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𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす 2024年1月28日、桶川市の桶川市民ホールにて「子どもの教育を考えるシンポジウム」が開かれた。登壇したのは桶川のフリースクールHIRO代表・中里哲也氏、文科省初等中等教育局児童生徒課長補佐・大野照子氏、優育プロジェクトの的場美芳子氏、そしてわれらが養老孟司先生である。私はお手伝いのような形で関わらせていただいた。 顔ぶれをよく見ていただくとおわかりかもしれないが、このシンポジウムのテーマは不登校である。詳しい内容は後日動画でアップされるの
𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす 今回はシューベルトの「魔王」(𝐸𝑟𝑙𝑘𝑜̈𝑛𝑖𝑔)という歌曲について書きたい。この曲の歌詩は文豪ゲーテによって書かれている。冒頭の三連音譜の連打で奏者を泣かせる有名な曲だが、今回はその音楽ではなく詩について書く。 中学校の音楽の授業で習った当時、ドイツ語の意味など知らなくとも、おおよその内容はみなさんもご存じだと思う。まず出だしはこんなふうに始まる(以下、拙訳)。 具合の悪い子供を抱いて家路を急ぐ父親。子供は何かに怯えている。 父と子の
【書評】『神は詳細に宿る』養老孟司=著/青土社 𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす 養老孟司待望の新刊である。しかも、出版社はかつて『唯脳論』を上梓した青土社。いやが上にも期待が高まるではないか。題名はアビ・ワールブルクの「わが愛する真理の神は、一つ一つの細部に宿りたまう」という言葉を想起させるが、なんとも養老先生らしい。 養老先生の名言に、「真理は単純を好むが、事実は複雑を好む」という言葉がある。たしかに真理はいつだっていたって単純だが、でも事実は複雑ですよ、と心のなかで
𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす 「手帳は余白を埋めるためにあるのではなく、余白を空けるためにある。」そう言ったのは、「超」整理手帳を考案した野口悠紀雄氏である。たしかに、私も余白が空いているとついそれを埋めたい欲求に駆られてしまう。そしてそのたびにこの言葉を思い出す。 養老孟司氏は、「手帳に書かれた未来は現在である」と言った。これはやや踏み込んだ表現だが、正鵠を射ている。どうなるかまだわからないのが未来だとすれば、そうなることが決まっている未来は、もはや現在に近い。 人