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友だちはおくすり。


高校生の時に、夏休みの宿題で読書感想文を書かされて。
書かされてって言うくらいだから、乗り気じゃなかったんですけれど…。

昔から、読書感想文は苦手で、いつも母に、「それは紹介文じゃない?」と言われながら書き直していました。

で、いつも通り書きました。そしたら先生から呼び出されて、
「文芸コンクールに出すから清書してほしい」
って言われたんですね。

わあ、そんな良いこと書いた覚えないけどなあと思いながら、ちょっとだけ上質な原稿用紙を持ち帰ります。

私、風邪をひきました。で、結局清書することなく、締め切りが過ぎてしまいました。

今思うと、なんかもったいないことしたなあって思うんですよね。出していたら受かったとは思わないけれど、出さなきゃ受かるものも受からないですからね。

そこで、当時書いていたものを、何かしらの形で発信できないかなと思って、今私はこれを入力しているわけです。

前置きがずいぶんと長くなってしまいましたが…… 

私が当時書いたのは、重松清さんの『きみの友だち』の感想文です。
それ(感想文)を今読み返してみると、直したい点というのがたくさん見えてくるのですが…その時感じ取って、その時表現したものをありのままに残したいな〜と思ったので、少し変なところも変えずに、そのままにしてあります。
ただ、一段落があまりにも長くて読みづらかったので、そこだけ見やすく改行しました。昔の私、ごめん。


『きみの友だち』を読んで

二年月組 よる

 友達かあ。この作品を読んでいる最中に何度も、色々な人の顔を思い浮かべた。個性豊かな登場人物の中には、「あ、これ、なんか私とあの子みたいだ」と、ふふっと笑ってしまうような関係もある。

 既視感というか、今まで生きてきた中で経験したことのある感情が多く描かれていると思った。
 例えば、幼馴染みのブンちゃんと、中学に入ってからなんとなく遠くなってしまった三好くん。理由は分からないけど、なんとなく遠くなってしまった幼馴染みは、私にもいる。廊下ですれ違う度に、ちょっとした挨拶を考えてしまう。
 転校して間もない西村さんは、内緒の話が怖い。私も、三人以上のこしょこしょ話で、まわってこなかったらどうしようと、何度怯えたことだろう。

 登場人物を介して、私達の感情を拾ってくれる。人間関係ならではの、難しさや楽しさが、情景として伝わってくる。

 私には特に、共感できる場面がある。由香ちゃんが昏睡状態で生死の境をさまよっている時、恵美ちゃんが受験日をしあさってに控えながらもお見舞いに来る場面。
 恵美ちゃんは、もう由香ちゃんはおじさんとおばさんのものなんだと気付く。恵美ちゃんの友達じゃなくて、おじさんとおばさんの一人娘。私が仲の良い友達の家に泊まりに行った時も、そうだった。私の友達は、私の友達ではなくて、おじさんとおばさんの娘だった。その時はじんわりと寂しさを感じて、意味も分からずに終わったが、この本を読んで、やっと分かった。
 「友だち」は「家族」と比べたら、頼りないし、一緒にいる時間も短いし、知らない事も多いかもしれないけれど、大切だ、と思う気持ちは、どちらも変わらないんだろうな、と思った。

 恵美ちゃんと由香ちゃんは、どうしてあんなに固い絆で結ばれていたのだろうか。恵美ちゃんは、それを、「気が合う合わないじゃなくて、歩く速さがおんなじだったから」と言っていた。でも、友達って結局は、そんなものなんじゃないかと思う。趣味や好きなことは全く違うのに、なんとなく一緒にいることが多かったり。

 「友だち」の定義は、人それぞれにあるのではないだろうか。ここまでが友だち、というはっきりとした線引きはないけれど、堀田ちゃんのように「みんな」が友達の人もいれば、「みんな」と付き合うよりも、一生忘れない友だちが一人いたら良いと思う、恵美ちゃんみたいな人もいる。でも、そのたくさんある友達の定義に、正解はなくて、むしろ、どれもが正解なんだと思った。

