アルバムレビュー - FUJI|||||||||||TA『iki』
イントナルモーリの制作、水の音を用いたパフォーマンスなど常に独自の探求と創作を続けているアーティストFUJI|||||||||||TA(aka 藤田陽介)による2020年リリースのアルバム。レーベルはスイスのHallow Groundから(上掲の作品リンクは藤田さん個人のbandcampです。レーベルの作品ページはこちら)。CDやレコードなどのフィジカル媒体でリリースされる録音作品としては2011年の『ヒビナリ-hibinari-』以来9年ぶりとなるそうです(本作はデジタルアルバムもあります)。
本作は2009年に(雅楽からのインスパイアや、豊かな風景をイメージさせるようなデザインといった方向性を含んだ)自身の空想を具現化するかたちで制作された完全自作のパイプオルガンを用い、2019年に演奏/録音がなされた作品となっています。
通常のオルガンは大雑把にいうとまず送風装置(古くは“ふいご”という人力で作動するもの、現在は多くは電気送風機)があり、それによって起こされた風を溜めてパイプへと送る(風圧調整の役割も兼ねている)風箱という機工があり、風箱内を通る風のルート(どのパイプを鳴らすか)の選択を受け持つ鍵盤があり、最終的に音が鳴る(個体によって形状や本数が異なる)パイプがあるといった仕組みだと思うのですが、藤田さん作の個体では鍵盤が設置されていないことと、“ふいご”という手動の送風装置を採用している点がまず目に留まる個性的な部分かなと思います。鍵盤がない状態でどうやって鳴らすパイプを選択するのかという点ですが、アルバムのジャケットにも映っている金属製の発音パイプと垂直方向に取り付けてある筒状の部分を抜き差しすることで操作されているようです。“ふいご”については多くの演奏動画で操作の様子が確認できますが、上からレバーを押すことで空気を圧縮して押し出すしくみなのかなと思います。本作『iki』ではおそらくですがこの“ふいご”を操作する音もしっかり耳に入る音量で捉えられており(アルバムを再生して最初に聴こえてくるのがおそらく“ふいご”の操作音?)、様々な意味合いで捉えられる『iki』というタイトルに対し楽器の構造上最も根源的に紐づけられるのがこの“ふいご”の存在であることも手伝って、周期的な操作音(物音)がアルバム全編でとても印象的なものとなっています。(あまりに知識がないため語ることはできませんが、もちろん実際に音の出る部分にあたるパイプにも様々な創意工夫があるかと思います)
5:45辺りで鍵盤の代わりとなる筒状の機工を操作する様子が確認できます。
パイプオルガンの“ふいご”などの送風機工についてはこちらの知恵袋の投稿(とそこで紹介されているリンク先のページ)がわかりやすかったです。
この自作オルガンは前作にあたる『ヒビナリ-hibinari-』でも用いられていますが、そちらが「甲府の町の環境音とそれに合わせた即興演奏を商店街のスピーカーから流す」というコンセプチュアルな試み(こうふのまちの芸術祭出展作品としての制作)であったのに対し、『iki』は自作オルガンの制作、使用に関すること以外には特別な背景やコンセプトなどの活字が躍ることもなく、簡素な録音作品としての佇まいが強い一作という印象です。
昨年(2019年)はオルガンを用いたドローン的アプローチの作品に傑作が多かったということはこのnoteの投稿でも何度も書いていますが(こちらやこちらやこちら)、『iki』もそれらの作品と並べて聴くことができる、そうすることによって本作独自の価値にも耳が向く一作であると感じました(本作はしっかりとメロディーと呼べるような音型が形作られたり発音に間が多い曲もあるものの、しっかりと持続音が鳴り続ける曲もありますし一つの音を注意深く聴き続けることから音楽を構成していっている感触もあるので、完全なドローン作品とは呼べないまでもドローン的アプローチが伺える作品と形容できると思います)。
中でもKali Malone『The Sacrificial Code』とは強く通じる魅力を備えた作品であるように思え、特に並べて聴いてみてほしい組み合わせだと感じます(ちなみに『iki』のリリースにはKali Maloneの尽力(レーベルへの紹介)があったようです)。
どういったポイントにおいて『iki』と『The Sacrificial Code』に通じるものが見い出せるかというと、それはリスナーがそれぞれの作品を聴いている時の空間に対する作用の仕方です。先述のパイプオルガンという楽器の構造に関しての説明で触れていなかったこの楽器特有の事情として、基本的には建物(多くは教会)に備え付けられたものであり、故にどこかへ持ち運んで別の空間で鳴らすということができず、それぞれの個体が建物という名の区切られた空間と分かちがたく結びついているという点がありますが、これによってパイプオルガンの録音作品というのは音が鳴り響く空間の情報を非常に多く含んでしまう傾向があり、リスナーがそれを聴く空間を暴力的に染め上げる(さながらその場が教会に強引に引き寄せられる)ように作用することが多いと感じます。
