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アルバムレビュー - Kali Malone『The Sacrificial Code』

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スウェーデンのストックホルムを拠点とする音楽家Kali Maloneによる、シンプルなオルガンの演奏をCD3枚組に渡って収めたアルバム。

2019年はドローン・ミュージック、特にオルガンを用いたドローン的な傑作が多くリリースされた年でしたが、中でも最も多方面から高く評価された作品が本作でしょう。

サブスクやbandcampのデジタル版では10曲が一纏めに表示されますが、1~3、4~6、7~10曲目で録音の場所が異なっており、CDもそのように分割されています。オルガンの録音作品という性質を考えると録音の場所が異なるということは楽器の個体とそれが備え付けられた空間が変わるということなのでここは本作を聴くうえで重要な部分かと思います。

個人的には本作はリリースされてすぐのタイミングで聴く際にぼーっと流しておけるアンビエント的なものを期待してしまっていたからか、そうやって接するものとしては空間を染め上げる力が強すぎるように感じてしまい、以降聴き返した時にもどう聴いていいのか戸惑ってしまうところがあったのですが、録音場所の違いによる音の距離感や鳴りの大きさなど意識して聴くことで、オルガンという楽器の働きをじっくり見つめることができる作品としてとても価値のあるものとなりました。音程の移動に伴い鳴らされるパイプが変わる時のリード音のようなノイズが多く耳に入りオルガンが管楽器であることを強く印象付けられるディスク1、音が持続する中での僅かな音色の変化が比較的聴き取りやすく感じられるディスク2といった具合に、それぞれに魅力のある響きです。またこれはディスクに関わらずですが低音が鳴らされた時に、それが空気が圧縮され移動することで出ているのだということがとても触覚的に実感でき、サウンドの存在感に圧倒されます。(あと単純に3つに分割することで26分、30分、49分のそれぞれ無理なく聴き通せる時間の作品となるので、すごく見通しよく聴けるようになりました。)

図らずも近い時期の作品となりますが、同じくスウェーデンの音楽家で『The Sacrificial Code』の7~10曲目の演奏に参加してもいるEllen Arkbroの2019年作『CHORDS』や、ドイツの作曲家Eva-Maria Houbenの2018年作『Breath For Organ』はオルガンという楽器の機能や特性に対し解剖的ともいえる視点で作曲/録音がなされた作品なので、この2つと並べて聴くことは本作の音響の面をより深く聴取しようとする際にはお勧めです。(『Breath For Organ』のレビューはこちらにあります)

しかしながら本作が『CHORDS』や『Breath For Organ』と大きく異なる点は、その2作が先にも書いたようにオルガンという楽器の機能や特性を炙り出すことを念頭に置いた“音による批評”的な色合いの強い作品であるのに対し、本作はそういった側面はあくまで二次的に生まれてきたもので、まずは執拗に繰り返されるミニマルなフレーズそれ自体の美しさや、その繰り返しによって生まれる時間感覚の変容(音楽的効果)にこそ主眼を置いているように思えるところです。

そして私は本作のその主眼の部分に対してはまだあまり馴染めないところがあります。“ミニマルなフレーズそれ自体の美しさ”に関しては素直に没入できるのですが、“その繰り返しによって生まれる時間感覚の変容”に関してはあまり心地よくはないというか、少なくとも例えば他のドローン・ミュージックなどを聴いていて感じるそれとは異質なものがあるように思います。単線の持続、もしくはそれのフェードイン/アウトなどによる接続によって成り立つ類のドローン・ミュージックを聴いている際には、言うなれば一本のロープを手繰っていくように時間の進行をより深い実感を持って味わうことができる感覚があるのですが、本作における反復によって生み出される変容は迷路の中の巡回ルートにはまり込んでしまうような、それによって現在位置の確かさの揺らぎや足元のぐらつきを覚えるような、一種の麻痺に近いものであるように感じます。

それはおそらくオルガンという楽器の持つ強弱や(演奏中における)音色変化などの音のニュアンス表現の語彙の乏しさによって引き起こされるものと推測されますが、オルガンのこういった性質に対してはストラヴィンスキーが「呼吸をしない怪物」と表現したことがあるらしく(wiki参照)、たしかに本作においても音が減衰することなく急に別の音程に切り替わり続け情報が一方的に流れ込んでくるという部分に息継ぎができない苦しさみたいなものは感じられますし、人間が作り出した簡素な単位の作曲としての美しいフレーズが、この怪物性をもって鳴らし続けられるが故の戸惑いやアンビバレンスとして“麻痺”の感覚が表れているのかもしれません。

そのため本作は多くのドローンミュージックまたはミニマルミュージックなどを語る際に用いられる“持続/反復の中での変化”を聴き取るという楽しみ方も非常に機能しにくく、“鳴り続けること”をただただ露わにし続けるだけの音楽とでもいうような態度で鳴り続けます。

『The Sacrificial Code』は長い音符がゆっくりと演奏されるという性質はあるものの、表面上はあくまで簡素なフレーズと反復によって成り立つミニマルな作曲作品という成り立ちで、ドローンに分類するのには疑問符がつく音楽ですが、作曲が持つ簡素な構成と楽器の持つ怪物性が組み合わさることで引き出される“変化を聴き取ること”や“時間感覚の変容”に対しての麻痺によって、多くのドローン・ミュージックを、それを聴く時の感覚を相対化して捉えさせる作品ということはできるのではないでしょうか。

そしてその麻痺から覚ます事象(音楽の停止、もしくはディスク3に多く混入した演奏以外の物音など)に、美しさを与えてくれる作品といえるのではないでしょうか。

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