮装祭の夜に

夜の街の中心で、ボクは周りの人たちを何となく眺めていた。ボクの目に映る人々は、ハロウィンらしく皆普通でない装いで楽しそうに街中を歩いている。魔女にお化け、ゾンビにピエロ、吸血鬼にキャラクターのコスプレまで。かくいうボクも死神の装いで、形だけではあるけれどドンキで買った死神の鎌まで持って、友人の到着を待っている。周りの方がインパクトが強くて、ボクの格好は完全に周りに馴染んでいた。少し早めに着いてしまったけれど、待ちゆく人々の色とりどりの衣装を見るのは楽しい。

しばらく往来を眺めていると、何やらあたりが騒がしくなってきた。街のあちこちで、騒ぎになっているように感じる。みんなお祭りで羽目を外してしまっているのか、とも思ったけれど、どうもそうではないみたい。なんていうか、緊迫した雰囲気を感じるんだ。様子を見ていたら、時折悲鳴が聞こえてくるようになった。何かがおかしい。もう少し騒ぎの方向に近づいてみようかな、と足を向けようとしたちょうどその時、騒ぎの方向から、血相を変えた男の人が叫びながらこちらへと走ってきた。
「ゾンビだ!本物のゾンビが出た!!」

彼の言うことを理解するのに少し時間を要した。その間にも彼は来た方向とは逆方向に決死の様相で走っていく。何事かと周囲がざわついている。でも、それからさらに何人もの人間が、みな一様に「ゾンビが出た」と言って走ってくるものだから、ボクも、周りの人もみんな心配になって、中には彼らと一緒に逃げる人も出てきていた。そんなことはないと思うんだけど、本当にゾンビが出たとしたら、ボクも逃げるべきかもしれない。なんて、この時点ではまだ悠長に考えていた。

今度は別の方向から人々が走ってくる。着ぐるみを着ている人は走りづらそうだった。彼らは今度は「ヴァンパイアが出た、逃げろ」と言いながら往来を駆け抜けていく。どうやら向こうはヴァンパイアらしい。さらに別方向からはミイラから逃げる人々。というか君たちの向かっている方向はゾンビがいる方向なんだけど、大丈夫だろうか。一番に走っていったガタイのいい青年が引き返して「こっちは駄目だ、ゾンビがいる!」と叫んでいたので、やっぱり駄目だったみたいだ。

ボクがいる街の中心部から、駅で遮られている南側を除いた3方向から怪物がやってきているらしい。そろそろどうするか決めないといけない。まずは待ち合わせをしているメアに連絡をすべきだろうか、とスマホを取り出したところで、間が悪いことにゾンビの群れがついにこの中心部にまで入り込んできた。あれらが仮装した人間でないことはすぐに分かった。説明は難しいのだけど、とにかく危険だと直感が告げている。周りはすでにパニックに陥っている。これは異常事態だ。認めざるを得ない。そしてここからは本気で事態に対処しなければならない。でなければきっとあっけなく死んでしまう。ゾンビに捕まった男性は噛みつかれ悲鳴を上げている。まずはこの場から離れよう。死神の鎌は安物で役に立たないのでその場に捨てて、ゾンビが来た方向とは逆にとりあえず走り出した。

分かっていたことだけど、ボクが向かった方向ではヴァンパイアが人々を襲っていた。しかもイメージ通り、ゾンビと比べて動きが素早い。逃げ続けるのは難しそうだ。同時に駅の裏側に回り込むルートが使えないことも分かった。なるべく路地裏や入り組んだ道を選んで、見つからないよう、見つかっても追いつかれにくいよう、駅から離れる道を進んでいく。いつ目の前にミイラや他の化け物が現れないとも限らないから、前方にも常に気を配らなければならない。極限状態のストレスがボクの神経を削っていく。化け物たちを見てもそこまでSAN値が下がっていないのは救いだな、なんてくだらないことを考える。

化け物を見つけたらその都度進路を変える必要があって、自分の居場所がよくわからなくなってしまった。駅から多少距離は取れているけれど、依然として化け物たちの包囲網の中にいる。遭遇する化け物もゾンビとミイラが半々くらいになってきた。ヴァンパイアや新種に出会っていないのは運がいい方なんじゃないか。走りっぱなしで疲労もあって、なるべく見つかりにくい、と思った路地裏で小休止することにした。どこか建物に入ることも考えたけど、扉を破壊しようとしているミイラを見かけてから、建物に入るのは選択肢から外している。どうにか見通しのよく逃げやすい路地を見つけると、息を整える。近くには騎士のような恰好をした男性が倒れていた。たぶん、助からない。

