[結目ユイ/A2P SS] 変わらない日々と変わったことと

とあるマンションの一室で、白い髪の少女、結目ユイが一心にモニターを見つめている。青く澄んだ瞳はモニターの光を映して輝いていて、色の薄い肌とのコントラストがその瞳の美しさを際立たせていた。絹糸のように白く透き通って見える腰まである長髪も、影になる部分は薄く桃色を帯びていて純粋な白髪ではないことがわかる。その整った顔立ちは見る者を一目で虜にする魅力を備えていて、アイドルと言っても差し支えないほどの美少女だ。とはいえ今のユイの顔は、モニターに映る少女たちの姿に緩みっぱなしだった。

ユイは今や多くのファンを持つバーチャルタレントとして活動していた。活動を初めてもう4ヶ月が過ぎようとしているが、ユイにとって生活が劇的に変わったという実感はない。変わったことといえば、よく配信をするようになったことと、よく見るコンテンツが魔法少女からおじさんになったことくらいだ。タレント業は大変なことも多々あったが、それでも楽しくやれているし、それはタレントになる前だって同じだったのだ。

モニターに映る少女が歌い出すのをユイが満足げに眺めていると、モニターのすぐ横に置いてあるスマートフォンが着信を告げる音を鳴らす。至福の時間を邪魔されぬように即座に切ろう、と手を伸ばすと、発信者の名前に耳の絵文字が入っているのが目に入った。ユイは少しだけ逡巡して、モニターから流れる動画を一時停止すると、改めて着信を受けるためにスマートフォンを手に取った。

「なあ!ぼす!!今何か欲しいものはないかっ!!?」
電話を取って聞こえて来たのは明るさと勢いに溢れる少女の声だ。白乃クロミという彼女のタレント業の同期でもある友人は、いつも突然電話をかけて来ては楽しげな声でユイをぼすと呼んでくる。目を輝かせて話す小動物のようなクロミの様子を脳裏に思い浮かべて、思わず緩んだ声を出しそうになりながら、それを自制して努めて落ち着いた声で返事をした。
「今アーカイブ見てるから急ぎじゃないなら今度にしてよ」
電話の向こうのクロミの声が少しだけ勢いを失う。
「また動画見てるのか…。じゃなくてぼす、欲しいもの教えてくれ!」
ユイはようやく自分の誕生日が来週に迫っていることを思い出し、質問の意図を理解した。少しからかうような声で答える。
「ミミちゃんがそんなこと知ってどうするの?もしかして買ってくれる?買ってくれるならなんでも貰うよ?」
ミミというのはクロミのあだ名だ。デビュー前に仲良くなってからユイはクロミのことをずっとミミと呼んでいた。
「買ってあげるわけじゃっ、うう、まあその買ってあげなくもない感じだから、その…とりあえずなんかあるだろっ!?なんか欲しいなーってやつとか!」
クロミは多分プレゼントしたいと直接言うのが気恥ずかしいのだ。直接欲しいものを聞くのもほぼ同じだと思うのだけど。ユイの口からわずかに笑みが漏れる。自分を慕ってくれているこの健気な年下の少女は、どういうわけかユイに対してはなかなか素直に甘えてくれないのだ。
「え、じゃあ油田。油田が欲しい」
軽く返したユイの返答では当然クロミは満足しなかった。
「まじめに答えてくれっ!なんかもっとあるだろっ?こう、お酒〜とか」
「真面目に答えたんだけどな」
「それ以外!それ以外で!」
「じゃあマンション。タワーなマンションがいいな」
ユイが返事を重ねるごとにクロミはだんだんと悔しそうな声になっていく。
「もう!クロミがあげられるものにしてくれ!!」
ユイはようやくクロミをからかうのに満足すると、声音が少し優しくなる。
「別に誕生日だったら、おめでとうって言ってくれるだけで嬉しいよ」
「でも…」
クロミはそのあとも少しごねていたが、結局はユイがうやむやにしてしまった。少しだけ他愛のない話をして通話を切る。ユイは再びモニターに向かい、中断されていた歌の続きを楽しむのだった。