Stefan Fraunbergerの2019年作。曲にもよるのですが、例えば1曲目ではオルガンの空間を染め上げる力を非常に強く感じることができます。
ですが、藤田さんの自作オルガンは固有の空間(建築)とは切り離された持ち運び可能なものとなっているからか、響き自体は瑞々しく存在感のあるものでありながら空間を染め上げるようにはあまり作用せず、窓を開けて周囲の環境音と共に鳴るのを楽しみたくなるような、“音がリスナー側の持つ空間を欲している”ような感触があるように思います。Kali Malone『The Sacrificial Code』で用いられているのは(3枚のディスクでそれぞれ異なる)教会に備え付けられたタイプのオルガンですが、特にDisc 1では楽器の音が近い距離感で捉えられることにより、『iki』にも通じるような“リスナー側の持つ空間を欲している”ようなサウンドが獲得されているように思います。正直なところKali Maloneの作品については去年聴いていた時点では空間を染め上げる力を十分に強く有しているもののように感じていたのですが(レビューでもそのように書いています)、『iki』を聴いた後に窓を開け放って聴いてみたところ周囲の環境音(近頃鳥がとても元気です)と非常に美しい混ざり方をして聴こえ方、作品への印象が大きく変わりました。
このオルガンの空間に対する(染め上げるといった方向への)作用の度合いには、先掲のStefan Fraunbergerの作品などを聴いていると低音の用いられ方、捉えられ方が大きく関わっていそうだと感じるのですが(低音が派手に鳴っている曲ほど比例して空間が染め上げられるように感じます)、Kali Malone『The Sacrificial Code』ではこの点が素直に比例していないように感じるのでちょっと不思議なところです。藤田さんのオルガンに関してはパイプが11本しかなく、教会に設置されているようなオルガンに比すると音域は狭いと思われるため低音の圧力やその作用を例に挙げている他者の作品ほどしっかり捉えることはできませんが、この楽器にもし“空間を染め上げる”ことから遠ざかることを意図して作られたという側面があるならば、音域の狭さなどはデメリットにはならず非常に理にかなっているように感じます。
FUJI|||||||||||TA『iki』はパイプオルガンという楽器が、建物(空間)と分かちがたく結びつけられることが多いという事情故に抱えがちな“空間を染め上げる”という傾向を、自作ならではの構造や規模によって打開し“リスナー側の持つ空間を欲している”ようなサウンドを実現した、文字通りオープンな魅力を持った作品であるように思います。
以下は関連作などについて
藤田さんの録音作品はフィジカル媒体でリリースされるものとしては2011年の『ヒビナリ-hibinari-』以来9年ぶりと書きましたが、2016~2017年にかけては毎月新作の音楽作品を制作し月一のペースで配信リリースしていくプロジェクト「月一交響曲 -Monthly Symphony-」が行われており、この第四弾として自作オルガンのソロ録音もリリースされています。こちらに収録の②「一つ一つ」は『iki』収録の「sukima」のプロトタイプといえそうな演奏ですし、「モアレ」と題された録音で感じられる音のうなりを捉える視点は『iki』では最もドローン的な「nNami」の低音部の扱いに反映されているように思います。『iki』に繋がっていく点が非常に多い作品なので是非合わせて聴いてみてください。
本稿を書くにあたっていろいろと動画を見ていて見つけたもの。この奏法は『iki』では用いられていないと思いますが、このような奏法が可能なのもむき出しのパイプが眼前にあるという藤田さんの自作ならでは事情によるものでしょうし、こういった普通のオルガンでは難しいアプローチもこれから作品に出てくるかもしれませんね。
今作で用いられているオルガンの制作にあたって雅楽からのインスパイアがあったというのも興味深いポイントです。藤田さんの他作品では上掲の「フロー」のプロモーション動画で聴こえる音楽に雅楽の影響が濃く感じられますが、オルガンにはどういったかたちでその影響が取り入れられたのか気になります。他アーティストの作品に目を移すと、近年ではTim Hecker『Konoyo』と『Anoyo』、國本怜『Amane』など雅楽の影響や和楽器を取り入れた音楽と出会うことが何度かあり、個人的な妄想になりますが今年発表されたJim O'Rourke『Shutting Down Here』にもそれを感じる瞬間があったりしたのですが、藤田さんの作品含めたこれらの作品にはおそらく雅楽/和楽器の取り入れ方もそれぞれ全くことなっている(雅楽にあまり詳しくないため深く言及できないのが歯がゆいところです…)ことを感じさせると同時に、どこか近しい雰囲気を感じることもたしかなので、合わせて聴いてみると面白いかもしれません。