カラスも喰わない脳内のモヤモヤ廃棄所

暖かさを知ってしまったから、今ここが寒いなと感じる事ができるのかなとふと思った。

虚しくって居た堪れなくなって、窓際の一番日が当たるところに置いてある多肉植物にシュッシュッって水をあげて眺めると、多肉のぷるんと今にも弾けそうな葉にのかってる水分がキラキラして綺麗だった。多肉植物の名前は忘れてしまった。
その撥水した水分の中に、逆さまになった今の世界が詰まってて地球ってこんな感じなのかな、とか思えてきた。

当たり前が当たり前じゃなくなって、普通に許されていた行為が今じゃ形を変え始めている。でも今は形を変えないと自分の大切な人を守れない、この世界に生きている人全て、『また誰かの大切な人』なのだから心を引き締めて行動をこれからもしていかなきゃいけない。


暖かさを感じれるのも、周りの人が暖かくしていてくれていたから。その暖かを知っているからまた誰かに、暖かさを提供できるんだ。とっても感謝しなくちゃいけないことだ。
でも、慣れてしまう。寒いも慣れる。慣れなくても自分で暖をとれる術を知っている、時間はかかるけど。

忘れたくない事も、いつの間にか忘れちゃうし、辛いことに慣れたくなくても慣れていたり
それは寂しいことなのかもしれないけど、いい反面を持っている。
長所は短所とも言うから、短所も長所な訳で。

それで、今もここに素知らぬ顔をして立って居られる、寒くて悴んでも居られるのかもしれない。

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