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初めに

noteというものを始めて見ることにする。

なんでだろう?

 何で私はnoteを始めるのだろう。ここ最近(もしかしたらずっと前からかも)、自分の中で何かを言葉にしたいと思うことが増えてきた。何気なく見た空の美しさとか、自分の好きなモノに対する思いとか、これまでの短い人生なりに得てきた「哲学」的なものとか。それらは、普段生活していて急に思考に流れてきては突然去って行ってしまう。時に清らかに小川のように、時に荒々しい濁流のように。そういった水の流れに、時には手を入れて溢れないように自分の水槽に水を移し、保存しておくことは良いのかもしれない。noteはそんな水槽としては結構適している気がする。たくさんの人が各々の水槽を持って、自分が大切に汲んできた水を大切に残しておく。近くを通りがかった人たちは「わあ、綺麗ですね」とか、「私も同じような水汲んだことあります」とか声をかけてくれるかもしれない。例え、誰も水槽に見向きもしなくても、水を汲む行為自体に意味を見出したり、ただ自分で後で眺めたりするだけでも悪くはない。私がnoteを始める目的は後者だ。別に誰かが見てくれなくても、自分で自分の思考をきちんとした文章として表現することは、頭の中を整理することや、思考を洗練させることに繋がる。もちろん、誰かに読んで欲しいという気持ちは少なからずある。じゃなかったら、その辺の紙切れに書けばいいし、スマホのメモにでも残しておけばいい。実際、突然頭に過ったアイデアはスマホのメモに残しておくようにしている(一年位前から習慣化した)。それなのにnoteを書くのは、自分の考えが他者にとってどう映るのかを知りたいから。それと、文章に多少の社会性を持たせたかったから。スマホのメモに残した文章は、自分が読むことしか想定して無いから、荒削りだ。なんか光ってる石の塊を見つけたから、それをドカッと机の上に置いた感じ。それじゃ流石に勿体無いから、もう少し時間をかけて削って、磨いて最低限見栄えの良いものにしておきたい。TwitterやInstagramで文章を書かないのは、自分のことを知っている人たちが読むのを前提にして、意識してしまうから。自分が本当に思っていることとか、言葉にしたいことが思うように表現できない気がする。


何を書こう?

恐らく本当に何でも書こうと思う。悪く言えば、すごくmessyに見えてしまうだろうけど、仕方ないかな。

私は誰だろう?

今は特に言及するつもりはない。所属しているコミュニティーとか、年齢とか、性別とかありきたりなことになってしまうから。それよりは、今後の投稿を通して、私自身のことが少しづつ明らかになればいいなと思う。社会的属性より、その人のものの見方とかの方が大事だと思うし。私自身、自分が定義しきれない。よく分からない。だからこれを書いてるのだろう。そうは言っても流石に名前が無いのは、色々と大変なので、ヨルミルとしておく。この名前はいつ考えたんだっけ。いつからか、本名を使わないネット上の場ではこの名前を使うようになった。少なくとも私が夜を好きなことは確かだ。


それでは、


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