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渋谷すばるとアイドル〜for No.∞を読んで〜

まず初めに関ジャニ∞改め、SUPER EIGHTのみなさんデビュー20周年おめでとう!

私の家族は、祖母がSMAP、最近はなにわ男子、母は嵐、私も巡り巡って今はSUPER EIGHTのオタク(新米にもほどがあるけど)です。ジャニーズ(敢えてそう呼ばせてね。)にまるで魂を売っているかのようです。

幼い頃から、SMAPや嵐の曲を聴き育った私は当然、eighterになる前も何曲か関ジャニの曲を知っているし、ジャニーズの中なら1番好きかもと母にしょっちゅう言っていたみたいです。あんまり記憶がないけど。確かに、慣れ親しんだ大阪弁をベラベラ喋りながら楽しそうに活動する兄ちゃんは側から見ても本当にキラキラしているなあと幼いながら感じていたのでしょう。

2018年4月15日。中学2年生になってすぐ、これは今でも忘れません。部活終わり、祖母の家で何気なく見ていたミヤネ屋。赤文字で書かれた関ジャニ∞緊急会見。そこにはスーツ姿の6人。

「ジャニーズ事務所を辞めさせていただく決断をいたしました」

???何を言ってるん、すばるくんえ?脱退ってこと??

そこには仕分けやクロニクルで見せてるようなみんなの笑顔もなくて安田くんは骨折して会見参加できないってどういうことやろう。

その日から1週間くらいずっと家の中では関ジャニの話題が繰り広げられてたような気がする。寂しいな、なんでなんやろう。

その時の私は関ジャニ∞の曲が好きなミーハーでしかなかったからこそ、関ジャニ∞の曲=渋谷すばるの声というイメージが強くて、その分すばるくんの声が印象的でいい意味で一度聞くと忘れられない、強烈な声だと思った。それを武器にどこのグループにも劣らない個性ですばるくんを筆頭に突っ走ってるグループという印象だった。特にすばるくんのパートで今も好きなのは
「あおっぱな」の

いくぜ 男一匹 明日は日本晴れ

あおっぱな 関ジャニ∞より引用

このパート初めて聞いた時からこべりついて離れない。ずっと楽しそうに歌ってたのも印象に残ってる。

時は経ち私はいろいろな界隈のオタクを経て、晴れて関ジャニ∞と巡り会った。きっかけはサブスク解禁だ。本当に最近の出来事。ここに辿り着くまですんごく長かった。遠回りだね。この間にもいろんなことがあったんだよね。亮ちゃんの脱退、コロナで47都道府県ツアーの中止、ジャニーズ問題、、、でも物事にハマるのは遅いも早いもなく、ハマった時、今の自分に合ってるというかこのタイミングが私には合っていたと考えるタイプなのであんまり後悔してないです。

ハマって早々、問題にぶつかります。やはり渋谷すばるなぜ抜けた。私はアイドルにハマる時、そのアイドルの全てを知りたくなり、たくさん調べます。Wikipedia、当時のファンのレポ、過去のライブDVD、手にできるものは全て漁ります。関パニはもちろん、おばあちゃん家で録画して残ってた数少ないクロニクルも見ました(おばあちゃんナイス👍)どれも楽しそうで、私も楽しくてハマった日からの私は毎日ハッピーでした。でもやっぱりすばるくんのことが引っかかる。なんで?と、亮ちゃんには興味ないわけではなく、手越くんかな?が言っていた、亮ちゃんはすばるくんが脱退しなければ脱退はなかったという意見に賛成してます。また亮ちゃんについては後日、書きたいなと思ってます。

for No.∞との出会い
大学も休みで、することがなく暇を持て余した私は漫画でも買いに行こうかなと近所の古本屋に行ったところふらっと立ち寄った雑誌コーナーに関ジャニ∞の文字が、買わないわけがないだろうと咄嗟にレジに駆け込み、ダッシュで自転車を漕ぎ、お家に帰って読み漁った。あんな細かい文字読んだの、中学の時の朝読書以来。メンバーそれぞれのインタビューがぎっしり書いてある。ジュニアの時の挫折だったり、生い立ちだったり読み応えがあって一人一人のインタビューを読むのに30分以上かかった。
満を辞してすばるくんのページ、何を語るんだろう、この当時(2012年頃)のすばるくんは関ジャニ∞に何を感じて思って活動していたんだろう。いっそのことすばるくんのことが嫌いになれるようなインタビューであれとまで思った。でもそこには真っ直ぐ関ジャニ∞と向き合う渋谷すばるしかいなかった。すばるくんはそこでこう語っている。

