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その足、私が治してもいいですか?

何年経っても忘れられない出来事がある。

それでも、思い出さずにしまっておくと、少しずつ忘れていってしまうものだ。これ以上薄れさせないために、今ここで記録しておこうと思う。

確かにあれは、現実だったのだ。

大学終わり、仙台駅を友人と歩いていた私はずっと歩き回っていたから疲れてしまって、駅とエスパルの間に設置されている椅子に腰掛けた。

あたりはいつも通り人でごった返していて、その行き来をぼんやり眺めながら「あ〜今日も人が多いね〜〜」なんて友人と笑っていた。

そしたら、なんの前触れもなくそれは起こった。

どこからともなく現れた女の人が、私たちの目の前に立っていたのだ。笑顔で。

すみません、と声をかけられるまで、近くに迫ってきているのすらわからなかった。

本当に突然現れたので、「えっどっからきた?」と友人と戸惑ってしまったんだが、彼女が持ちかけてきた話を聞くとさらにその戸惑いは勢いを増した。

「私、いま修行中で。ちょっとした魔法が使えるんですよ。痛い部分とか、ありませんか?その痛み、治して差し上げられるかもしれません」

………実に怪しい。
宗教勧誘か何かかもしれん。

大学で「こんな誘いは宗教勧誘かもしれんのでついていくな」と前に言われた事例に似ている。

友人と顔を見合わせたが、周りに人がたくさんいるし、本当にやばくなれば大声出して助けを呼べばいい。逃げるくらいの余力もまだ残ってる。

まあ本当に足が疲れていたので、冗談半分で友人と「じゃ、足痛いんでお願いしていいですか?」なんて言ったりして。

その不思議な女の人に足を差し出したのだ。
学生時代のわたしと友人、ちょっと危機感足りんなあ……

最初は気のせいかと思ったんだけど、徐々に足が暖かくなる感じがしたので驚いた。ホッカイロがゆっくりとあったまっていくのを感じる、あれが感覚としては近いだろうか。

とにかく、彼女の両手をかざされたところがじんわり熱くなっていった。

今でも、ホッカイロをもったり、車の座席シートをあっためた時、あの女の人の力を思い出す瞬間がある。

脚が温まりきったころには酷使した痛みが引いていて、ほんとうに不思議だった。あれは、紛れもなく魔法と呼ぶにふさわしい行為だった。

プラシーボ効果とか、そういうのではなく、あの女の人の手のひらから熱さを感じたのだから。

その人はわたしたちを治すと、さっそうとどこかに消えてしまったんだけど、たまに思い出した時あれは現実だったのか?と疑いたくなる時があり、そういう時は一緒にいた友人に「あんなことがあったよね」「うん、あったあった」と確認してしまう。

一緒に体験した人が自分の他にいるというのは、なんと心強いことだろう。1人で体験したなら、記憶が薄れる中で、夢と現実を混同してしまったのではないだろうか、とどこかで思ってしまうかもしれない。

でも、共有できる相手がひとりいるだけで、その嘘みたいな出来事が現実だったのだと、受け入れることができる。

それを体験したのはもう5年以上前で、あの女の人がいまもそういう活動をしているのかどうかはわからない。それ以降2度と会うことはなかったし、学校でその人が話題になっていることもなかったから、ひっそりとした活動だったのだろうか。

今となっては何もわからない。
でも、わからないって、ずっと自分の中で不思議な存在であり続けてくれるからいいものなのかもしれないね。

仙台駅に立ち寄った際は、毎回このことを思い出す。

私と同じように、仙台でこういう体験をしたことがある方はぜひ、教えてほしい。

そして、あれは夢じゃなかったのだと、その事実を共に共有したい。

yoru

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