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コラージュ×アンビエントで振り返る2020年の音楽

先日アップした『Best Ambient 2020』でも示した通り、アンビエントな音楽に素晴らしいものの多かった2020年ですが、同時にこの年には、そこにストレートに収まりきらない音楽性でありながらも、何かしらの近接が見い出せる作品にも非常に興味を引くものがありました。

それらの作品に、何かしらの共通項を見出しつつ紹介できないか、というのが本記事の目的です。

ここで紹介する作品は大雑把なジャンル(もしくはタグ)でいうならExperimentalに分類されるケースが多いのではないかと思いますが、Experimentalという分類はその性格上音楽の性質でもクオリティの面でも混沌としているので、そこに私が聴いているうえで思い浮かんだ2つのターム、「コラージュ」と「アンビエント」を設定してみました。

記事の簡単なイメージとしてはBandcampのExperimentalタグの作品を、更にCollageとAmbientタグで絞り込み、その中でもクオリティ的に秀でているものを紹介する感じです(実際紹介する作品にこれらのタグが付いているわけではなくあくまでイメージです)。

ここで紹介する作品は、作中で多様な音源を使用し(既存の録音物、自前で採集した音素材、自身/他者の楽器演奏や生成音、いわゆるASMR的なあれこれとか…)、それらを二次的な編集/音響加工で纏め上げることで制作されています。

そしてその編集においては、突発的な風景の切り替え=カットアップ的な効果(意外性)はあまり目指さず、なだらかに、いつの間にか、といった感触で音が繋ぎ合わされることでムードの持続が生まれ、音のおもちゃ箱的なものとは異なる、語弊を恐れず言えば(時に重厚さすら醸し出すほどの)物語性を持った作品へと仕上げられています。

「アンビエント」の教科書的な在り方に “興味深く聴くことも、無視することもできる音楽” というのがありますが、これらの作品は前述の「ムードの持続」であったり音楽的な特徴(パッド的な音色や長い音の使用、オスティナートの援用など)によってアンビエント的な聴き心地を持つ時間を含む一方で、例えば何かの作業をしながら(=無視に近い態度で)接していると何割かの確率で途中で手が止まってしまうような引力を持っています。なのでそれを強く感じ取られる方にとっては、これらの作品はその点でアンビエントではないと評価することも可能でしょう(そしてそれはこれらの作品が語る意義のある独特さを有している証左でしょう)。

しかしながら、“興味深く聴くことも、無視することもできる”という在り方がそもそも相反するものを兼ね備える、矛盾といってもいいような定義だと愚直に捉えるなら、これらの作品はその矛盾を実現する地点に、それぞれの足取りで、時には不格好なバランスになりながら迫ったものと捉えられるかもしれません。


・crys cole『Beside Myself』

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Oren Ambarchi、Leif Elggren、James Rushfordなどとのコラボレーションでも知られるアーティストcrys coleの作品。睡眠導入時の催眠状態で経験する幻聴にインスパイアされたという1曲目「the Nonesuch」がとくかく素晴らしいです。ASMR的な手触りも存分に感じさせる物音、距離感の掴めない環境音、うわ言のような不明瞭な声など、音フェチに回収されてしまいそうな音の断片を強い必然性を持って用い、それで尚且つ非常に不安定な領域の脆い音風景を描くという、とても繊細で難しいことを達成しています。音の響きとしてはLuc Ferrariの「Unheimlich Schon」に通じるものを感じたりしますが、聴いてる時の感覚としてはAMMを聴いてる時(自分は彼らの演奏を聴いてると音が意識から消えたり、または自分の意識が消えたような感覚によく陥ります)に近いかもしれません。“興味深く聴く”や“無視”を成立させる意識の瓦解を垣間見るような、ゾッとする美しさを差し出してくる作品です。


・drøne『the stilling』

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英エクスペリメンタル・レーベルの老舗Touchの運営者Mike Hardingと、Seefeelの元メンバーとしても知られている音楽家Mark Van Hoenによるユニットdrøneが2020年初頭に発表した4thアルバム。これ以前の作品ではユニット名通り電子ドローン然とした作風でしたが、本作ではZachary Paul、Bana HaffarなどTouchからリリースのある音楽家をはじめ、ゲストミュージシャンによる弦楽器や声のサウンドを大胆に用いており、さながらTouchレーベルのサウンドアーカイブをまさぐって作られたダイジェスト音源の如き密度を持った仕上がりです(ただし本作のリリースはAnna von Hausswolff主宰のPomperipossa Recordsから)。1982年の立ち上げ以降、ベタなアンビエントはないものの、インダストリアル、ノイズ、フィールドレコーディング、ドローン、ポスト・クラシカルなどなど、そこと接地または時には領域を重ねるような様々な種類の音楽をリリースしてきたTouchの音指向が大胆に表れた(『ニーチェの馬』での猛風に見舞われる世界、そこでカメラに収められなかった丘の向こう側を思わせるような)重厚な一作。「アンビエント」の周辺に存在してきた様々な音要素の集積から、逆説的にその位置を探るような聴き方ができる作品ではないかと思います。

*本作『the stilling』はSpotifyなどのサブスクリプション・サービスでも配信されていますが、Bandcampで購入するとボーナストラックが付いてくる仕様になっており、この曲の存在で聴後感が結構変わるのでできれば購入して7曲版と8曲版どちらもチェックしたほうがいいかと思います。