彼の近くに剣が落ちているのを見つけて、興味本位でそれを拾ってみた。おもちゃの類かと思ったら、意外なことに結構な重量がある模造剣だった。危険なので街中での仮装には適さない、というのは気になったけれど、この状況だったら武器として使えるかもしれない。彼には悪いけど拝借することにしよう。少し振り回してみたら、意外と振りやすく、打撃でひるませるくらいの役割は果たせそうだった。

状況がひと段落着いたので、改めてメアに連絡をする。彼女の状況は分からないが、街についたタイミングによっては巻き込まれている可能性も十分にあった。無事でいてほしいと祈りながらテキストメッセージを送る。意外なことにすぐ返事が返ってきたので、危険な状況ではないと判断して電話をかける。
「メア!?無事?今どこにいるの?」
「さめも無事でよかった。我は何とか逃げて今百貨店近くの路地にいる。さめは?」
「ボクは多分その百貨店の西側だと思う。そんなに遠くないはず。合流できるならした方がよさそうだけど、そっちはまだ化け物うろうろしてる?」
「いや、百貨店付近は意外と安全だと思う。なんか百貨店に逃げ込んだ奴らを追って周りのモンスターどもがほとんど百貨店に入っていったのは見た。いつ出てくるかわかんないけど、あの百貨店結構広いし、しばらくは大丈夫じゃないかな」
「わかった、じゃあメアのいる百貨店の近くに行く。近くってどの辺かわかる?」
「我もさめに合わせて西側に向かうよ。あそこ確か結構目立つ赤い看板あっただろ?あの周辺で落ち合おう。不測の事態が発生したら合流より逃げるの優先で」
「わかった。気を付けてね、メア」
「そっちこそ。じゃあ、またあとで」

メアとの合流を目指して、注意しながら東へと進んでいく。記憶をたよりに最短ルートを進んでいくと、なぜかゾンビの群れにぶつかってしまった。しかも見つかった。そして最悪なことに、引き返そうとした通路からミイラが現れた。ゾンビは緩慢な動きで近づいてくる。今までは何とか逃げる余地があったけど、このルートを選んだのは失敗だった。逃げ道がない。

右手に握った剣を見る。正直に言ってこれで何とかなるとは思えない。ボクが主人公だったらここで剣の腕に目覚めたりするのかもしれないけれど、生憎ながら今のところその兆しは無さそうだった。それでも他に方法はない。敵は複数、突破できればメアとの合流に近づく前方か。敵は単体、だけど大きく回り道を強いられる後方か。回り道でまた敵に会わないとは限らない。それにメアが一緒なら、きっと何とかしてくれそうな、そんな気がしていた。メアのような人がきっと主人公だ。ボクは前に進むことを決めた。何とかして道をこじ開けよう。

接近してきたゾンビに向かって思い切り剣を振り上げ、頭を砕かんばかりの勢いで振り下ろした。ゾンビが体勢を崩しそのまま倒れる。頭から黒ずんだ血が流れ剣に付着する。これならいけるかもしれない。そのまま進路上にいる2体のゾンビに向かって突進する。今度は走る勢いを乗せて横薙ぎ、をゾンビの腹部にお見舞いする。しかし今度はゾンビは少しのけぞるばかりで、まるで効いていないように手を伸ばしてくる。恐怖で思わず後退したけれど、後ろからはミイラの足音が聞こえてきて、あまり下がる余地がないことを知った。化け物にふさわしい異形を近くで見て、足が竦んでしまう。メアが待ってる、そう言い聞かせて足に力を入れて、持っている剣を鈍器としてがむしゃらに振り回す。剣筋なんてあったものじゃない。そのうちの一振りが偶然頭を横に殴打し、2体目のゾンビも地面に伏した。なるほど、ゾンビは頭を狙え、というのはセオリーなんだな、と実感する暇もなく、ボクの体に最後のゾンビの腕が迫っていた。

