ひとつかがやく|竹山広

1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されました。長崎は瞬く間に灰燼と化し、約14万人もの死傷者が出ます。この悲劇を目の当たりにした心の叫びが、竹山広さんの原爆詠です。

・あはれかの炎天の下燃えしぶる肉塊として記憶するのみ
 竹山広『とこしへの川』

竹山さんの第一歌集『とこしへの川』より。
同じ街に住んでいた人間が、炎天の下で燃え盛る肉塊として記憶されています。難しい言葉はありません。読者は作品を読んでその凄惨な状況を想像します。

竹山さんは非常に短歌の上手い方でした。そんな作者は「肉塊として記憶するのみ」と表現しています。上の句の凄惨な状況と、そのときの気持ちを言語化しようとした竹山さんの前には言葉の限界が立ちはだかったのでしょう。言葉では言い表せないほどの事実の厳しさが浮き彫りになります。

・死の前の水わが手より飲みしこと飲ましめしことひとつかがやく
 竹山広『とこしへの川』

死の直前に飲ませてやった水の事を、唯一の希望として思い起こしている一首です。原爆が投下された後、多くの被爆者が焼けつく熱と乾燥で水を求めました。
死の直前に水を求め、それを飲む、飲ませてやる。人間の行為の尊さや美しさが胸を打ちます。

・人に語ることならねども混葬の火中にひらきゆきしてのひら
 竹山広『とこしへの川』

痛み、恐ろしさ、悔しさ、悲しさ、混葬された遺体の手のひら、燃やされている人たちの無念さ。言葉にできない抒情と原爆の惨禍を「人に語ることならねども」と表現している一首。
死んでいった人々の名を知ることもできない。しかし竹山さんは歌人として、彼らがどのように終わったのかを心に刻みこんだのだと思います。

原爆投下という歴史的な出来事を個人的な視点から描いているこれらの歌は、原爆投下によって失われた人々の命を忘れないために、そして平和を守るために努力しなければならないという事を、私たちに語りかけています。


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