・Eiko Ishibashi『Hyakki Yagyō』

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2020年に自身のBandcampでのセルフリリースを含め多数の作品を発表した石橋英子。本作はBlack Truffleからの一作。シドニーのニューサウスウェールズ美術館で開催された「Japan Supernatural」展のために制作された、江戸時代以降の怪談やフォークロアに焦点を当てた作品ということで、舞踊家/振付家の藤村隆一による一休宗純の詩の朗読音声の使用が耳を引きます。他にはJim O'Rourkeによるコントラバス、Joe Taliaのパーカッション、そして自身によるフルートや電子音、更には環境音などが用いられています。ここで取り上げている作品の中でも(構造の面で)一際抽象的な音楽であり、おそらくそれは細かな編集によるものと思われる一方で、聴こえてくる数々の音にはしっかりと空間を共有しているような、さながら一つの舞台で演じられる演目をリアルタイムで眺めているような風情があります。この感触を生み出している要因でもあると思うのですが、本作はおそらく作中用いられている音における即興的な楽器演奏の割合がかなり高く、演奏と編集の比重が「コラージュ」と呼ぶには風変りなものである可能性が結構ありそうな気がしますし、また音楽の向いている方向性としても、前述の感触故にしっかりと舞台に向き合うような(つまりアンビエント的な態度とはかなり距離のある)接し方をしたほうが楽しめるものであることは確実だと思いますが、アンビエントが(イーノがどこまで想定したかは測りかねますが)不可避的に切り開いた音風景、音色の拡張や耳の変化に繋げられる「音の模索」を有した作品という観点で、「アンビエント」を経た耳に届いてほしいという思いを込めてここに加えています。


・Meitei / 冥丁『Kofū / 古風』

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広島在住の日本人アーティストMeiteiによる「LOST JAPANESE MOOD」3部作の第三作。前作『Komachi』はサンプルの奇抜さが表立って聴き手の意識をざわめかせることもなく、エレクトロニカ的な構成を感じさせながらアンビエントとしての機能も存分に有した傑作でしたが、本作は歌、語りなどの音声をふんだんに用い、ループ主体の構造がはっきりとビート・ミュージックとして像を結ぶ曲もあったりと、より多様かつアヴァンギャルド(+サイケデリック?)な仕上がり。特に前半では賑やかさだったり空間をざわめかせるような音使いが印象的であるため、(タームとしてはコラージュとアンビエントによく結び付けられる存在でありながらも)今回のセレクトに収めていいものか最も迷った作品です。ビート・ミュージック的な素養は前作を初めて聴いた時から感じていたものではありますし、そういった要素があるからといってアンビエントな機能性を害するとは(ローファイ・ヒップホップの隆盛を経た現在では特に)簡単に言えませんが、本作はローファイ・ヒップホップ的なクリシェにすんなり結びついてくれる音楽性でもなく、一つの作品としての完成度は疑いようのないものでありながらなんとも言えん収まりの悪さがあります。しかしながら、9曲目「音二郎」以降の流れを聴くに、冒頭で示した本記事の意図にそぐうものであると判断しました。


・Shuta Hiraki『Voicing In Oblivion』

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自作のためあまり説明的なことは書かないでおきます(気になる方はこちらとか読んでみてください)。本作の制作は2019年なのですが、その制作を通して自分の意識に深く根付いていたことが、この記事のトリガーになっているような気はします。


・TOMOKO HOJO + RAHEL KRAFT『Shinonome』

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ロンドン芸術大学のサウンド・アーツ修士コースの同級生として出会い、2016年より「音、場所、そこに発生する親密さ(関係性)」をテーマにしたいくつかの共同プロジェクトを手掛けてきた北條知子とRahel Kraftによる作品。「東雲」はそれが意味する夜明けの時間帯の音もしくはそれを聴き取る感覚の変化(視覚入力が減少しているため、聴覚の感度が高まり、普段は聞こえない音を知覚するようになるそうです)を探るプロジェクトで、様々な土地で夜明けに行われたリスニング・ウォークによって得られた素材や、電子音、声などを用いて制作されています。明確な目的を持って集められた素材による構成物のため、(正確な定義に関係あるのかわかりませんが)雑多な素材を用いるといったイメージの付きまとう「コラージュ」という表現はやや似つかわしくないと思うのも正直なところですが、夜明けの時間帯という共通項は持ちながらも、日や場所を異にする音を重ね合わせて用いている点(それが強調されるような音の交錯も随所にあります)や、個別に収録されている11曲の音声が繋ぎ合わされたダイジェスト版のような成り立ちの12曲目「Shinonome」の手つきなどにはそう形容できなくはないものがあるかなと。「アンビエント」はそもそも固有の場所に結びつけられた音楽として始まっていますが、本作は特定の時間帯に結びつけられたうえで場所は様々に交錯しており、原始的なアンビエントの対角線上に位置するような音楽と捉えられるかもしれません。場所/空間を異にする音が行き交う結果としてか作中のどの音にも不思議な匿名性が感じられ、それ故そこに親密さを抱いて接することができる可能性も確保されているように思います。匿名化した様々な性質/質感の音が意識を包み込んだかと思うと記憶に留まらず抜け出ていくような、中空な存在感や美しさは最初に紹介したcrys cole『Beside Myself』にも通じるところ(そちらの作品にとってもおそらく「親密さ」は大きなテーマでしょう)。間違いなく2020年最も愛聴した一作です。



最後に、本記事へのセレクトの段階で悩みつつも省いてしまった作品をいくつか挙げておきます。これらを省いたのは記事の方向性との兼ね合いでやや強引にすぎるかなと感じたためなので、クオリティは全く遜色ありませんし、本記事で取り上げた作品と何らかの共通項を感じながら聴くことも可能であると思うので、ここまで読まれた方は是非とも合わせて聴いてみてください。

・Flora Yin-Wong『Holy Palm

・Kamil Dossar『Alms

・Kassel Jaeger『Meith

・Nicolas Jaar『Cenizas

・Tatsuhisa Yamamoto『Ashiato


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