平和への短歌03|正田篠枝

西田さんと同じく、広島で被爆した正田篠枝(しょうだ しのえ)さんの作品を紹介します。正田さんは1910年 広島県安芸郡江田島村生まれ。広島で被爆されました。

・子をひとり焔の中にとりのこし我ればかり得たる命と女泣き狂ふ
 
正田篠枝『さんげ』

原爆の炎によって家族を失った母の悲しみと絶望を描いた一首です。「我ればかり得たる命と女泣き狂ふ」。子どもを守ることができず、自分だけが生き残ったことの苦しみと罪悪感が凝縮された表現です。

・可憐なる学徒はいとし瀕死のきはに名前を呼べばハイッと答へぬ
 
正田篠枝『さんげ』

瀕死でありながら名前を呼ばれると返事をする学徒の純粋な心。
彼らの姿は、戦争や原爆の犠牲となった無数の命の象徴でもあります。

・大き骨は先生ならむそのそばに小さきあたまの骨あつまれり
 
正田篠枝『さんげ』

亡くなった先生と生徒たちの姿を描いた一首。先生は亡くなる前に生徒を守ろうとしたのでしょう。または生徒が先生を頼って集まったのでしょうか。悲劇的な状況を想像させます。

正田篠枝さんの歌には1945年8月6日に広島にいた人々の姿が記されています。
彼らの存在を記録してあげたかったのではないかと私は読みました。これらの歌を収録した歌集『さんげ』は現在稀覯本として知られています。その現状からは戦後の言論統制下での出版の困難さや原爆批判の意義を窺い知ることができます。


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