見出し画像

芸術と私のみたもの

少し、個人的な、美術に触れるお話です。

ここ数年、展覧会へ遊びに行くことが多いです。

欠かさずにチェックしている内容と言えば、印象派にまつわる西洋絵画…

まるでミーハーのように、モネやルノワール、

後期印象派として、スーラやゴッホ…

誰もが知る有名人が展示される会場へは、できるだけ足を運びます。

もちろんそれ以外の自分のアンテナの向いた先へも。


もともと、美術、ましてや絵画に全く興味のなかった私。

ですが、気が付けば、部屋には訪れた展覧会の図録が増え、お目当ての展示の為なら遠方だって、新幹線を予約していました。


いざ美術館に入ると、

1枚の絵の前にじっとしていることが困難なくらいに人で溢れている会場もあれば、客相や年齢も問わず、意外とデートスポットになっていたり…と、昔の私はもっと美術館に対する敷居が高かったな、と思う発見も。

様々な展覧会を追ってるうちに、いつの間にか少し地理にも強くなる。

「こんなとこに美術館があったんだ」って規模の大小関係なく、その地域の魅力度はぐんっと上昇。


そして、いろんな展覧会を回り、

様々な美術品を見た中でも、印象派の西洋絵画にハマった理由。

それは印象派独特の魅力が、私の好奇心にぴったりとハマったからでした。


そもそも印象派という派閥ですが、

モネの「印象・日の出」が呼び名のもとになっていると言われ、それまでの写実主義とは異なり、見たままの印象だけで絵具をキャンパスに置いていると批判されたことがきっかけで生まれた派閥です。

当時のサロンや批評家の中では激しく批判されましたが、人の心を打つ、みたままの姿をキャンパスに落とし込む、という姿勢が、私はなんとも愛おしくてなりません。

当時の批判の中にも、一般の人々からは好意的な意見も多く上がっていたそうです。



見たままを残すー

現代に生きる私たちは、綺麗な景色を見た瞬間、大好きな人達、旅で訪れた思い出の詰まる場所…

様々な瞬間にカメラのシャッターを切ります。

これは、好きなものたちを残したいから。

消えていく時間に逆らって、なにか「もの」として残したいから。

カメラのシャッターも、もしかすると古いのかも。

スマホ1台で、写真の保存はもちろん、残したい形での編集も可能です。

写真であれ、メモであれ、とても簡単に、日常的に「残す」という行為を行います。


絵画とカメラの話で言えば、カメラの台頭で、肖像画などを売りにしていた商業画家たちが職を失った…といった話をよく聞きますが、
私が好きな絵は、全く別の次元を生きているように思います。


もちろん、カメラ(しかも屋外に持ち出せるような現代のものに近い形のもの)が一般的に普及する前の話ですが、刻一刻と変わる風景を、絵具で、持ち運ぶもの大変そうなサイズのカンヴァスに筆で書いて残すということが、どれだけ手間のかかることか。


そうしてまで残したい絵に記されているもの。
そこに私は興味を持ちました。

国も時代も違うから、馴染みないものばかり。


吸ったことのない空気

私の身の周りにある空気よりも重そうだなぁ…湿気を含んでそう…ツンと冷たく張りつめてるんだろうなぁ…

知らない人が身に纏うドレス

柔らくて、光の加減でサラリと光って見えるサテン…チクチクすることがなさそうなレース…

知らない出身地の女性の髪に肌

私のまっくろで太い髪質とは違う、細くて色素の薄い髪…きっと触れたら暖かくて柔らかい肌…もうすぐ私も出そうな位置に刻まれたシワ


知らないのに、「なんか知っている」を届けてくれる。

絵を見ただけで伝わってくる感触があります。

手間をかけて彼らが残したい理由があったものたち、すなわち彼らの愛していたもの…

違う時代の違う国に生きる私が、彼らの残したかったものに向き合える瞬間です。


目で見たものを、手を通じ、筆を通じ、

カンヴァスに落とし込まれる。

だからこそ、写実的でなくとも「リアル」なんです。

私は、ひとのアウトプットは、インプットの8割程度しか出ないのではないかと思っています。

どれだけ何かを吸い込んだとしても、

それを再現できるのは8割程ではないか?


とすれば、

彼らの描く白い雪・揺らぐ波・柔らかい肌・細くしなやかな髪…

彼らはよく知っているから描けるのだと思う。

これはあたたかい、冷たい、すべすべ、つやつや…

触れて愛したものたちを、美術館という場所で私が味わう。



展示会は他人のお気に入りの宝庫です。

商業的なアートではなく、ひっそりと「僕のお気に入りはね…」と教えてくれているような、そんな絵画が好きだから、いつの間にか、見たままを描く印象派が好きになっていた。


ぼんやりしているからという理由で良し悪しがあるのではなく

好きなものにピントを当てると、それ以外なんてぼんやりくすんでしまいますもの。

もし、現代に彼らが生きていたとすれば、スマホのカメラで写真と撮り、絵を描かない、なんてことが起こるでしょうか…?

なんとなく、違う気がする。
好きなものを残したい…そうして生まれる「手間」を愛おしく思いたい。


これからも、彼らのお気に入りたち、

ジッとお気に入りを見つめていた結果を

楽しませて頂こうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?