****

「…って言うことがあってな!」
先ほどまでユイと話していたクロミが、今度は別のグループ通話で話している。通話相手は同じタレント事務所の同期のユイを除いた3人だ。九条林檎、巻乃もなか、雨ヶ崎笑虹、3人の名前がグループ通話のウィンドウに表示されている。
「なるほど、それで我らにゆいめへの誕生日プレゼントを相談したい、と」
「林檎さん!そうなんだ!」
まずクロミの話を受けたのは林檎と呼ばれた女性だ。芯の通った落ち着いた声が通話越しに響く。ゆいめ、とは本来むすびめと読むユイの苗字をもじったあだ名だ。
「確かにゆいめに贈るとしたらと考えると我もパッとは出てこないな」
林檎もすぐには思いつかないらしい。次に反応したのはもなかだった。
「私もユイちゃんにプレゼントあげたいな。何がいいんだろう…」
普段からファンを癒している穏やかな声が、少し困ったようにトーンを落とす。それもまた耳に心地よく、クロミはいつ聞いても羨ましいと思うのだ。
「もななちゃんも一緒に考えてくれっ!!」
クロミがあだ名でもなかに呼びかける。返ってきたのはんー、という悩んだニュアンスの相槌だ。
「わたしもボスにプレゼントする〜!せっかくだしみんなでボスに何かあげようよ!」
最後に口を開いたのは笑虹だ。まさに明るくかわいい女の子、と言っていい朗らかな声と素直な性格で誤解されがちだが、実は結構天然なところがあるのはクロミを含めここにいる全員が知っていた。
「えこちゃんっっ!!いいなそれっ!みんなですごいものをあげよう!!」
クロミのテンションが一気に上がる。もなかもその考えを気に入ったようで、少し声を高くして同意している。何を買おうか、買い物にいつ行こうかと盛り上がっている三人を尻目に、林檎だけが沈黙を守っていた。

「あれ、林檎さん?さっきから黙っちゃってたけどどうしたんだ?もしかして、一緒にプレゼントするの嫌だったか…?」
しばらく話さなくなった林檎に気づき、クロミが声をかける。林檎は少し間を置くと、言いにくそうな調子で答える。
「…いや、我もゆいめには世話になっているからな、プレゼントを贈るつもりはある。だが、なんというか…我こういうのがあまり得意ではないのだ」
クロミは頭を傾げる。どういうことか、と考えていると、それを察したのか林檎が言葉を続けた。
「もちろん、これは我の個人的な感覚で、貴様らの考えや好意を否定するものじゃないんだ。我もみんなで贈り物するのは別にいいと思う。ただ、こう、人にはそれぞれ事情があるだろ?その時たまたま持ち合わせがない、とか、あまり時間が取れない、だとかな。別にそれならそうと話し合えればいいんだが、例えば我の誕生日にな、『前ユイちゃんにみんなで贈ったから今度は林檎ちゃんに贈ろう〜』みたいな感じになったとき、ゆいめが口座に241円しか入っていなくても言い出しづらくなってしまうだろう?」
林檎が少し言葉を選びながら話し終える。クロミは自分の軽率さに少しうなだれてしまう。林檎が最後になんとかねじ込んだ冗談も、話題を軽くするには至らなかった。
「そうか…確かにそうだな…。クロミの考えが足りなかった」
クロミが落ち込んだ声で答えると、笑虹ともなかからも同意と反省の声が上がる。林檎は慌てた様子で明るめの口調で話す。
「嗚呼嗚呼すまないな、やはり話すんじゃなかった。このメンバーならそうやっても大丈夫だろう。一人では贈りづらいものを贈れたりするし、いいことももちろんある。それにゆいめが本当に金欠だったら、『ごめんわたし口座に241円しかないから無理!』とか遠慮せずに言ってのけるぞ、ははは」
ユイのものまねがツボに入ったのか、もなかの笑い声が聞こえてくる。笑虹も元気さを取り戻して言う。
「確かにボスなら言いそう!」
「ぼすならお金があっても『おじさんに貢ぐ分しかないから無理』とか言うぞ絶対…!」
そう言うクロミの声にも明るさが戻っていた。それを受けて他のメンバーからまた笑いが起きる。ひとしきり笑った後、クロミが改めて口を開いた。
「じゃあやっぱり、プレゼントは各自贈りたいものを贈るってことにするな!それでクロミのプレゼントについても思いついたらアドバイスしてくれ!」
林檎が提案する。
「なら我こっそりゆいめに探りを入れてみよう」
「私もそれとなく聞いてみます!」
「私も聞いてみる〜」
もなかも笑虹も乗り気で答える。ひとまず三人で改めて探りを入れるということで、会話はお開きとなった。

