[白乃クロミ・桃子SS] 夕暮前のティータイム

小柄な少女が目の前の屋敷を見上げている。その少女、白乃クロミは、一度スマートフォンの液晶をのぞき込み、場所が間違っていないことを確かめると、やや緊張した面持ちで門をくぐった。今日は初めて友人の家に遊びに来たのだ。屋敷に住んでいる、と聞いてはいたが、実際に目にすると想像以上に豪勢に見えて気後れしてしまう。それでも、いつまでも玄関の扉の前にいたって仕方がないので、クロミは呼び鈴を鳴らした。
来客を告げるベルが屋内に響くのが扉の向こうからでもわかった。しばらく待ってみても、誰かが動く気配すらしない。クロミは少し訝しみながらももう一度呼び鈴を鳴らす。またしばらくの間があって、ようやく誰かが気が付いたのだろう、扉の奥から物音が聞こえた。扉が開き、クロミの前に現れたのは、クロミの知らない女性だった。

はーい、とゆるい声で扉を開けた女性がクロミを見つめる。友人のようにすらりとしたモデル体型で、栗色の髪をゆるく束ねている。服装もまさしく部屋着といったゆったりとした雰囲気だが、どこかのファッション雑誌から切り抜いてきたかのように小ぎれいに整っているように見えた。メイクのことなどあまりよく知らないクロミにも、その女性がめかしこんでいるようには全く見えなかったが、それでもあまりに美人だったので、クロミはしばし茫然とその顔を見つめていた。
「もしもーし。どちら様ですかー」
女性からの気の抜けた声でクロミが我に返る。そして必死に目の前の女性に対する心当たりを探し始めた。まったく手掛かりが思いつかず、訪ねる家を間違えたかとまで考え始めたところで、再び女性から声がかけられる。
「もしかして、蜜柑ちゃんのお友達?」
蜜柑、とは訪ねてきた友人の妹の名だ。ということは、この家が友人の家だということは合っている。そして、蜜柑とは確か中学生くらいの年頃だったはずだ。つまり、クロミは中学生の友達だと間違えられたということになる。
「クロミは立派なれでぃーだっ」
幼く見られたと思って反射的に言い返してしまうと、それを聞いた女性がああ、と合点した様子で応えた。
「クロミちゃん、ってことは林檎ちゃんのお友達?そういえば林檎ちゃん、今日友達来るって言ってたっけ」
目の前の女性から友人の名が出て、本来の用件を思い出したクロミは慌てて姿勢をただした。
「あの、林檎さんのおうちに遊びに来ました白乃クロミです!林檎さんはいますかっ」
「んー、でも、林檎ちゃんが友達来るって言ってたの17時だったような。それまでには帰るって言って、出かけてるよ」
クロミが慌てて時間を確認する。16時を少し過ぎたところ。前日の通話で林檎が言っていたことを思い出す。
『すまないが昼の予定が少し長引く可能性がある。来るのは17時くらいにしてくれるか』
クロミが時間を間違えたことを認識すると、動揺しながらなんとか言葉を返す。
「あっえっと、ごめんなさい、じゃあどっかで時間をつぶして…」
「とりあえず上がったら?」
女性が気だるげにクロミの言葉を遮る。
「どうせ林檎ちゃん早めに帰ってくるだろうし、中で待ってなよ」
「いいんですか、えっと…」
クロミが言いよどんだ理由を察した女性が答える。
「あ、あたしは桃子です。どもー。林檎ちゃんのおうちに居候してまーす。林檎ちゃんから聞いてない?ま、いいか。適当にあがって」
桃子と名乗った女性はクロミを招き入れると扉を閉め、屋敷の奥へと進んでいく。クロミはそわそわしながら、桃子の後についていくので精いっぱいだった。

