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2021年のベストアルバム:千鳥足な在り方に宿る「アンビエント的」な何か

BEST OF 2021」と「ダブ×アンビエントは何処へ行く?~その可能性を示す10アルバム~」に続き、2021年の振り返りです。

年間ベストの末尾のまとめでも書いたんですが、この年の音楽を聴いていての気付きとして、「時間的にコンパクトに(だいたい30分前後くらいに)まとめられたアルバム」に惹かれることが多かった、というのがありました。

この時間的コンパクトさという特徴から、単に気軽に聴けるという以上の特有の音楽的フレッシュさを見出せないか、というのがこの記事の趣旨になります。

自分が普段よく聴くのはアンビエントやそれに関連させて語られるようなビートのないタイプの電子音楽だったり、エクスペリメンタルというある種便利な(しかしそれを用いるしかない)語で括られる有象無象、あとここ2、3年は割合減ってきてますがジャズやインプロヴァイズド・ミュージック、でたまに目に留まったものだけロックやヒップホップなどのポップミュージックって感じなんですが、その観測範囲に限っても30分切るくらいのトータルタイムでEPとしてではなくアルバムとして作品が発表されるってことが単純に増えてきたように思います(これには現代の生活スタイルにおける可処分時間の減少に応じて云々みたいなことはもちろん考えられますが、ここではそういうの一旦置いておいておきます…)。

その中でも2021年で特に印象に残っているのが「アンビエントやそれに関連させて語られるような音楽」におけるコンパクトなアルバムたちでした。

アンビエントなどの音楽では、特に2010年前後にインディーな領域でカセットでのリリースが流行り始めた段階で、AB面それぞれを20分程度でまとめたコンパクトな作品というのは沢山出ていて、作家にとっても「AB面20分前後のカセット作品」というのはよく用いられるキャンバスの一つとして認識されていたように思います。

ただそれらの多くはAB面それぞれを1つのトラックにまとめ、その中で同系統の音色が続き徐々に変化を加えていったり、フレーズや和音の変化はあれど調性や音楽全体のムードが急に変わったりということは起こらない、いわゆる「アンビエント・ドローン」の流れにあるものが割合としては非常に多い印象でした(もしくはその音楽性は保持したまま、一曲の長さを例えば4、5分などへ短縮し、小品集的に成形したもの)。

しかし今回紹介する作品は形式上そういったものとは異なり、例えば十数分といった1つのトラックの中で音楽の内容や景色が小気味よく何度も塗り替えられたり、もしくは4、5分程度のトラックがいくつか並びながらそれらがギャップなしで繋がっていたり、といった具合に音楽的様相を切り替えていきながらも繋がりを保つ、ミックステープのような成り立ちを持っています。

これらの作品はその成り立ちや音楽的特性上、ジャンルとして「アンビエント」にすっきり収まるものではないかと思いますが、しかしこのミックステープのような構成とその中での時間感覚によって、アンビエントとして接した時に面白い感覚が生まれているように感じます。

例えば先に挙げた「アンビエント・ドローン」の流れにある作品の場合、それらはコンパクトにまとめられているとはいっても20分近く(なだらかな変化を持たせながらも)大枠では景色を維持しているため、それによって集中して聴けばその景色にじっくり身を浸しメディテーションに近い状態へ持っていくことも十分に可能ですし、また景色の定点性、一つの空間に定住するような安定性を押し出せばそれこそ時間経過につれ意識の中で後退し壁紙のような存在へ近づいていく、といった方向性にも振ることができるので、例えばこの対照的な2つの状態のどちらかを作家自身が意図的に宣伝したりしない限りは、おそらく聴く人の嗜好によって、また同じ人間でも聴いた際の気分やシチュエーションによって、更には聴いている最中にも時間が経過していく中で、意識が没入していく音楽にも意識を素通りしていく音楽にも聴こえ得る、言い換えれば興味深く聴くことと無視すること、を両立した音楽になり得ていたといえるでしょう。

しかし今回紹介する作品は、全体としても、そしてその内部での様相の切り替わりの面でも、時間的にコンパクトであるが故に、一つの景色にじっくり身を浸すメディテーティブな状態へ至るには足りず、また切り替わりがはっきりと起こるが故に音楽が意識の中で無視してもいい静的な存在へと後退し定住することも回避していきます。

興味深く聴くことと無視すること、この2つを極として例えるなら、先の「アンビエント・ドローン」の流れにある作品の在り方というのは時と場合によってどちらの極にも感じられ得る、また一方の極と感じられていたものがある瞬間に(鏡に映すがごとく)逆の極に裏返り得る、といった矛盾を地で行く(?)もの、

