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歴史に学ぶ者よ

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 政治が重大な決断を迫られたとき、なぜ歴史に学ばないのか。あるいは、なぜ歴史に学んだにもかかわらず、謝った判断を下してしまうのか。こうしたことはかなり昔から言われてきた。たとえばヘーゲルはこう述べる。

経験と歴史が教えてくれるのは、民衆や政府が歴史からなにかを学ぶといったことは一度たりともなく、歴史からひきだされた教訓にしたがって行動したことなどまったくない、ということです。

──ヘーゲル著『歴史哲学講義』長谷川宏訳/岩波文庫より

この問題について、太平洋戦争における日本の政治判断について言及したのが、第九回小林秀雄賞を受賞した加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(朝日出版社)である。加藤女史は、ベトナム戦争においてなぜ米国は泥沼にはまってしまったのかを考察したアーネスト・メイの著書 𝑇ℎ𝑒 𝐿𝑒𝑠𝑠𝑜𝑛 𝑜𝑓 𝑡ℎ𝑒 𝑃𝑎𝑠𝑡 を紹介し、次のように要約している。

① 政策形成者は、歴史が教えていると「自分が信じる」ものに強い影響を受ける。
② 政策形成者は、しばしば歴史を誤用する。

──加藤陽子著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫)より

 人間は歴史から学ぼうとするとき、類似する例を広範囲にわたって探そうとするよりも、まず自分がよく知っている事例を参考にし、そしてたいていの場合、その事例のみを参考として判断を下してしまう。逆に言えば、われわれは重要な決定を下す際に、その気になれば(歴史に学ぶことで)結果的に正しい選択を選ぶこともできる。ただし、それは(歴史における)広い範囲の出来事を、なるべく真実に近い解釈に基づいて知っていなければならない。このことからも、学術会議がなぜ必要で、しかも政府から独立して意見を発し、影響を及ぼせる機関でなければならないかが理解できよう。
 それから、日本は米国をはじめとする連合国との国力の差を、認識していなかったわけではない。むしろ、それを克服するものとしての大和魂を鼓舞するために、国力の差を強調すらしていた。三ヶ月で終わるはずだった日中戦争が四年経っても終わらず、太平洋戦争が始まる一九四一年、この戦いをどうやって終わらせるかいちばん憂慮していたのは昭和天皇である。消極的な天皇に対し、軍部が御前会議で持ち出した歴史は、なんと「大坂冬の陣」だったという。つまり、和平を選んでは豊臣のように騙されて滅ぼされてしまう、と東條らは言ったのである。
 私は、オリンピック開催に向けて努力するのは、結構なことだと思っている。まあ、個人的にはオリンピックは全然好きじゃないし、経済効果なんて皮算用で金の無駄だとも思うが、やりたい人がいるなら好きすればよかろうと思う。しかし、この状況下にあっては、最悪の事態すなわち、開催できない場合はどうするかを最低限決めておいていただきたい。all or nothingではなく、Bプランの用意。それがなければ日本はコロナに勝てないであろう。
 森喜朗氏は一九三七年生まれで、おそらく尋常小学校で終戦を迎えている。したがって、先の戦争が無謀であったことは、身をもって、つまり身近な歴史的体験としてご存知のはずである。その森氏の胸中にある「歴史」とは、いったいどのようなものであるのか。天皇に代わって主権者となった国民に向けて「御前会議」をやってはどうか。
(二〇二一年一月)


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