 この作品の大きなテーマは、「友だち」だけではないと、私は考える。もう一つは、その友だちの「死」ではないかと。友達の死を、どう受け容れるか。
 恵美ちゃんは、もっと、もっと、由香ちゃんと一緒にいたい。もっと、もっと、たくさんお話しすれば良かったと、悔やんでいた。友達は、大人になってからもずっと友達で、それが当たり前だと思っていた。でもそれは当たり前ではなかった。由香ちゃんは恵美ちゃんよりもずっと先に、この世に別れを告げた。
 死ぬ、という字面だと少し難しいけれど、もう一生会えない、と思うと、急に涙が溢れ出て来て、何度も文字が読めなくなった。どんな気持ちで、さよならしたんだろう。思い出がなにも残らないことがいちばん悲しい。だから、わたしはいま幸せだ。と、恵美ちゃんは言っていた。確かに、何も残らないことと比べれば、思い出が残っていることは、とても幸せだけれど、やっぱり、大事な人、いちばん好きな人がいなくなってしまったら、悲しくて会いたくて、どうしようもないと思う。だから「恵美ちゃんの友だち」の由香ちゃんの写真がなかったことを悔やんだ気持ちも、痛いほど分かる。

 「友だち」という言葉は、いつできたんだろう。家族でも恋人でもないそれは、いつから「友だち」として認識されるようになったんだろう。ずっと昔からあるその概念が、この作品にはつまっている。だから、共感できるし、涙を流せる。また、誰もが皆、主人公になっていることから、深く感情移入ができる。

 現代の子ども達は、「友だち」の存在意義や意味に、疑問を持つ人が多いと思う。現代でなくとも、そういう道は皆通るものなのかもしれない。
 私もそういう時があったし、私の知人でもそれについて悩んでいる人がいる。そういう人達に、ヒントをあげて、と大人になった恵美ちゃんは言う。そして私は言いたい。
「しっかり、ヒントもらいましたよ。」

 思い浮かべた人達に、会いに行きたくなった。



どうだったでしょうか。

すごく未熟ですよね。
文体のバラつきが、若い?というか、青い。

でもこれが、私でした。
これが、きっと素直な私の心でした。


友だちって、本当に難しいです。
今でも”友達とは何か”についての答えは出せません。

最近よく考えているのは、
友だちって、「薬」みたいだなって。
すごく嫌なことがあった時、何かヘマして凹んだ時、話を聞いてくれる友だちがいると救われたような気持ちになるじゃないですか。
話を聞かなくても良いです。どこかへ連れ出してくれる、一緒にご飯行ってくれるだけで、ああここが私の居場所だ……って、心のオアシスみたいに感じるんです。

でも、そんなに気分が落ちていない時、支障なく日常生活が送れているときに、色々な友だちの顔を思い浮かべることってあんまりないっていうか。
……私だけですかね?

つまりその、風邪を引いた時は服用するけれど、
体調が良い時には、必要ないといったら語弊がありますが…
副作用もあるので、考えて服用しないとって
思うんですよね。
友だちの副作用を感じたことはないですか?
私は人付き合いが下手くそなので、たくさんくらいまくりました。

まあ、それはいいとして。

今のところ、私にとっての友だちはおくすりです。
薄情だという意見は聞き入れます。
情が厚いという自覚はないので、
そう言われても仕方のないような気がします。

でも、今、私の周りにいてくれる人たちには
本当に感謝しています。
本当に。
ありがたいです。
すごく有難い。出会えたことが奇跡のようです。
なんて言ったら大袈裟だって笑われちゃいそうですが。

結局私、何が書きたかったんだろう…。
提出できなかった感想文をここに書くことが第一の目的だったので、もうこれで終わりにしてもいいんですけれど。

う〜ん。やっぱり、友だちって難しい。
ケータイのメモを見返したら、

「友達はキスとかセックスとかをしない恋人だ」

って書いてる時期もあって。笑
確かにそうだなあって思うんですけれど、
これに関しては、友人に否定されてしまいました…。
友だちの定義は人によって違いますもんね。

最後に。


私まだ、「私の友達」が「おじさんとおばさんの娘」になっちゃった時のことを鮮明に覚えてるんです。
ものすんごく、寂しかったです。なんかこう、「家」という枠に私だけ入れていなくて、昨日は仲間だったひなこちゃんが、今では遠い存在に感じるような。
そういう感情って、大事だなって思います。
後になって、きっと説明がつくようになってくるから。
だから若い頃に、たくさんそういうことを経験しておいてねって、これを書いた時の私に言いたいです。
ひなこちゃんは今でも、お前の大事な友だちだからって。


あ〜、また夜明けになってしまった。
眠れない夜を、昔の私のために過ごしました。

あ、あと、noteの使い方がまだ分かっていないのですが、素敵なお写真をお借りしました。
許可なく使用して良いものなのでしょうか?もし問題があれば、削除しますのでお教えください。

一匹だけそっぽ向いてるのがなんか良いですよね。
シルエットが可愛らしい。

それでは、おやすみなさい🌙



 



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←これ実は、猫じゃなくて、狼なんです。