一方この記事で紹介する作品の在り方は、両極のどちらへも十分に振り切れず、中間地点を横切りながら双方へ何度もフラフラと揺れ続けるような、千鳥足なもの、といった具合で、

後者ではその千鳥足な移ろいがどこかの時点で漸次的に中央のニュートラルな地点への接近を見せたり、また聴取が終わった後に振り返ると結果的に中央付近へ居た時間が長かったように錯覚される、といった独特な(しかしアンビエント的と表現したくなるような)聴き心地を生んでいます。

時間的構成についてはともかく、そこから得られる聴き心地については他者に伝わるものなのか自信はありませんが、これから紹介する作品を、またはこの先リリースされる様々なアンビエント作品を、ここまで書いてきたようなことを意識して聴いてみると、何か発見があるかもしれません。


では、ここからは実際の作品について、どうぞ。


・Ryan Van Haesendonck『Vauville』

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ショートフィルム、ドキュメンタリー、ダンスシアターのための作曲を行ってきたというベルギーの若手Ryan Van Haesendonckによるデビューアルバム。ノルマンディーを旅行した際に浜辺で聴いたサウンドスケープにより喚起された心象を、その地での金の音やオルガンの即興セッション、更にブリュッセルという異なる環境でのフィールドレコーディングやSilke Bullによるサックス演奏を加えることで描いた個人的な作品。8曲33分とコンパクトな作品ながら慌ただしさは全くなく、さりげないフェードで繋がれた楽曲たちがゆったりとした時間の流れや落ち着いた心象を存分に演出してくれます。ひとつのサウンドの持続や、そこに新しい要素を加えるタイミング、1曲に優しく幕を引き次のシーンへと切り替える手つき、とにかく時間配分に対する感覚が洗練されていて(おそらくショートフィルムのための作曲経験などが活かされているのでしょう)、音楽的な移り変わりを多く抱えながらアンビエントな聴き心地を全く手放さないその仕上がりがあまりに見事。今回紹介する作品の中でも景色の塗り替えの手つきが優しく、ムードの持続感が強いため、おそらくアンビエントにそれなりに親しんだ方であればそう違和感なく触れられる音楽ではないかなと思います。サックスなどの管楽器の演奏の組み込み方も素晴らしく、それこそSam Gendelとは全く異なったかたちでサックスをアンビエント的に鳴らすことに成功した作品という見方もできるかと思います(Ulla『Limitless Frame』の8曲目と近いかも)。



・Shuta Hiraki『白炭』

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自作です。本作は2020年の『Voicing In Oblivion』からのコラージュ性を引き続きつつ、新しく入手した機材(シンセ類やROLI seaboad、そして短波ラジオで拾った歌やノイズ、ラジオドラマの音声など)を投入した作品を作ろうとイメージしていたところに、A Collection ArtaudのYu Miyashitaさんから12inch45回転のレコードリリースのお話があり、そのフォーマットに合わせAB面14分以下を目安に制作したものです。制作は場面の切り替わりや作品全体のニュアンスとして、しっかり構成された「物語」というよりそこに届きそうで届かないくらいでかつアンコントローラブルな感触がある「走馬灯」的なものを目指して進めていて、結果として音楽的移り変わりやダイナミクスの変化は多くあるのに聴き心地はアンビエント的、というものになればいいなという考えもありました。前書きに書いた「千鳥足な在り方によってアンビエント的な聴き心地に至る」みたいなことを制作中にしっかり言語化して意識できていたかはちょっとよく覚えていないんですが、2021年1月8日にアップしたコラージュ×アンビエントで振り返る2020年の音楽という記事に既にこの千鳥足な在り方って考えに繋がるようなことは書いていて、かつこの『白炭』は2020年12月末にはマスタリングまで完了していたので、多分頭の中にはなんとなくあったんじゃないかと思います。でも2021年に前書きに書いたような特性の作品がこういう風に他にもいろいろ出てくるのは予想外でした。あとここで取り上げてる作品は単に時間的コンパクトさや展開の速さをとって手軽に楽しめるそれという見方をすれば「ファスト・アンビエント」なんて形容もされそうだなとかちょっと前にふと思ったりしました。まあこの表現を今してしまうとかなりレッテル的な響きに聞こえてしまいますし、ここに挙げている作品はそういう単純な切り取り方に牙をむくようなものも持ち得ていると私は考えていますが、私のこの『白炭』に関してはそう形容されてもそれほど嫌悪感はないです(単純に「ファスト・アンビエント」って語感が結構好きなので)。



