VRoidの話#12 「うちの子」を誰にお届けするのか?
VRoidでキャラクター作りまして、VRoidHubに上げますとイキイキ動き出します。楽しいですよね。
私最近、悩んでおります。
このモヤモヤを文章化できるか、試みてみます。
VRoidHubを眺めてみて感じるに、大きく2パターンの方がおられます。
遠目で眺めますと、分かりやすいです。
パッと、赤丸、青丸、(一部?)をつけてみました。
何の違いか分かりますか?
注:この印はいい、悪いという意味ではないのでご注意ください。
ご覧になられている方に作者殿がおられればご容赦ください。
種類が分けられるという意味です。
違いは、
・青丸:キャラクターの名前が前に立っているキャラ。
主語がキャラクター。
・赤丸:作者目線のキャラクターの名前が前に立っているキャラ。
主語が作者。
ということです。
青丸のキャラクターは、お届け先をVRoidを知らない人もターゲットとしてキャラ自体のパッション(情熱)届けようとしているキャラクター。
赤丸のキャラクターは、お届け先をVRoidを知っている人や、同サイト内の知り合いを主にターゲットとしてパッション(情熱)届けようとしているキャラクターということになります。
以下の例で行きますと分かりやすいです。
左の人は、名前が作者目線の話で、作者に注目を集めたいもの。
右の人は、キャラクター目線の話で、キャラクターに注目を集めたいもの。
ということになります。
「作者と作品は分けるか否か」というのは永遠の課題であり、鳥山明先生であっても、初期作のアラレちゃん時代に以下の作者キャラや編集者キャラ、内輪ネタキャラが出ておりましたし。
よく考えれば、ちょっと脱線ながら、
ドリフターズは、もともと練りに練って作り出されたシナリオ、コントをネタにした笑いで、バカ殿やカトチャンペなコミックキャラを売りにした笑い。志村けんさん<バカ殿、ひとみばあさん、カラスの勝手でしょー etc.
対して、ひょうきん族は、芸能人本人を主軸にした、内輪ネタやアドリブを重視した笑い。北野武さん=たけちゃんマン。
Youtubeのなかった時代には、ひょうきん族は画一的なテレビ番組構成において当時は画期的であったと思うし、Youtubeで動画が溢れる時代には、ドリフやチャップリン、バスターキートンのような洗練され、計画されたキャラクターに対する笑いが、高品質で面白いよねと思ったりします。
(YouTubeだとなかなか出ないでしょうね)
ん? ちょっと脱線?
脱線を戻します。
VRoid においてのキャラ作成は、そもそも論が「3Dでキャラを作ること自体が結構難しい」ので、果たして自分のキャラを見ている人、見せたい人を誰と想定して…という考えも難しい。
どのみちキャラは1体1体しか見せられないし、届けたい人=作者そのものを主語にして「ワタシ上手くなったでしょ?」でもいい気もします。
自分も「いいね」もらえると自分が褒められたかのようにうれしいです。
しかし、一方で、圧倒的に知名度のあるキャラクター二次創作は完全に作者概念は弱体化されます。
ただ、果たして、自分が「いいね」されたと言えるのかどうか?
ゆくゆくはオリジナルキャラで1ジャンルを築くと言いますか、結局のところ、「自分だけのコンセプト」が見つからない限りはさまよう気はします。
手塚 治虫 先生ですら、自分露出しまくりですので。
ちなみにですが、こういうことをちょっと考え出したのは、JOJO作者の荒木飛呂彦先生の以下の本を読んだからというのもあります。
ちょっと面白いのが、本作冒頭で荒木飛呂彦先生は、
「こんなに自分は一生懸命頑張っているのに、編集者は中身も読んでくれない。一方で、キン肉マン作者の『ゆでたまご』先生は、自分よりも若いのに、少年ジャンプで人気がある。
絵も特別高度でもないし、ストーリーも深くもないのになんでやねん!」的なジェラシーが満ち溢れています。w
この本は、
「作品を誰に届けたいのか」
「世界観、ストーリ、キャラクター、テーマが重要」
と記載があり、「漫画を最後まで読んでもらうためにはどうするか」
荒木先生の鋭い切り口がとても勉強にはなります。
ただ、果たして VRoidHubキャラクター1体で
「世界観、ストーリ、キャラクター、テーマ」なんてどこまで表現できるかどうか。
…んー。モヤモヤしますね。
では、みなさまもよい VRoidライフを!
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