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創作小説「スランバーズ」

――初めに、荒野に一本の木の芽が吹いた。空は淀み、深淵の底にある大地は植物が枯れ、水はなくなり獣は飢えた。進化をまだ見ぬ人類が混沌としたとき、木の芽は大樹となって神を産み落とした。神は言った「生きとし生けるもの全てに祝福を与えん」と。神は人類を6つに分け、世界に秩序を与えた――
 
 
 宗教国家・クラロス。その国土のほぼ中央に位置する都市・バルバラ。
 
 街の一角にある石造りの建物は軍人たちが集まり物々しい雰囲気に包まれていた。明け方、日が昇る前の時間にもかかわらず街の人は何事かと建物を囲む。
「なぁに? あそこ、なんかあったの?」
「人が殺されたんだってよ。最近へんな奴らが出入りしてたもんな」
「はいはーいちょっとすみませんねー! 通りますんで道を開けてくださーい!」
 陽気な男が野次馬をかき分けて道を作る。軍服を着崩した陽気な男の後を気怠そうにしながらシド・レナー大佐が建物に入った。そのあとに続き、ぞろぞろと軍人が数名建物の中へと入っていく。建物には地下があり、先に現場にいた軍人に地下へ行くように案内された。地下へと降りると換気が良くないせいか、血生臭いにおいが充満していた。既に現場を見ていた部隊の人間がシドたちに気付く。
「こんにちわ~! 特務隊遺体確認に来ました~! お忙しい中すみませんねぇ、おじゃましまぁ~す!」
「ビースト隊か……うるさい奴らが来たな」
「うるさいのはアイツだけだろ。遺体はどこだ」
「シド大佐! し、失礼しました! こちらです!」
 現場にいた一般兵に案内され、特務隊の隊長であるシド・レナーは今回の被害者を確認した。シドは既に収容されていた遺体袋の前に座り、胸に手を置き死者への弔いの意を示す。袋を開け、収められていた遺体の悲惨な状態にシドは顔をしかめた。
「心臓を一突きにされ、内臓は全て持ち去られてる。被害者は赤眼のコーラル種。シャーデの実を持っていたようだ」
 検死をしていた初老の専門官がシドに淡々と状況を伝える。シドはうんざりした顔で盛大にため息を吐いた。
「またエニグマか。被害者は異感者《ウィーバー》か? 一般人だろ?」
「内臓が無いからここでは詳しいことは分からん。解剖でもすりゃわかるだろうが……おそらく脱法中毒者《ジャンカー》、もしくは売人ってとこだな」
「今までただの売人が被害に合ったことはない。ジャンカーでしょう」
 シドの後ろで状況を見ていたハイル・グノー少佐がぼそりと言った。それに対し、シドは「だな」と答えた。
「これで今月のエニグマ事件は五件目ですね。いやー、犯人は内臓マニアなんですかね! 猟奇的ィ!」
「……気持ち悪ィ。シドさん、早いとこ見つけてぶちのめそうぜ」
 死体を前にゲラゲラと笑うミカエルと対照的に、小柄な女性隊員のノーマは顔をしかめながら悪態を吐いた。死体の様子をまじまじと観察しているダダは唇を尖らせて首をかしげる。
「エニグマ事件に共通しているのは心臓を一突きに殺されているのと、内臓が全て持ち去られていること。シャーデの実を食べたウィーバー、もしくはジャンカー。我々軍の人間も含め、エニグマ事件が始まってこれまでに五十名以上被害が出ています。犯人の正体は一向に掴めずですが……」
 ダダの言葉を聞きながら、シドは被害者を見下ろして深く息を吐いた。
「一体、この街で何が起こっているんだ……?」