・Lucy Liyou『Practice』

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フィラデルフィアを拠点とする作曲家兼サウンドアーティストLucy Liyouによる作品。本作はLucyの母親が韓国にいる病弱な祖母の世話のための韓国へ渡るに際しての2週間の隔離期間に、Lucyにとっての実家であるワシントン州で作曲されたそうです。隔離期間に得た心象が強く反映されていること、伝統音楽(本作においてはパンソリ)の影響が示唆されているところなどで、同年のLi Yilei『之 / OF』やOkkyung Lee『Na-Reul』と通じる部分の多い作品とも捉えられそうです。ピアノや電子音、スロー加工されたリーディング音声などによって綴られる、どこか私小説的な雰囲気の楽曲が優しく繋がっていく中に、一筋縄ではいかぬ逸脱音響(?)が仕込まれていたりもして、面白い仕上がり。やすらぎに身を任せられる時間を一応確保してあるものの、そこからちょっと身を剥がされる展開の差し込みが、ここに並べる作品としては非常に効いているなと思います。AB面の終り/始まり方も巧い。この記事書くにあたって何度も聴き直したんですが、これ「BEST OF 2021」にも入れとくべきだったなあ…とちょっと後悔しました。素晴らしい。



・claire rousay『a softer focus』

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2021年は本作をはじめ多数のソロ作のリリース、更にはmore eazeとの共作『an afternoon whine』も大変話題になるなど大活躍だったclaire rusay。本作についてはこちらのアルバムレビューで詳しく書いているのですが、オーバーラップ技法による風景のなだらかな切り替えと、弦やオートチューンによる声など、彩りやほどよい異物感(?)を生み出す要素の混入によって、この並びに入れても面白い作品になっているかと思います。ただ本作の収録曲は一曲の中で風景の移り変わりはありながらも、調性の安定によってかドローン・ミュージック的な没入へ誘う引力が(あくまでこの並びの中では)比較的強いようにも感じられるので、前書きで示したような在り方の作品としては2020年の『a heavenly touch』のほうがラディカルだったかもしれません。



・Tomoko Hojo + Rahel Kraft『Grass Eater Diary』

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2020年発表の『Shinonome』が素晴らしすぎたTomoko Hojo + Rahel Kraftによる新作。「2019年中之条ビエンナーレ」のために制作されたもので、本来はオーディオウォーク作品として中之条の指定されたルートを歩き、および立ち止まり、ながら聴くことを想定したもののようです(詳しくはこちら。オーディオウォーク用のアプリ「道草日記」もまだ生きてるみたいです)。私はオーディオウォークは体験していないので、あくまで固定化された録音作品として鑑賞した印象になってしまいますが、本作で特に惹かれたのは場面の移り変わりのニュアンスとその中から浮かび上がってくる声の存在感です。本作に収録された2曲には音楽的な目線から見て展開と取れる音の移り変わりが小気味よく存在しますが(一定ではないものの2~3分おきくらいで景色がだいぶ変わってることに気付く感じ)、そのニュアンスが遠くから音がやってくる、いや制作の意図に沿うなら自身が音のするほうに近付く(もしくは離れる、そして通り過ぎる)ように感じられる箇所が多く、同一舞台上でドラスティックに移り変わるいわば演劇的なものの対極にある印象を受けます。多分「変わる」ではなく「変わってることに気付く」くらいなのがポイントで、散歩的といえるかも。またその中で時折聴こえてくる歌のような(あくまで ''のような'' ってくらいのニュアンスの)声も、聴こえるのは間違いないけど匿名的であったりまたは所在がはっきりしない、くらいの存在感/距離感に留めてあって、私はフィールドレコーディングとか結構するのでその最中にこれ聴こえてきたらそのまま録るか所在を歩いて探るか迷うだろうなとか思いました(ちなみにこの声であったり作曲は「中之条鳥追い祭」がモチーフとなっているそう)。作品中にある自身らで意識的にたてた、すなわち演奏した音の割合は意外と高いようにも思うんですが、そこから「作家性」を見定めようと固定的な視線を向けていると場面の移り変わりのニュアンスによってそれがいつの間にか気化されている、というようなことが多く起きる作品で、この意識に ''留まる/すり抜ける'' がオーバーラップしているような独特な聴き心地が私にはある種アンビエント的なものとして受け止められました。本作は元々は中之条を現場とするオーディオウォークのために、そこでのルート探索にかかる時間なども考慮して作られたものでしょうし、実際アプリを使って再生されるそれはもしかしたら移動地点に従って音が移り変わる、つまりは場合によって時間的構成は大きく変異するものかもしれないので、このアルバム版の持つ小気味いい展開とそれがもたらす ''留まる/すり抜ける'' の重なったような在り様は作者によって明確に意図された必然性の高いものとはあまり感じないのですが、しかしそれはともかく、録音作品としてとても惹かれるものがありました。




・Michèle Bokanowski『Musique De Courts Métrages, Music of Patrick Bokanowski’s Short Films』

