人間は花鳥風月とともに年を取る? 【地蔵と小僧】【投げ銭方式】
村はずれの山奥に一体の地蔵があった。僕は今日も地蔵の話を聞きに行く。
「人間は花鳥風月とともに年を取る」っていうのは、つまり年を重ねるごとに花→鳥→風→月の順に関心が向くってことを表してるもよう。
それってなんで花鳥風月なんやろって言うと、つまり己とか自我から解放されていくのかなと。花鳥風月自体はそこまで重要じゃなくて、それはつまり自分以外の何かに関心が向くと。若い頃は自意識にがんじがらめになっていて、自分は周りからこう見られてるんじゃないか、こうしたらこう思われるんじゃないかと。己己己、自分自分ばっかりで。
でも年を重ねると気づく。自分が老いていることに。形が崩れてきて、今まで出来たことも出来なくなってきて。人間は足し算出来てしまうから。
この延長線上になにがあるのか。
そしてそれは避けられないことだということも。
あ、これいずれお返ししないといけないんやな。あくまでこの体は借り物なんや、と。
じゃあお返しするのはどこか?魂はどうなる?
いくら考えても答えは出ない。うーんと行き詰まってようやく自分の周りを見渡す。
そういえば
自分の周りには花が咲いててきれいやな
鳥は一見自由に見えるな
風が心地いいな。
夜になって月がきれいやな
つまり花鳥風月は計算式の途中。
決して答えは出ない。
結局は月がきれいですねって言える相手がいたらいいよねってところで落ち着く。
それはジブリにも新海作品にも夏目漱石にも通じるところで。
「千と千尋の神隠し」も「天気の子」もそう。
四季のある日本人の死生感なのかもしれない。
愛し合う二人でこの世界で添い遂げよう、なのか
愛し合う二人でこの世界から抜け出そうなのか。
ストーリーは変わっても話の結末は韻を踏む。
人間はどこからきて、どこへいくのか?は分かれへんけど、
花鳥風月の、月までじっくり時間かけて悩めて、しかも月がきれいですねっ言いながら終われたら、こんなに幸せなことはないんちゃうかな。
花鳥風月の次は石であるという人もいるらしい。
地蔵は石でできてんやけどなぁ。
地蔵は言った。
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