多くのジュニアが共同生活を送っていた合宿所を出て一人暮らしを始めることとなる。(省略)「一人の時間ができたことで、いろんなことを考えるようになってん。ドラマやってる頃とか、そのあたりって、いろいろとテレビの露出もすごく多くて、紹介されるたび"人気アイドルの渋谷すばるさんです!"って言われるねん。なんかな、それがすごく違和感あって。アイドルって言われるのが嫌やったっていうか、まぁ、アイドルの事務所にいるからアイドルって言われてもしゃあないねんけど、なんか嫌やった。俺、アイドルとかそういうガラちゃうしな…」(省略)

for No.∞ (講談社)

その後も彼は目の前の仕事をがむしゃらにこなしていたら、気がつけば人気アイドルと呼ばれている状況に混乱し、自分が自分についていけないと思ったと言う。

読み進んでいてもすばるくんはアイドルとしてファンにメッセージを届けているのではなく、関ジャニ∞の渋谷すばるとしてeighterに曲やバラエティなどでさまざまなメッセージを届けていたんだなと感じた。でもそれをその当時のeighterは感じ取っていたとしても、世間からはアイドルとして扱われ、アイドルとしてのすばるくんを見られる。私もそう見てた1人だ。ジャニーズにしては異端児だな(いい意味で)と感じていた。きっとすばるくんはずっと自分の中で19歳ぐらいの頃から抱えていた自分をアイドルと呼ばれる違和感を感じながらも、メンバーのみんな好きやし、家族やし、見捨てずにいてくれたジャニーさんに、関ジャニ∞という居場所をくれた感謝の気持ちで14年間、彼なりのアイドルをがむしゃらに全うした、その期間は紛れもなく楽しかったんだろうなと記者会見での表情や、関ジャム、クロニクルのすばる最終回でも伝わった。でも限界がきた。そう思うと腑に落ちた。人間誰しも違和感がずっとあると少しずつどこか妥協して過ごすけどその妥協がいつしか大きな妥協になってしまって特にすばるくんの性格だと器用じゃないから自分を騙し騙し演じるのは相当なストレスもあったんだと思う。そのタイミングがあの日だったのかなと。でも少し歪な形をしたアイドルだったかもしれないけどその14年間はキラキラしてて素敵でその時の関ジャニ∞とeighterの宝物なんだろうね。無かったことにはできない大切な過去だよ。

もし、大好きな7人が、ジャニーズという事務所のアイドルではなくアーティスト事務所のアーティストだったら。

だって甲本ヒロトに憧れてたと言われるとね。ぐうの音も出ませんよ。私もブルーハーツ好きだからね。

すばるくんは一番素直でいられる場所を飛び立って今いる世界がどう写ってるのかわからないけど、渋谷すばるとして、shubabuに伝えたいこと、全身全霊で届けてください!関ジャニ∞だった過去も大事にして生きていてほしいな。

関ジャニ∞、SUPER EIGHTを続けてくれた5人へ。
本当にこの5人が関ジャニ∞を続けてくれなければ私は関ジャニ∞の素晴らしさを知ることもなかったと思います。ありがとう。改名も不本意だっただろうけど明るく伝えてくれ、超かっこよくなって、強くなって帰ってきてくれてありがとう。これからもよろしくね。

これを書いてる今、母は嵐の5×10を見て泣いている。関ジャニ∞、嵐、違う道を選んだけれどもどっちも素敵な道だよね。

関ジャニ∞の7人へ
今とは言いません。何年後、何十年後、ワッハッハーと笑ってまたみんなの笑顔を見せてください。

読みにくい文章でごめんね。でもいつかの日のための備忘録として、残しておくね。

20周年たのしむぞー!!!









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