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1970年代にPierre SchaefferやEliane Radigueに師事した経験を持ち、しかしながらそれらの師とも明確にことなるミュージック・コンクレートもしくはコラージュ・ミュージックの創作を続け、近年にはMotusRecollection GRMなどからも作品が発表されているフランスの作曲家Michèle Bokanowski。本作は彼女が夫であるPatrick Bokanowskiの短編映画のために制作した音楽を全てまとめた2枚組CDアルバム。収録曲は年代順に並べられており最も古い1972年の作品から最新の2019年の作品まで、50年近い足跡を辿ることができる作品集となっています。

本作は2021年に作曲/録音されたものではないですし、作品一つ一つには時間的コンパクトさを見出すことができなくはないですがそれは映画のための音楽という都合上個別の録音作品としての尺度を当てはめて捉えることはあまり適切ではないので、ここまで紹介してきた作品と文脈を素直に共有するものではないのですが、しかし合わせて聴くことで(前書きで説明したものとは別の)面白い観点を与えてくれるものと感じるため、番外編的に入れておきます。

私は収録曲のうち映画まで観たことがあるのは「La Plage (1991)」のみなのですが、この作品は抽象的な映像が展開され、映像内部にその発生源を持つ音はなく、含まれる音声は音楽のみという成り立ちになっており、あくまで推測ですが今作に収録されている他作品もおそらくそのようなかたちで映像に関わっているのではないかと思います。以下の文章は、この前提で書かれたものとして読んでください。

一般的に映画の音響というのは多くの場合演者のセリフであったりその周りの環境音などがまずあったうえで、それらの補助やガイドとして働く音楽が加わるケースが多いと思うのですが、本作のMichèle Bokanowskiの音楽はそのようなものとは異なり音楽自体が映像と対等に足並みを揃えて語るというか、音楽を聴くだけで映像のリズムを想像させてしまうような力を持っていて、いわゆるサウンドトラックと呼ばれるような音楽よりも映画自体の価値に直接的に結びついている印象です(もちろんこれには短編映画というフォーマットだから可能であるという側面もあるでしょう。サウンドトラックとして音楽が個別に発表されるものの多くが長編映画であると思うので)。

映画音楽がサウンドトラックとして個別に発表される場合、劇中のシーンの雰囲気や長さに合わせて作られたものが劇の時間感覚とは切り離されてリリースされてしまうケースが非常に多いため、音楽のアルバム作品として聴いた場合にはそのリズムは音楽作品としてはちぐはぐなものになりがちですし、そこから映画自体のリズムが感じ取れることもほとんどありません。そういったものに比すると、このMichèle Bokanowskiの音楽は前述した通りそれがそのまま映画という総体の音声トラックとイコールとなることによって、いわゆる「サントラ」作品の問題点を回避できていると感じます。

そして、これ以前に紹介した5作について、耳を通した方であればそこに何かしら「映画的」であったり「サントラ的」といった印象を持った方は少なくないのではないかと想像しますが、これらの作品は環境音、雑音、声、楽器、電子音などをその中に取り込んでいることやいくつもの場面が繋がりを保って重なり、移り変わっていくなどの特徴から「映画的」とはいっても「サントラ的」ではなく、映画の半身といえるMichèle Bokanowskiの音楽のように、もっと言えば「映画そのもの」のように振舞っているといえるのではないでしょうか。

この私の言葉でいう「映画そのもの」といった印象は、例えばbandcampの「The Best Ambient Music of 2021」の前書きで触れられている ''storytelling'' とも近いものといえるでしょうし、おそらく近年のアンビエントに分類されている作品の一部に対しては多くの方がなんとなく感じたことのあるものなのかもしれません(ただbandcampのセレクトは、その観点だったらこれは入れないほうがいいんじゃないか?という点が多々あり、やや焦点がぼやけているとも思います)。

前書きで書いた「千鳥足な在り方」のアンビエントな作品としてだけでなく、これらの作品を「映画そのもの」のように振舞う音楽作品として聴いてみるのも一興かと思います。



最後に、セレクトに入れようか迷ったけど微妙にニュアンス違う作品に感じて外した、ってやつをいくつか挙げておきます。

・Space Afrika『Untitled (To Describe You) [OST]

・Takuma Watanabe『Last Afternoon

・Li Yilei『之 / OF

・Anne Guthrie『Gyropedie

・Marja Ahti『Still Lives

あとSpace Afrika『Honest Labour』は時間的にコンパクトとは言えなさそうなので入れなかったんですが、「千鳥足な在り方」のアンビエントとしても「映画そのもの」のように振舞う音楽作品としても、それを最も濃厚に体現している一作という気がするので、ここまで読んだ方は絶対聴いたほうがいいです。

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