****

ユイが次にみる動画を物色していると、スマートフォンがメッセージの到達を告げる。送り主はもなかだ。メッセージにはこう書かれていた。
『そういえばユイちゃん新しいカメラ買ったんだって?もう使ってみた?』
ユイはすぐに返事を返す。
『買ったよ〜お花見で使ったの!いい写真いっぱい撮れたから今度見せてあげるね。ただやっぱちゃんとしたカメラって重いね。肩凝っちゃった』
『ネックストラップとか使ってる?』
『前までミラーレスだったからちゃんとしたやつ持ってないんだよね。今度買わなきゃな〜』
『じゃあ今度一緒に買いに行こうよ!私がおすすめしてあげる』
『え〜嬉しい!助かる!行こ行こ〜』
テキストでの軽快なやりとりが続く。カメラは何にしたとか、使い心地はどうとか、そういったことを一通り話すと、あとで日程を決めよう、ということでやりとりは終わりになった。

しばらくするとユイの元にまたテキストメッセージが届く。今度の送り主は笑虹だ。笑虹とはやりとりの頻度がクロミやもなかと比べて多くないので少し不思議に思い、内容を確認する。
『ねえねえ、ボスはサンタさんにプレゼントお願いするとしたら何にする?』
思わずメッセージを見返すが、なぜ春のこの時期にサンタクロースが出てくるのかユイには理解できなかった。
『なんでサンタ?ふつーにお金とか欲しい』
『え〜ボスなら面白い答えくれるかな〜と思って』
『私は芸人じゃないんだぞ。面白さを求めるんじゃない。美少女だからスイーツ♡とか答えるんだからね』
『ボスがスイーツって言ってたら逆に面白い〜』
『なんでよスイーツ好きだよ!』
結局なんのことだかわからないまま、会話はスタンプで終了してしまった。プレゼント、という単語から、今日のクロミとのやりとりを思い出す。そして、この会話がユイの中でようやく繋がった。
(ミミちゃんがみんなに相談して、探りを入れてきた、ってこと?笑虹ちゃんのは探り、でよかったのかな…?もなかちゃんもプレゼントくれるのかな。そうするとあとは林檎ちゃんからくるはずだけど)
そう思いしばらく待ってみたが、林檎からのメッセージの気配はない。結局、その日は他に連絡もなく、夜はふけていった。

林檎から連絡が来たのは翌日、しかも電話だった。
「ユイか?今大丈夫だったか?」
「うん、どうしたの?」
昼過ぎまで寝ていたユイは少し眠そうな声をだす。
「いや、今度友人と春服を買いに行くことになってな。我この辺の店にあまり詳しくないから、どの店がいいとか教えてもらおうと思ったんだ」
「そういえばTwitterで言ってたもんね。えっとね、私がよく行くのは…」
そこからしばらくは出かける場所に合わせたおすすめの店や、よく見るブランドなどの話が交わされていく。林檎もファッションの知識は豊富であり、ユイも楽しく話をする。服だけでなくスイーツや雑貨などのおすすめについても話が及んでいく。
「ああ、もうこんな時間か。すまないな、時間を取らせて。参考になったし、何より楽しかった。礼を言おう」
林檎の言葉にユイも嬉しくなる。
「こちらこそ楽しかったよ!お買い物楽しんで来てね!」
そう言って通話を切る。そこでユイは改めて気づく。
(普通に楽しくおしゃべりしちゃったけど、これも探り入れられてたな。お店のおすすめが知りたいってのも本当だろうし。ミミちゃんと笑虹ちゃんはもっと林檎ちゃんを見習った方がいいよほんと)
それでも、皆が自分を思って時間を使ってくれていることに変わりはない。そうしてやっぱり嬉しくなって、ユイは誕生日への期待を少しだけ募らせたのだった。