 ゴーン、と夜の街に鐘の鳴る音が響く。夜中の一時を知らせる鐘だ。今夜も帰りが遅くなってしまったとモリス・カルヴァインは帰路を急いだ。今夜は新月なのか月明りはない。空を見上げ、モリスは不穏な空気を感じてぶるりと身体を震わせた。
「嫌な空気だな。依頼された古文書の解読、あそこでやめときゃよかったなぁ。おかげでこんな時間だ。最近この辺、変な事件が起きてるみたいだし……でも先が気になるんだよなぁ。十代目ベティ・ローズが残した手紙……いや、そもそもあれがちゃんとしたものなのかって言う検証が必要なんだが……」
 モリスは先ほどまで帰らなければと言っていたことも忘れてぶつぶつと独り言を言いながら思考の海へと潜っていく。あぁでもない、こうでもないと頭を悩ませていると、静かだった夜道に自分のものではない足音が響いた。モリスはその音でハッとして、思考の海から浮上し現実の水面に顔をあげる。音がどこから聞こえるのかと耳を凝らすと、足音はゆっくりと前方から聞こえるようだった。明かりが少ないせいで、近づいてくる人物の輪郭がはっきりしない。けれど、異常なほどにゆっくりと近づく足音と、近づくにつれて聞こえるうめき声にモリスの心拍はどんどんと上がっていった。
(もしかして、今流行ってる謎だらけのエニグマ事件の犯人か? ま、まさか……いや、それじゃなくても危険なやつかもしれん。別の道から帰ろう)
 モリスは息を殺し、相手に自分のことを悟れらないよう踵を返す。
(このままなんでもないふりをして別の道から帰ろう)
 そう思って足を動かすと、モリスの背中に「おい」と低いだみ声の男が声をかけた。モリスはその声を無視して足を速める。絶対に振り返ったり足を止めたりしたら終わりだと思った。
「おい……まてヨ……なぁ、おい……! オイ!! 待てって、言ってるだろうがぁ‼」
「うわっ、う……わあああああ!!!」
 声を無視して駆けだすモリスに、だみ声の男は更に声をあげた。それはものすごい声量で、まるで獣の雄叫びのようだと思った。人間離れした声に思わずモリスが振り返る。モリスを追いかけて来ていた男は正気を失っているのか異常なほど興奮し、血走った眼をしてよだれを垂らしていた。
「なん、だよおまええ!!」
 ゾクリと一瞬にして危険を感じたモリスは全速力で走りだす。男は逃げていくモリスに向かって雄叫びをあげ、両手を大きく地面に向かって叩きつけた。ドゴンッ、と言う凄まじい音と同時に衝撃で地面は割れ、モリスの足元を崩していく。
「はぁあ!?」
 足元が崩れたことで走れなくなったモリスは迫りくる死に恐怖した。興奮した男はモリスに向かいとびかかり、再び手を振り上げる。殺される! とモリスは死を覚悟し、ぎゅっと両目を瞑った。
「頭を下げろぉおお!!」
 どこからともなく聞こえた声に、モリスは反射的に従った。言葉の通り頭を下げ、身を守る姿勢をとる。
「緑柱風圧波《グリーンベリル》!!」
 声が聞こえると同時にゴォッ! と柱のような強い風圧が男に当たり、衝撃で吹き飛ばされる。モリスもいったい何が起こったのかとつぶっていた眼を開けると、モリスの眼の前には十四、五歳くらいの青年が風をまとって立っていた。モリスはてっきり月明りがないのは新月だとばかり思っていたが、どうやら雲がかかっていただけらしい。先ほどの風で雲が払われ、青年を満月が煌々と照らした。
「さ、さっきの男……」
「シャーデの実を食べた中毒者ジャンカーだよ。実の力を制御できなくて中毒を起こしたんだ。見境なく暴れるから近寄ると危険だ」
「そうじゃなくて、まだ俺たちのこと狙ってこっちに来てる‼」
「まじか! にげるぞー‼」
 雄叫びをあげて襲い来るジャンカーに、モリスと青年は全速力で逃走した。

「はぁ、はぁ……やっと、撒いた……」
 街の外れまで走り、ようやくモリスと青年はジャンカーから逃げ切る。ぜぇぜぇと荒れる息を整えている青年をモリスはじっと見つめた。
「君……助けてもらってなんだけど、一体何者だい?」
「何者? 別に俺は何物でもないよ。お兄さんが襲われてるところにたまたま通りががったから助けてあげただけ」
「それはそうだろうが、僕が聞いているのは君の眼だよ!」
「眼? 眼がどうかした?」
「知らないわけないだろう、とぼけるなよ。人類は六つの刻籍に分かれていて、黄眼のアンバー、青眼のベニトアイト、赤眼のコーラル、灰眼のダイアモンド、緑眼のエメラルド、水色の希少種、フォスフォフィライト。この通り僕の眼は黄色だからアンバー種。だが君の眼は黒い。そんな種族はいない! それに君のさっきの力。珍しいものではないけどウィーバーって感じでもなさそうだ」
「そうなのか! へぇ……そっかぁ」
「うん?」
「いや俺さ、記憶ないんだよね。自分のことなんも分からねぇの! だから聞かれても答えらんなくってさ!」
 ごめんな! と言ってあっけらかんと笑う青年に、モリスは「はぁ!?」と思わず声を上げた。モリスははぐらかされているのだと思い青年に詰め寄るが、にこやかに笑う青年の様子に嘘はないように思えた。モリスは追及はあきらめたが、青年の正体は依然気になって仕方がなかった。
「いつから記憶が? どうやって今まで生きてきたんだい」
「さぁ。ひと月前くらいにあなぐらで目が覚めて、その時にはもう自分のことはなんにも覚えていなかった。幸い生活に必要なことはなんとなく覚えていたから助かったけど、俺が一体何者で、なんで刻籍が無いのかはわかんないんだよな」
「……名前も?」
「名前も。目覚めた時、そばに『ジーン』『ブライアル』と書かれたメモが一枚あっただけで、俺に繋がりそうなものは何もなかった。だから俺は忘れないように『ジーン・ブライアル』って名乗ってんだ! よろしくな! えーっと……」
「モリスだ。モリス・カルヴァイン」
「よろしくな! モリス!」
 へへっ、と嬉しそうにジーンはモリスに手を差し出す。モリスはジーンに差し出された手を見て、少しだけ戸惑った。モリスは自分の記憶がないと言うのに困った様子もなく、ピンチの人間がいれば迷わず助けに飛び出してくるジーンがとても変わった人間に思えた。だがその明るさに好感が持て、モリスは「よろしくな」と、快くジーンと握手を交わした。
「それで? 記憶がないからって宛てもなくさ迷っていたわけじゃないだろ? ジーンは今何をしているんだ?」
 モリスの言葉にジーンはにやりと笑う。ジーンの壮大な夢を語るようなしぐさに、ドクリと心臓が高鳴る。モリスにオペラのオーバチュアを聞いているときのような興奮が押し寄せた。
「俺は眠る秘宝《スランバーズ》を探しているんだ」
「スランバーズ――!?」
 にやりと笑うジーンに対し、モリスは大きく目を見開いた。

 

 

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