リビングに通されたクロミが所在なさげにあたりを見渡している。別段特別なものが置いてあるわけではないのに、どうしてか高級な雰囲気を感じていた。部屋は隅々まで掃除が行き届いており、少し薄暗いようにも思えたがかえってそれが快適だった。キッチンへと向かった桃子がクロミに呼びかけた。
「クロミちゃん。紅茶でいい?」
「はっはい!」
クロミの返事に表れた余裕のなさは、知らない場所への緊張もあったが、何よりそばにいる大人の女性に対する緊張が多分に含まれていた。大人の女性。クロミが桃子から受けた印象を端的に表すとそうなる。ゆったりとリラックスして話す様子からは初対面の人に対する緊張などが全く感じられない。たいていの人間は初対面の人物に対して警戒を抱く。たとえ相手を子供だと思っていても。クロミは自身の仕事の経験からそう知っていた。桃子が警戒や緊張を抱いていないのも仕事の経験から感じ取れた。それがクロミには大人の余裕に見えたのだ。そして仕事をしていないときのクロミは、そんな大人の余裕を見せる女性に向き合って慌ててしまうような、ごくふつうの女の子なのだ。
「紅茶どこだっけ……ちょっ、まっ……あ、そこ?ありがと」
キッチンから桃子の声が聞こえてきて、誰かと会話しているような気がしてクロミはその方向に意識を向けた。しかし他の人の気配は感じられない。お湯を沸かす音や食器を動かす音が聞こえてくるばかりだ。クロミが不思議に思っていると、ティーセットを用意した桃子がキッチンから戻ってきた。
「お待たせ。林檎ちゃんみたいにうまく淹れられないけど、お茶も出さないのはね」
「ありがとう…ございます」
「そんな気使わなくていいよ」
現状気を使ってもらっているのはクロミの方なのだが、桃子はそういうと手早く準備を進める。手馴れた動作をクロミは目を丸くして見ていた。
「林檎ちゃんといるとね、こういうの覚えちゃうんだよね」
はい、という声と共に差し出されたティーカップに淹れたての紅茶が注がれる。紅茶の香りが温かい湯気とともに部屋の中に立ち上ってくる。
「好きなのどうぞ」
焼き菓子の詰め合わせの箱が開けられ、砂糖瓶のとなりに置かれた。おいしそうなクッキーやマドレーヌが箱いっぱいに詰まっているのが見える。桃子はそのままテーブルの向かいに自分のティーカップを置くと、紅茶を注ぎ、テーブルについた。

しばらくの間、桃子は何も話さず、紅茶とマドレーヌを楽しんでいた。クロミは紅茶を飲みながら、そのしぐさをつい目で追ってしまう。何を話していいか分からなかったが、リラックスした空気が流れる部屋で過ごす沈黙は苦痛にはならなかった。
「クロミちゃん、さっきはごめんね」
「えっ、えっと、なんのことだ…?」
心当たりがないクロミが戸惑いながら答える。
「立派なレディを子供扱いしちゃって」
その声音にはすこしからかうような気配があった。だが、慌てて変なことを言ってしまったのはクロミなのだ。クロミは赤面しながら答える。
「いきなり変なことを言ったのはクロミだから…」
「それで、クロミちゃんていくつなの?多分あたしより年上ってことはない…よね?」
それは恐らくそうだろう。だがクロミは答えに窮した。
「えっと……多分桃子…さんの方が年上だと思うぞ」
「林檎ちゃんと同じくらい?」
「林檎さんも多分年上だと思うけど…」
クロミの煮え切らない答えに桃子が首をかしげる。
「林檎ちゃんの歳知らなかった?林檎ちゃん確か……えーっと」
「桃子さんは、林檎さんのお仕事の話とか知ってるのか?」
クロミが尋ねる。桃子は少し間をおいて答える。
「タレントのこと?」
「実はクロミもタレントで、林檎さんはそのタレント同士の友達なんだけど…」
なるほど、と桃子は頷く。
「道理でこんなにかわいいわけだ。大きくなったら美人さんになるよ。…モデルになるには、もうちょっと大きくなる必要があるけど」
「クロミは大人のれでぃーだっ!」
褒められた気恥ずかしさを紛らわすようにあえて冗談めかした答えを返す。
「ごめんごめん。それで?」
「それで、その、クロミは仕事の関係上、年齢は秘密にしてるんだっ…」
クロミは嘘はついていない。年齢が必要になったときに言う年齢も決めてあり、タレント業で必要になったときはそちらを言うと決めている。だが、目の前の女性になんとなく嘘をつきたくなかった。
「じゃあ困ること聞いちゃったね、ごめんね」
言葉の上では謝っているが、桃子の雰囲気は変わらない。もちろんクロミも謝罪を求めているわけではないので、その言葉を了解と受け取った。
「それで、桃子さんは何歳なんだ?」
「レディに年齢を聞いちゃいけません」
クロミには年齢を聞いたことを悪びれもせずに桃子が答えた。
「それより、そろそろ林檎ちゃん帰ってくると思うけど、林檎ちゃんにもう中にいるって連絡した?」
「あっ!そうだっ」
もう着いてから30分ほどが経過していた。クロミがスマートフォンを取り出す。操作していると、桃子は食器を持って立ち上がった。
「じゃあ、あたしは片づけたら自分の部屋に戻るから、林檎ちゃんが来るまで適当に過ごしてて」
「あのっ、ありがとうだぞっ」
んーん、と返事をしながら桃子が立ち去っていく。いつの間にか窓から指す光に赤みが帯びている。日が短い今の季節は、もうすぐ夕暮時なのだ。

林檎と合流したクロミは、桃子に紅茶を淹れてもらったことを嬉しそうに話した。クロミは林檎に尋ねられて桃子の印象を話す。大人っぽくて、やさしくて、きれいで、林檎さんのお姉さんみたいな感じだった。その答えを聞いた林檎は、驚きと戸惑いを隠しきれない、なんとも微妙な表情を浮かべていたのだった。

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