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嗅覚が無くなって思ったこと。

4月末、コロナに感染した。

発症して一ヶ月経ったけど、嗅覚がたぶん4割くらいしか戻ってない。お肉とかバターの動物性食品とニンニクの匂いが特にわかりにくい。魚は少しわかる。料理で言うと、ラーメン、パスタ系が全然味がしない。あと困るのは、臭い匂いがわからないこと。腐ってるとかも分からないし、自分の体臭もわからない。少しずつ良くなってきてはいるけど。

嗅覚異常が出ても8、9割の人が一ヶ月くらいで治るらしい。私は1割に入ってしまったというわけだ。不運だなと思うけど、生きてるだけでよかったし、嗅覚だけで済んで良かったって今は思う。

今まで悩んでいたことがくだらなく思えた。生きているだけで幸せなことに気づいた。バスで偶然話したおばあちゃんとの会話で、より深くそう思えた。

先日、電車が人身事故で止まっていて、バスで帰った。おばあちゃんが、駅までの道をバスの運転手さんに尋ねていて、私もたまたま同じ駅に向かっていたから一緒に駅まで行った。

おばあちゃんは、一ヶ月前に脳の血管の手術をして、難しい手術だったのに先生の腕が良かったから成功して元気になったらしい。

「いい腕の先生に出会えたから助かった」そう言っていた。そのおばあちゃんは、前に医者の診断ミスで重大な病気を見逃されていたらしい。

その話を聞いて、いい耳鼻科の先生を探そうと思った。私は愚かにも、いい先生を探すという考えはなかった。いつも「しょうがない」で流れに身を任せるのが悪いクセだ。なんとかしよう!と思うクセをつけたいものだ。

話は逸れたけど、おばあちゃんの話を聞いたことと、コロナになって味覚と嗅覚障害になったことで、改めて思う。

生きてるだけで幸せだ。味があるだけで幸せだ。目が見えて耳が聞こえて普通に生活できていることが幸せだ。

おばあちゃん、手術後も痛くて大変だったらしい。それを聞いて思った。

今、健康で何でもできる状態で、どうでもいいことに悩んでどうでもいい人に振り回されて、大してやりたくもないことをやってるのって本当に時間の無駄だなあ。

気分良く過ごせるのってあと何日あるんだろう。親も生きてて自分も健康な日があと何日あるんだろう。その時、今日のことを思い出して、あの時は幸せだったなって思い出すんだろうな。

あの時は幸せだったなって今思い出すことがよくあるけど、未来の私はきっと、今の私をあの時は幸せだったなって思うことになる日は来るんだろうな。

あの時の私は幸せだったのに、どうしてそれに気づけてなかったんだろうって思う未来は嫌だ。今思う。美味しいものを美味しいと思えることがどんなに幸せか。

愛されるのが幸せ?じゃあ愛がなくなれば不幸なのか。無いものではなくあるものに目を向けよう。無いものを数えてもキリがないし、世界は自分の主観だから。自分の見たいように見ればいい。事実は変えようがないけど、捉え方は変えられる。


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