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もう日付変わったの、と言うくらいなら

人生を、やり過ごしていると思ったことはないけれど、横たわっている間にそれが勝手に済んでいく瞬間はある。
眠りを人生の早送りと言ったのは友達だった。

起きているとき、私は今日の食事を考えて、帰り道の買い物の算段をして、済ませるべき家事と遊びの組み立てを行う。それは必要で、こなすこと自体が目的の物事であり、結果に何が生まれるでもなく暮らしはそうやって済んでいく。
眠れば、思考は中断されて、それら種々の懸念事項に関する脳の処理はスキップされる。その一瞬だけ、私は自分を手放して、手ぶらになって、一個の体で横たわる。

起きている間はずっと考え事をしている。

何も考えない時間というものが存在しない。
朝、覚醒した瞬間から、昨日の出来事の振り返りと今日のタスクを処理する回転が始まる。それは全自動で、スマホのアラームが鳴れば我知らず勝手に実行される。
テレビのニュースを眺める気持ちでそれを受け取ると、脳に比べてずいぶん遅い体が目を覚まし、実行すべきタスクに従い始める。

日差しや温度、人の声や視線、体調、車の往来、時刻表、同僚の仕事、自分の仕事、まだ発生していないがいずれ必要になる仕事。
絶えず情報を受容して、目の前にそれがなければ過去のいずれかを反芻して、反省して、じきに「訪れうる」いくつかの未来を検討する。止むことのない思惟で、現実を/現実たりうるものを、判断し続ける。
机の上にはいつも作業中の紙束や道具が置いてある。
右手はずっとペンを持っている。

それは文字通りの話では、勿論ない。が、代わるがわるたくさんの他人に毎日会い、それぞれの問題ごとを解決する仕事をしているので、ほとんど文字通りと言って差し支えないのだ。
起きている間はずっと脳が動いている。お察しの通り、たいへん疲れる。

横たわっていると、それをやめていられる。
人間の体がもっと頑丈だったなら、百年でも二百年でも私は眠っただろうと思う。社会的で、有用で、全自動で惰性的な、それから不随意の、高効率のタスク処理を、より積極的かつ前向きな心持ちで以て、一切合切放棄するために。
でもきっと、頑丈だったなら、脳と両手に際限なくあふれるタスクを手放すことをしなくても、それなりに軽々と生きていける。

あいにくだけど頑丈じゃない。だからもう眠りなさい。
きちんと回復しなければ明日が困難になる人たちへ。

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