****

その夜、またしてもクロミ、もなか、笑虹、そして林檎によるグループ通話が行われていた。各々の探りを入れた結果やアイディアを共有するためだ。
「みんなぼすからなんか聞けたか!?クロミはあれからずっと考えてたけどいい案が全然思い浮かばないんだ…」
クロミの問いかけに最初に答えたのはもなかだ。
「私はカメラ関係のアクセサリーにしようと思ってるよ。ネックストラップ持ってない、って言ってたから私のおすすめをあげるつもり」
「カメラか…クロミは全然わからないから、変なもの選んじゃいそうだ…」
次に笑虹が答える。
「欲しいもの聞いたら、真っ先にお金!って言われて笑っちゃった。スイーツ好きって言ってから私はお菓子にするね。デパートでいいお菓子買っちゃう〜」
「ぼすすぐお金って言う…。お菓子いいなっ!でもえこちゃんと被っちゃうか…」
最後に林檎が答える。林檎はユイの好きなファッションやお菓子、よく行く雑貨屋など、ヒントになりそうなものをかいつまんで説明していく。
「…と、まあこんなところか。我はこの辺とは全然関係ないものを贈ろうと思っているから、気にせず参考にするといい」
「さすが林檎さんっ…!今のメモしたからゆっくり考えてみるな!」
そのあともプレゼントを決めきれないクロミのために、各々が一般的なプレゼントのアイディアを出し合って、その日の通話は終わりになった。

通話が終わり、クロミはもらったアイディアを元に再びプレゼントを考えはじめる。しかし結局は昨日もひたすら考えたことをなぞるだけだった。ユイはデビューする前、オーディションの時から一緒に過ごした大切な友人だ。その友人がデビューして初めて誕生日を迎える。きっとたくさんのお祝いの言葉を貰うのだろう。クロミはありきたりじゃない特別なものを贈りたかった。今までの活動の一番の支えになってくれたことの感謝をきちんと伝えたかった。ユイが欲しいと思っているものを贈りたかった。そして、がっかりされることが少しだけ怖かったのだ。

****

4月10日。ユイの誕生日だ。日付が変わった瞬間から、ユイのTwitterには様々なお祝いのメッセージが届けられていた。届いたメッセージの量に驚きつつ、ユイは一つ一つ丁寧に目を通していく。今日の夜には誕生日記念の配信もやるのだ、あまり夜更かしはできない。いつまでも届くメッセージを読んでいたかったが、後ろ髪を引かれる思いで一旦切り上げて休むことにした。

翌朝、ユイを起こしたのは朝一番に来た宅配業者が鳴らしたチャイムだった。急いで荷物を受け取る。荷物の数は全部で4つ。ユイは一つひとつ中身をあけていった。

一つ目の荷物はもなかからだ。中身はカメラ用のネックストラップだった。一目見て可愛いと思えるデザインで、ユイの普段着にもよく合うだろう。同封された手紙にもなかの可愛らしい文字が見える。
『ユイちゃんへ
お誕生日おめでとう。この前は一緒に買いに行こうっていったけど、本当は話を聞いた時からこれがいいって思ってました。なのでプレゼントしちゃいます。でも一緒にお買い物行きたいのは本当だから、今度絶対行こうね。
このネックストラップはデザインも絶対ユイちゃんに似合うと思うんだけど、とっても使いやすくて、私もよく同じ種類のを使っています。気に入ってくれるといいな。
これからもよろしくね。
巻乃もなか』

二つ目の荷物は笑虹からだった。スイーツのブランドにあまり詳しくないユイでも聞いたことがあるような高級ブランドの焼き菓子の詰め合わせだ。すぐにでも食べてみたい気持ちを我慢して手紙に目を通す。
『ユイちゃん
お誕生日おめでとう!ユイちゃんは甘いものが好きそうなので、ふんぱつしてとびきり高いお菓子を買っちゃった。買った時に、自分用にちっちゃい箱のクッキーを買って食べたんだけど、ほんとうにおいしかったから味は期待してね。
いつも堂々としててみんなを笑わせてくれたりするところ、とっても尊敬してます。これからも一緒に頑張っていこうね。
えこ』

三つ目の荷物は林檎からだ。開ける前に、その箱の形状が気になった。やけにひらべったいのだ。箱を開けると、薄い冊子のようなものがダンボール板に挟まれてしっかりと梱包されている。梱包を解いて目に入ったものにユイは思わず叫び声をあげてしまった。表紙に大好きな美少女が載った薄い本が3冊届いていた。どれもまだ通販されておらず、ユイが手に入れられていなかった本だ。
『ユイへ
誕生日おめでとう
我からの贈り物は少々誕生日に贈るには似つかわしくないが、型破りなユイにはこれくらいでないとインパクトが薄いと思ってな
何よりこれが一番嬉しいだろう?
安心しろ、我の手元にもちゃんと確保してある
「布教用」がこんな形で役に立つとは思わなかったがな
普段はあまり言わないが、我はユイのことをとても頼りにしている
これからも共に戦って行こうじゃないか
九条林檎』

