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行ったことのない故郷に焦がれて

実はポエムを書く方が楽なんです僕。
時分自身がにじみ出てしまう文章より書きたくないことは書かないでいられて、「もう、これ以上は知らんよ」って行間に意味を持たせて、受け手にばちこん投げつけられるポエムってやつは都合がよくて好きです。3日くらいなら飽きずにかけると思う。

と、いうのも、ふと生きていると思うことがあるじゃないですか。
木漏れ日が太陽よりあったかく感じる瞬間とか、大したことない野ざらしのソファがなんかかっこよく感じたりとか、夏特有の熱風が少し落ち着いて、隣にいてくれる夜と屋台の遠い声とか。雪がきしむ音と、聞こえていないはずなのに聞こえる「しん、しん」が鳴る世界とか。普段生きている中できっと当たり前に存在するのに認識できていなかったものと感情が結びついたとき、世界と日々がぶっ刺さって一つになるような瞬間を言葉でとどめていたいと思うことが。
僕は頭のCPUが小さい自覚がありまして、短期記憶も長期記憶もよわよわなので、普段は素敵な思い出も嫌なことも掃きだめと一緒に端に追いやられている生き物なのですが、
におい、音、言葉、情景、このどれか二つが記憶と結びついて、思い出しつつ、そのことってなんだったっけなあ、と紡いでいく作業がポエムを書くといっています。もちろんそうじゃないときもあるけど、思い出しながら今の自分でも納得できる考えまで昇華することもあるし、しなかったりを繰り返して中二で書き出してから早いくとし。僕は僕を誇れているかなあ。

とても仲の良かった人たちがいました。
どうにか縁をつないでいたかった、大切な縁だった。僕はそれを、ほどけたままのその縁を様々な理由でばらばらのままにしている。無理をしてでも繋いでいたかったその縁は、無理をした結果どうにも変わってしまったみたいで。利用もされたし利用もした。それでもよかったんだけど耐えられなかったんだ。僕の弱さだけど、この弱さがすきだったから。あきらめてしまった。これがいいかなって思ってしまった。まあ、それでも下ばっかり向いているわけにもいかなくて。この結果をいいものにしていきたい。みんなのこと嫌いじゃないし。このままみんなが僕のいないとこで幸せになってても本当に良かったって思えるんだ。でも、不幸せを身近で背負えるほど幸せだっておもえていないから、僕は幸せになりに行きます。みんなも僕が幸せでよかったって思っててほしいからね。まあ、忘れてもいいけどさ。
だから僕は、僕を頑張る。


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・・・?


なんかショタボのまにまにさんがなんか言ってたような気がしますが、よくわからないですね。なんだこいつ。とまあ、こんな形でポエムチックなことばっか乗せてたのは楽をしていたからという、そのような理由になっております。実際Noteに上げるに至る前に消えていった文章はあまりにも多い。主だった理由が書き留めようとコピーした先にパソコンに向き合うタイミングを逃し、気づいたらゴミ箱にぶち込まれているような、意志の弱さが理由なのですが。なのーで、今現在頑張って書いている自分エライ!!自己肯定感を差し上げます!ってゴイスーの顔しながらぱちぱちと打っております。

今年より新たなステージに上ってしまう私は目標としていた縁を大切にするために今年の貯金しようとしていた分はすべて吐き出すことで、きっといろいろもろもろを清算していくのかなと思っております。大事なのは自分をキチンとコントロールしてたまに人間性ベットしてやり散らかす!そんな気概で今年を駆け抜けて性春していきたいと思っております。大人やからね。なんならもう。

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