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イノセント

 おとなになるって、どんなことだと思いますか?

 酒とタバコが楽しめること?
 セックスの味を、覚えること?
 責任を取ること?
 自分でお金を稼げるようになること?
 好きな時に好きなように、旅行に行けること?
 親の助けを必要としなくなること?

 わたし、大人になるって、これらの全部であって、ぜんぶでない気がするんです。

 私、ずっと考えています。大人って、なに?って。どうしたら大人になるんだろう?って。

 わたしは、大人になりたくありません。だって、それって、すごく哀しい気がする。
 自分一人で、砂漠を歩いていくような、そんな感じがする。

 レタスとキャベツの違いが分かっても、大人になんてなれません。
 上の開いたジョウロで、上手に水やりができても、大人になんてなれません。
 人間って、どこから、大人なんでしょうか?

 熱を出した時、とぷとぷとうるさい水枕を従えて、目の前に幻想を見て、泣き喚くと母が飛んできて、優しく胸をさすってくれる。
 あの光景が懐かしく、愛しく思えてきたら、もう、大人なのかもしれません。

 でも、会社で辛いことがあって、古ぼけた毛布の裾をいじくりながら涙を流す時、わたしって、あの時から何も変わってないなって、思うかもしれません。

 高校の外でタバコを吸うあの子は、何も知らないくせになんでも知った気になって、でも、あの頃の私たちには彼女がすごく、大人に見えた。

 わたしはまだまだ子どもだと思います。というより、子どもでいたいです。ずっと、ずっと、しわくちゃのお婆ちゃんになっても、「あの人は本当に、子どもみたいな人だよ」って、笑われたい。

 子どものような感受性と、好奇心で、この世界を見つめていたい。
 いつだって、まるで、すべてのものが初めてみる、触れるもののような、そんな感動を味わいたい。

 すごく前のことですが、バスの中で見た、座席に座る親子のことが、ずっとわたしの心の中に残っています。
 窓際に座る子どもが、いくつものしずくを纏う大きな窓に、ぴったりとくっついて、外の景色を眺めているんです。

 わたし、そのとき、好奇心って、こういうことだって、思ったんです。
 私はもう、窓にぴったりとくっついて、知らない世界に目を凝らすことなどできません。
 だって私は、その窓が、どれほど汚いのかを、知っています。

 知らないということ。それはものすごく、貴重なことだと思います。

 そういう意味では、わたしは、くすんだもの、この世界の要らないものだけを集めて絞ったような、どす黒く汚いもの、その存在に気付いてしまったので、もう、大人なのかもしれません。

 影の部分を、受け入れるということ。世界を、諦めるということ。
 それが、大人になることなのかもしれない。

 じゃあ、やっぱり一生、子どもでいいや!

 10年先も、100年先も、子どもでいたい。

 そんな、わたしの、お話でした。



←これ実は、猫じゃなくて、狼なんです。