とっさに剣で腕を払い落とす。けれどとっさのことで握りが弱くなっていて、腕をはじくと同時に剣を取り落としてしまった。弾き返された剣は道の端に転がっていった。剣を拾いに行く、余裕は果たしてあるだろうか。ゾンビの手が再びボクの腕を掴もうとする。剣に少しでも近づくようになんとか距離を取ろうとする。努力空しく、ゾンビの手が僕の手首を捉えた。ものすごい力で握られ、引っ張られる。手首が砕けたんじゃないだろうかと思えるくらいの激痛が走る。ゾンビのもう一方の手がボクの体に迫る。逃れようにもすごい力で引き込まれる。逃れられない。ボクはまだ死にたくない。

ボクは逃げるのを止めた。今まで距離を置く方向に入れていた力を反転させる。掴まれた腕もろとも全体重を乗せてゾンビに体当たりする。ボクの体重でもゾンビをわずかによろけさせるくらいの衝撃にはなった。ほんのわずかに腕の拘束が緩む。その隙に無理やり腕を引きはがす。鷲掴みにされていた手首が硬い手によって引き裂かれ、鋭い痛みが走る。それでもなんとか拘束は解けた。体当たりの勢いそのままに前方への脱出を試みる。死神の仮装のマントが掴まれるが、気にせず力任せに体を前に運ぶ。布が破れる音がして、引き戻そうとする力はなくなり、ボクは燃えるように熱を持った手首をかばいながら必死に足を動かした。

気づけば化け物たちの気配はなくなっていた。掴まれた手首の痛みも、もはや感覚がなくなって気にならなくなっていた。息も絶え絶えにあたりを見渡すと、すぐ近くに赤い看板が見えた。メアとの合流地点だ。あたりに人影を探す。すると通りから少し陰になる場所に少女の姿が見えた。メアだ。吸血鬼の仮装をして、こんな異常事態だっていうのに、メアはいつも通りにかわいかった。メアの姿を見た瞬間に体から力が抜け、泣きそうになってしまった。メアもこちらを見つけて駆け寄ってくる。

「さめ、大丈夫か!?その腕の傷、それにマントも…」
「メア、よかった。襲われたけどなんとか逃げてきた。メアはその様子だと大丈夫みたいだね。怪我、は、今は何も感じないや」
「さめ…よく頑張ったな。ここからは我がいるから安心しろ。さめのことは我が…」
「メア、ありがとう」
話しながらもメアが近づいてきて、腕を差し出してくる。抱きしめてくれるのだ、と分かってとても安心する。ボクも腕を伸ばしてメアを捕まえる。メアの腕がボクを包んでくれる。ボクはメアを離さないようにと強く抱きしめた。
「さめのことは、我が…美味しくいただいてやるよ」
メアの歯が首筋に刺さる。鋭い痛みを感じる。メアをちゃんと抱きしめたいのに、体の力がどんどんなくなっていく。意識が霞んでいく。メアのぬくもりだけを感じながら、ボクの意識はそこで途絶えた。

**

「おい、さめ、大丈夫か?」
メアの声がする。体が重い。とても汗をかいている。重い瞼を何とか開ける。ボクの家。もう日が沈んで電気のついていない部屋は薄暗くなっている。ふらつきながら体を起こす。心配そうなメアの顔。メアは私服だった。ボクも私服だ。
「あれ、ボク…」
「なんかすごいうなされてたぞ?悪夢でも見たのか?」
悪夢。悪夢…?
「…そうかも」
水飲みな、とメアがコップを渡してくれる。それを一気に飲み干すと、思考がやっとクリアになってきた。
「どんな夢だったんだ?」
ボクは答えずに腕を広げる。メアはボクの要求を正しく読み取ってくれてハグをする。メアの綺麗な首筋。ボクは正直なところ腹が立っていた。首筋に歯を立てる。
「ちょっ、さめ…」
噛み跡をつける様に首筋に歯を沈ませていく。
「痛い、痛いって」
いつもは甘噛みなんだけど、今日は容赦なくしっかりと噛んだ。ボクの心をもてあそんだ仕返し。首筋にボクの印を残す。
「んっ…」
夢でも現実でも、メアの可愛さだけは変わらなかった。

跡をつけたことについてはあとでメアにすごく怒られた。夢の内容についてしつこく聞かれたけど、結局それは教えてあげなかった。ただ、ハロウィンの夜のいい思い出になったから、案外悪い夢でもなかったのかもしれないな。

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