そして四つ目は、所属するタレント事務所からだった。ファンの心がこもった祝いの言葉が乗せられたたくさんの手紙を、事務所が取りまとめてこの日に合わせて送ってくれたのだ。送り主の名を見ていくと、いつも配信に来てくれるファンや、よく交流をするファン、そして見覚えのないファンの名前もあった。いつも目に見える形で応援してくれるたくさんのファンと、声はかけずにひっそりと楽しんでくれるファンの気持ちが形になって届いたような気持ちだ。なんとなく、自分がたくさんの人に応援されていることを実感できていなかったのが、今日はその手紙の一枚一枚の重みとなってしっかりと感じられる。

ユイは嬉しい気持ちになりながらも、一つだけ、クロミからの贈り物がないのが気がかりだった。あれだけ贈る気でいたのだから、てっきりくれると思っていたのだ。しかしもちろん、時間指定がずれている可能性もある。いずれ荷物なりメッセージなりが届くだろうと、まずはたくさんの手紙から目を通し始めるのだった。

****

しばらく経ってまたチャイムが鳴る。また配達員だろうか、と来客が映る画面に目をやるが、そこには誰もいなかった。ユイは不思議に思いよくよく画面を見ると、画面の下の方に金色に輝くつむじが映っているのを見つける。

ユイがドアを開けると、そこにはクロミがいた。ショートカットの金髪に、いつもつけているパンダの髪飾りをした少女は、その小さなからだと愛らしい顔立ちとあいまってわんぱくで可愛らしい小さな子供に見える。それでも立派にタレントをやっているユイの同僚だ。手には白い箱を持っている。

「ぼす、お誕生日おめでとうだぞ」
そういうクロミの声はいつもの元気が感じられなかった。とりあえず家の中に招き入れる。しかしクロミはなかなか玄関から先に上がろうとしない。ユイがどうしたのかとクロミを見つめていると、クロミは恐る恐る、といった様子で口を開いた。
「ぼすに、その…ケーキを買ってきた。誕生日といえばケーキだからなっ」
そう言って持っている白い箱を差し出す。ユイはそれを受け取ると、意外な重さに少し驚いた。クロミはさらにおずおずと言葉を続ける。
「それで、そのな、ぷれぜんと…」
クロミの手には封筒が握られている。どこか見覚えのある封筒だ。
「えっ、それもしかして」
「ぼすが…、欲しいものを教えてくれないから…」
クロミの声はわずかに震えている。その様子に、ユイはふっと笑って、それからクロミの顔に手を置く。
「欲しいものの代わりに、一つお願いしてもいい?」
その言葉に、クロミはぱっと顔を明るくする。ユイは言葉を続ける。
「だからその封筒はしまって。それでお願いなんだけど」
一旦ユイが言葉を切る。
「このケーキ、ホールでしょ?一人じゃ多分食べきれないから、一緒に食べてくれる?」
クロミは顔を赤くして、嬉しそうな、恥ずかしそうな曖昧な顔を浮かべている。そして、こくりと頷くと、靴を脱いで部屋へとあがる。ユイはケーキを持ってクロミを部屋へと招いた。

クロミとの穏やかで楽しい時間が過ぎる。クロミはケーキを頬張り機嫌が良さそうだ。その様子を眺めながら、ユイは少し前に思っていた考えを一部改めることにした。

活動を初めてもう4ヶ月。ユイにとって生活が劇的に変わったという実感はない。変わったことといえば、よく配信をするようになったことと、よく見るコンテンツが魔法少女からおじさんになったこと。あとは素晴らしい友人たちと、素敵なファンを持ったこと。タレント業は大変なことも多々あったが、それ以上に楽しくやれている。それはタレントになる前にも思っていたが、改めて今こう思う。この4ヶ月が、今までで一番楽しい4ヶ月だった。そしてきっとこれからも、この楽しい日々は続いていくのだ。



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